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まさかの結末


未来が見えたら、と誰もが思う。
でも、実際には誰にも未来はわからないし、見通すことはできない。
予測はできても、予言はできない。

今朝目覚めたと同時に私の頭に浮かんでいた、行き先と行動を信じてそのまま決行した結果、こういう未来が待っていたんだ、と思うと、不思議で仕方がない。

一冊の本を読み終え、少し遅く眠りについた私は、朝の目覚ましを7時にかけていた。

どのくらい眠っていたのか、目覚ましの音なのかな、と思いながら、スマホを見ると、目覚ましではない。

そこには妹の名前がある。

完全に寝ぼけたままで、電話か何かわからないけど、その着信音を止めるつもりでスマホのキーを押した。

少し黙っていると、向こうでボソボソと誰かと話しているような声がする。
その声は、まさしく妹の声だったので、「もしもし」と寝ぼけた声で言う。
チラッと見えた、スマホのデジタル時計は、03;18とあった気がする。

「もしもし、姉ちゃん、じいじいが亡くなったって」

「え」

確かに、私はこの場面を昨日2回もみて、聞いていて、「そんなことあるわけない」
と言い聞かせていた。

じいじいとは、私たちの父のことだ。
わたしたちに子供ができてから、父のことは常にじいじいと呼んでいたのだ。
父にとっての孫たちがそう呼ぶから、わたしたちもそう呼び続けていた。

確かに入院中の病院からは、高熱が出ていることは知らされていた。
ただ、コロナの情勢もありお見舞いには簡単にはいけない。
月に一度ほど、予約してガラス越しに10分間だけ面会ができる程度だった。
何度も連れて帰りたいと妹と言っていた。
そして、急速に悪化して、亡くなってしまったのだ。

私が思い立って泊まりに行ったホテルで、リラックスモード全開で、癒されていた所になぜか、妹から父の死を告げる電話がかかってくることを、2回も頭に浮かべ、それを否定していたのに、現実になってしまった。

その「知らせ」にも驚くし、このタイミングなのも驚きしかない。


父には、やりたいと思ったことを止められたことは一度もない。
高校生で1年間のアメリカ留学に行きたいと言った時も、即答で「おお良いぞ、行ってこい」だった。
私達姉妹は、父に怒られた経験が一度もない。
母には怒られても、父には怒られていない。
私はお箸の持ち方だけ、5歳くらいの頃からずっと言われ続けていたのは記憶にあるが、
それ以降は一度も怒られていない。

だから父は、「お前が生きたいと思った時に、行きたいと思ったところへ行け」と最後に言ってくれていたのだろうと思うし、この妹からの電話を自宅ではない場所で受けるようになっていたのだろうと思う。

翌朝すぐに帰宅し、その後はドタバタだが、あの日を逃したら、しばらくバカンスにはいけなかっただろうと思うので、全く後悔はしていない。

むしろ心に沿って行動したことで、夜に思いがけず花火を見ることができたり、妹の電話以降結局眠れず、持参していた本を読んだり、夜が明けて、父の死を信じられず、受け入れられず、早朝の誰もいないホテルのバルコニーで父に感謝の言葉だけを言い続けたこと全てが、私の記憶がある限り残り続けるだろうと思うからだ。

後悔のないように生きる。

いつの頃からか、それをモットーに生き続けている。
一年前、実家の近くに戻ってきたことも、本当に良かったと思っている。
両親が老いてきたので、それを見送らねば、そして少しでも両親との時間を増やそうと
思ったのも、一つの理由だった。
それでもコロナがなければ、あのまま以前の場所に居続けたはずなので、これも私にとっては本当に良かったのだと思う。

父にも多分後悔はないだろう。
好きなことを好きなようにある程度やってきた父なので、母には苦労をかけたと思うけど、父自身は悔いはないと思う。

きっと自宅に戻りたかったと思うので、喧嘩ばかりしていたけど、大好きだったはずの母のそばにいて、今はホッとしていると思う。

病院に駆けつけるまでは、一切の涙が出なかったが、今は何をしていても、まだ思い出すのでその度に涙が溢れてくる。

身内の死、というのは、理屈ではない。
自分の中にある血が、涙になるのだろう。
父の死を感謝と、涙で送ることができることは、何より幸せなことだと思うし、父もこの家族と共にいられたことが、何よりの幸せであり、家族を持っていることだけでも、素晴らしいことだったんだな、と父の人生を振り返る。
何か特別秀でたことを成し遂げた父でもないが、父なりの人生を最後まで全うできたと思う。

享年86歳。

数えで88歳。

最後までしっかりと見送りたいと思う。

悔いのないように。
私も父からそれを学んだ気がする。
明日は関東にいる孫たちが全員揃う。
どれほど父が孫たちからも慕われていたのか、がわかる。
父は家族が集まるのが、何より好きな人だったので、明日は大喜びだろうと思う。

私が一番驚いているが、この誰もが驚くであろう結末を、ここに書くかどうかを悩んだが、一人一人がドラマの中で生きていることをお伝えする最適の展開だったので、伝えようと判断した。

お父さん、お母さんのことは、妹夫婦と共に支えていくから、心配しないでね。

本当にたくさんの愛情をありがとう。

最後に

しばらく、noteが書けるかはわかりませんが、必ず戻ってきます。
人生はドラマです。
一人一人がそのドラマを生きている主人公なんだ、と改めて感じています。
最後まで、私のプライベートな投稿を読んでくださり、ありがとうございました。
また、元気に戻ってきます。


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