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「もやもや、ざわざわからわかったこと」



詳しい理由は避けるが、もやもや、ざわざわの気分が久しぶりにきた。

完全に外部からもたらされたものだけど、これも「生きている証拠」


人は何かを感じている時だけが、生きている実感を伴うらしい。

そういう意味で言えば、「もやもやもざわざわ」も生きていればこそ、起きること。


それよりもこのざわざわを実感して、気づいたことがある。
むしろこちらの方が私にとってはとても大事だった。


それは、

「感度が上がっていること」


空を見て
花を見て
音楽を聴いて
小説を読んで

以前だったら感動や幸せだーと思うことはなかったのに、同じ本を読み返しても、感動が大きいのだ。


一方で「この本は違う」と、たいていの本好きな私からすると、本を処分することは身を切られる感じがするのだが、もう自分には必要ないと感じる本を、見た瞬間にわかるようになってしまった。

手に持った瞬間にさえわかる。

そうしていま5冊くらい処分決定の本が目の前にある。


「自分のときめくものだけに囲まれて生きる」

ということを提案されているのは、こんまりさんだったと思うが、
まさにそうせざるを得ないようになった。


「違う」

という判断がすごく早く、且つそれがわかったら一時もここに置いときたくないのだ。


そして最後は「ざわざわ、もやもや」の解決方法。


事務的にやるべきことはもちろんやるのだが、
私の気持ちへの一番の特効薬は「好きなアーテイストの音楽」と「ピュアな心の持ち主の書いた文や本」「好きな人との会話」だ。

これによって、心がすーっと元に戻っていく。


かなり感度が上がり、少々繊細になっているのだと思うが、仕事には支障はない。
というか、支障の無い仕事の仕方に切り替えていることに気づいた。

1年先の未来もわからない時代なのだから、先の先の約束はしない、できない。
大学や専門学校で教えるのも、「一年は大丈夫だと思います」と勝手なことを
言わせていただいている。


自分がこれからどう変化していくのか、が自分でも全くわからないし、
変化したときにすーっとその変化した方向に進みたいから、先の約束はしないのだと思った。

安定とは程遠いが、
そもそもこんな時代に安定なんて無いのだから。


1年前から漠然とこうなるような気はしていたようにも思うが、こんな具体的には想定できていなかった。


そして本当に確信したことがある。


それは
若い人たちの役に立ちたい


これだけは20代の頃から、変わらないな、と確認できた。

それだけで十分。

時代や情勢がどう変化しようと、私の感じ方がどう変化しようと、
多分それだけは変化しないだろう。
そんな変な確信がある。

「思った通りになる」
「思った通りにしかならない」

という言葉があるが、多分そうなんだろうな、と毎日一つひとつわかっている日々だ。

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