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短所と長所は表裏一体


短所は思いつくけど、長所は思いつかないと言う人は案外多い。
高校生や大学生に聞いても、真面目であればあるほど、自分の長所を即座に上げることができない人たちが多かったのを、教える仕事をしていて感じてきた。
「短所を言える人?」と聞くと、即座に手が上がるのに、だ。

これは周囲から短所を言われてきた、周囲の人と自分を比較されてきたのでやがてそれらは自分の短所であると自分の中に刷り込み、周囲の人と自分とを比較する癖がついてしまったのだろうと思われた。
特に、親がきょうだいを比較して育ててきた場合は、「重症」なケースが多かった。自分に全く自信が持てないのだ。
過去教えた生徒さんでも、すぐにこれに該当していた人の顔が浮かぶほど、印象に残っている。親の育て方と言うのは、後々まで子供に影響を与え続けると思ったのだ。

ただ、人の評価と言うのは「その人の基準や価値観」で決まるものや、「世の中の偏差値など」を指標にしていることが多い。
もちろん弁護士試験のように、試験結果の高得点者から裁判官や検事になることが決まり、弁護士事務所に所属する場合でも得点によって決まってしまう、などの世界に入る人はこの評価に従う必要が出てくるだろう。しかし、大多数の人はこれらの世界とは無縁だし、ましてやこの評価と性格の評価は別物だ。

たとえば集中力がある人は、他のことが見えなくなる可能性があるし、気が弱い人は優しい可能性があるし、気が強い人は意志が強く継続力があるかもしれない。メンタルは強いだろう。

こうして考えると、「どちらから見るか」によってその人の評価は簡単に、コロっと変わってしまう。戦後日本の教科書が黒塗りになり、教育方針がコロっと変わったと学んだことがある人は多いだろう。サイコロを見る時に、どちらから見るかによって数字が違うのと同じだ。

最近思うのは、「自分くらいは良い面に目を向けてみてあげたほうがいい」と言うことだ。人がどう評価するか、をこちら側がコントロールすることはできない。
しかし、自分が自分をどう思うのか、については、誰のコントロールも入れる必要はないし、自分で勝手に評価していいことだ。

「褒められることは少ないんだから、自分で自分を褒めよう」と、時時私は言うし、実際に自分を褒める言葉を口に出して言う。
すると、むくむくと自分の中から自信のようなものが湧いてきて、「できるよ、あなたなら」と言うと本当にできる気がしてくる。
「本当に頑張ってるよ。あなたくらい精一杯やってる人はいない」って言うと後悔がなくなる。

昨日小説を読んでいて、主人公が一度仕事を辞めてしまったことにコンプレックスを抱いていて、新しいことに挑戦する際に「また中途半端になってしまうかもしれない」と、弱音を吐くシーンがあった。
すると、相手の人が言うのだ。

中途半端でいい。
中途半端かどうかは、本人が決めること。
中途半端って何か?完璧に最後までやることが、中途半端じゃないのか?
いろんな事情があって辞めざるを得なくなったことなどは、他人にはわからないし、自分がどれほどそれまでに一生懸命やったのかは、自分だけがわかっている、と。

一言で言えば「自分のことを他人に評価させるな。自分のことは自分が一番よくわかっているはずだ」と。
正確な言葉ではないかもしれないが、これを読んで当然涙があふれてきた。
私にも覚えがある。誰も自分以上に自分の事情を知っている人はいない。
自分ができる最大限のことをした、と思えればそれでいいのだと。
そう思えば、私は全てのことを全力投球で、自分ができる最大限をやってきた、と自分を褒めることができた。

そして思い出す。
学生たちが就職の面接で自分のことを話すときに、「途中で部活を辞めてしまったから、部活のことは言いたくない」「教職をとっていたのに、教員にはならないのだから言いたくない」と言っていたことを。
しかし、事情を聞けば「怪我をしてやむなく辞めた、またはマネージャーに回った」とか「アルバイトで接客を経験して、これが自分のやりたいことだと見つけたから教員になるのは辞めた」という、立派な理由があったのだ。それなのに、「初志貫徹」や「一度始めたことは最後までやらないといけない」と言う、一方的な価値観によって自信をなくしている若者がたくさんいたことを。

もちろん私は彼らの事情と決断全てを肯定し、全て正直に話せばいい、とアドバイスし、話し方だけを教えてきた。
その結果うまくいかなかった人なんて、一人もいない。つまり、「面接官」と言う「世間」もちゃんとわかってくれた瞬間だった。

一方的な価値観の刷り込みや押し付けはある意味、ハラスメントに近い。
多角的に物事を見る力を持ち、たとえ周りに認められなくても、自分だけは自分の味方でいる。誰にも褒められなくても、自分だけは自分を褒める。
そして同じ価値観の人たちと一緒にいる。そんな生き方もある。

人の数だけ生き方があっていいのだと、自分に言い聞かせながら今これを書いているところだ。


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