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短編小説 「黒い糸」


春樹は、指定されたカフェに着いた。
平日の昼下がり。
周囲には、30代から40代の主婦で溢れている。

その中で、1人30代の男性が、普段着で座っているのを見つけるのは、
簡単なことだった。

「あのー」
「ああ、畠中くんね」
「はい」
「ああ、どうぞどうぞ。いや、飲み物が先か。僕は先にオーダーしたから、どうぞ何か
注文してきてください」

小さな工務店の、事務兼採用担当の遠藤は、相手が緊張しないように気さくな感じで伝えた。

春樹は、スマホをテーブルに置き、カウンターに向かう。
行列が2、3人できている。春樹の胸元くらいの身長しかない、主婦らしき人たちだ。

春樹が飲み物を注文している間、遠藤は提出されている「畠中 春樹」の履歴書を再度確認する。

春樹は、カフェラテを手にテーブルに戻った。

「遠藤です。よろしくお願いいたします」

春樹は、相手に向かって頭を下げる。
面接を受けたことはあるが、どうしてもうまく話せない。
高校をなんとか卒業したが、学校の先生から紹介された工場の仕事は長続きしなかった。

主任と言われる、40代の男がとにかく意地が悪かったのだ。
「そんな髪で仕事はできんよ」
「新人は、30分は早めに出社するのが、普通やろ」

と、ことあるごとに、なぜか春樹だけ怒られた。
「嫌われてる」と分かった時には、電話で退職を告げた。
LINEで退職を伝えたかったが、最後に一方的に辞めると言って電話をガチャ切りしてやろうと思ったからだ。
すっきりした。

その後は、コンビニ、配送、倉庫の仕事など、なんでもやった。
全てアルバイトだ。
それでも、働かないわけにはいかない。

家には、病気の母親とまだ高校生の妹がいるからだ。
春樹が高校卒業した時に、母は過労が原因で倒れ、狭心症と診断された。
もう、無理はさせられない。
俺がちゃんと働いて、ちゃんと稼ぎたいのに、俺が口下手やけんかな、となんとなく思うが、どうしたらいいのかもわからない。

「仕事内容から説明しますね。家とか、塀などを壊してもらうことから始めてもらいます。
様子を見ながら、慣れたら少しづつ他の仕事もしてもらいますが、やってみないとわからないこともあるだろうし、合うか合わないかもあると思うので」
遠藤は、スラスラと話し始めた。

春樹は黙って聞く。
遠藤さんは、俺と同じくらい背が高い。
テキパキ話してるけど、話しやすい気がする。
少なくとも、この人は意地悪でも、怖い人でもない気がする。

「なんか質問ありますか」
「あ、給料っていつもらえるんすか」
「一応、最初は日払いです。数ヶ月続くようだったら、雇用契約書って言うのを渡すので、それにサインしてもらいます。今、色々とうるさいから。ほら、ブラックとか言われるから、しばらく仕事を続けてもらったら、ちゃんと契約書交わすんで、そうなったら月末字めの10日払いになります」

まあ、しばらくは毎日お金がもらえるんや。それはいい。助かる。

春樹はまた黙ってうなづく。
遠藤は、あまりにも春樹が無口なので心配なのか、色々と質問をしてくる。

「いやー僕より年下の人を面接するとか、今回初めてよ」
え?と声にならない反応を春樹はした。

「いや、マジで、いっつも俺より年上の人ばっか」
「そうなんすか」
ほぼ、初めてくらいに返事をした。
「遠藤さんはいくつですか」
「俺、30。畠中くんは?」
「はたちっす」
「よね。なんか若い人、新鮮」
「はは」

「どこに住んでるん?」
「ああ、ここからバスで30分くらいっす」
「あー、山田ね。バス停から近い?」
履歴書を確認して、聞いてきた。

「いや、バス停から10分くらいっす」
「そうか、じゃあ来るの大変やったね」
「いえ」
あまり家の話はしたくない。
春樹の開きかけた心が一瞬閉じたのを感じたのか、遠藤は話を変えた。

