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「ない」を経験すると、「ある」に感謝する
欠乏を経験すると豊かさに感謝する
学生時代に実家からの仕送りがストップしたことがある。
友人と風呂なしのアパートをシェアし、アルバイトを増やしつつ、
家賃2万円づつを払っていた。
食事は当然自炊。
コンビニなどない時代だからこそ、また節約のためにも安い材料で
お互いが作れる時に作っていた。
お互いが買い物をしたレシートを、袋に入れ、月末にそれを計算し
二人で折半する、というやり方だった。
ダイエットも兼ねて、糸こんにゃくを炊いたり、
グレープフルーツを一個食べたり、毎日銭湯にも行った。
今では懐かしくも、楽しい思い出だ。
そんな時代を経験しているからこそ、自宅でお風呂に入れることも、
牛肉が食べられることも、当たり前と思わず感謝する。
ある出張の時にとても寒くて、手袋をしていても手が
しびれるほど冷たくなっていた。
目に留まった自動販売機で暖かいコーヒーを買い、飲んだ瞬間、
「大きな幸せ」を感じた。
あれほど寒かったからこそ、その温かさが身にしみた。
「ない」を経験することも、「寒い」「暑い」を
経験することも、全てはその後に訪れる「幸せ」を実感するためなのかも
しれない。
確かに2020年から仕事が激減したことを経験したからこそ、
今自分がやりたい仕事だけができていることに、本当に感謝している。
父が亡くなったから、母にできる限りのことをしようと思う自分がいる。
「ない」を経験しなくても、「ある」に感謝できる人もいるのかもしれないが、
私は「ない」を経験しないと「ある」に感謝できなかった。
そして「感謝」とは「人に伝えるものではなく、自分が幸せであることを実感すること」なのかもしれない、と思う。
感謝は確実に、幸せだと思っている時にしかできないものだから。
自分に「あなたは今幸せだね」ということを再認識させるために、
「感謝」しているのかもしれない。
だから感謝って素晴らしいことなんだな、と書きながら気づいた。
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