「なんか、将来の夢ってある?給料どのくらいもらいたいとか。自分で会社起こしたいとか」

春樹は、会社を起こそうなんて考えたこともない。
「15とか20とか、もらえたら」
「月?」
「はい」

月じゃなかったら、なんだろう。

「そうか。まあ、仕事に慣れて、仕事が続いたらそれもできるかもしれんよ」
春樹はほっとする。
俺が稼いで、家に金を入れる。そうせんと、俺の家は回っていかん。

「なんかやりたいことってない?やりたい仕事でもいいけど」
「車の免許を取りたいかな」
「車の免許ね。確かに取ってるといいよね」
と遠藤も言う。

金がなければ、免許も取れない。
高校時代の友達は、卒業と同時に免許をとっていて、羨ましくて仕方がなかった。

「あ、じゃあ帰り、送って行くよ」
え、俺の家は見られたくない。

と、春樹が黙っていると、「あ、近くでもいいよ。さっきローソン近いって言ったよね。その近くでもいいよ」
「あ、そうすか。じゃあ、はい。」
「じゃあ、片付けようか」
先に遠藤が、カウンター横のゴミ箱に向かう。
その後、春樹もカップを持ち、ゴミ箱でカップを捨てる。

遠藤は、書類を全てリュックに戻し、春樹はスマホを手に持って外に出る。
遠藤の車は、ハッチバックの青いコンパクトカーのようだ。
「あ、後ろ乗って。ある程度は道わかるけど、よかったら案内してね」
「はい」

静かに車が出発した。
車の中でも、遠藤は当たり障りのない話をしていたが、春樹はほとんど返事をしただけだった。
初対面の人に、自分のことをペラペラしゃべることなんてできない。

20分ほどで、春樹の家の近くのコンビニに着いた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。じゃあ、明後日会社まできてください。9時にお願いします」
「わかりました」
ぺこっと、頭を下げた。

遠藤の車を見送るように、しばらく見ていた。

スーッと音も立てずに春樹の前に、黒塗りのセダンが停まった。
邪魔になってるのか、と思い、少し避けようとした時、運転席から体格のいい男性が降りてきた。

春樹は、びびった。
因縁をつけられんやろうか、と、できるだけそいつを見ないようにした。
「あのー」

体に似合わない優しい声を出し、男は間違いなく春樹を見ている。
その声色で、少し警戒心を解き、「はい」と答えると、「よかったらうちの会社で働かん?」

「え?」
「いやー、さっき近くでさ、面接受けよるの見たんよね。お兄さん、若いし、体格いいし、できたらうちで働いてもらえんかなと思って」
「え、つけてきたんすか」
「うん、あの人、円工務店の遠藤さんやろ」
「あ、はい。知り合いっすか」
「うん、狭い業界やけんね。さっきお茶を飲み寄ったら、遠藤さんが入ってきて、俺のことは気づいてなかったみたいやけどさ、つい話を聞いたんよね。あ、よかったら車の中で話す?」
「いえ、ここでいいっす」
まだ、警戒心は解いてはいない。

「今、うちらの業界も人手不足なんよね。遠藤さんがくれるって言った給料の5万アップするよ、どう?」
春樹は、話の展開についていけない。こいつを信用していいのかもわからない。

「ああ、名刺も渡さんでごめんね。よかったら、あそこのファミレスで話そうか。興味があるんやったら」
名刺には、「丸田興業 専務 石川 隼人」と書いてある。
「でも、もう明後日から行くって返事したし」
「いや、まだ電話一本で断れるよ、話だけ聞いてみらん?」

一瞬迷った。

俺が、こんなに「求められたこと」は、今までに一度もない。
学校でも、先生からは何考えとるかわからんって思われてたらしい。
ベラベラ喋るタイプじゃないからだろう。
髪も茶色いし、目つきは悪い。
でも生まれつきやし、仕方ない。
そんな俺に、今2人も仕事の話をくれている。

これは、チャンスかもしれない。

「じゃあ、話だけでいいなら」
「おー、ありがとうー。じゃあ、乗って」
後ろのドアを、石川と名乗る男が開けた。

俺にも運が回ってきたんかもしれん。
今日は、母ちゃんに喜んでもらえる話ができるかもしれん。
春樹は、車の後部座席に座った。

革張りのシート。
トヨタの高級車だ。そのくらいは、車好きな春樹にはわかっている。

儲かってる会社なんだろうか。
まあ話を聞いてから、考えればいい。
そう考えて、男が車を出すのを後ろから見ていた。

春樹は、まだ知らない。

この石川の会社の社長は、堅気ではないことを。
そして、春樹が5歳の時に失踪した父親だということも。

世の中は、多くの偶然でできている。


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