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図書室の探偵①/③

「え、嘘……ない」通学カバンの中を覗き込みながら、私はつぶやいた。
 帰りのホームルームが終わり、これから部活に行こうとした矢先のことだった。

凪咲なぎさ? どうしたの?」後ろから麻利まりが訊いた。
 振り向くと、小柄でショートボブの彼女は不思議そうに私を見ていた。
「ないんだよ」私は青ざめた顔で言った。
「何が?」
「文化祭の……予算」
「ええっ、嘘っ。本当にぶっ」
 私は麻利の口を塞いだ。「ちょっと、大きい声出さないでよ。まだ人いるんだからさあ」
 反射的に周りを見渡した。教室にはまだ十人ぐらいのクラスメイトがいて、麻利が急に大声を上げたことで、二人の男子、岡崎と吉川がこちらを振り向いていた。
 私がキッとそっちの方を睨むと、二人は慌てて目線を逸らした。

「あ、ごめん。でも本当にないわけ?」
「ない。いくら探してもない。やばいよ。どうしよう、麻利」
 私は二年三組の文化祭の実行委員を任されていて、今日先生からその予算を支給され、責任を持って預かったばかりだった。
 その額、一万五千円。大金だ。そんな大金が入った茶封筒が、どこにも見当たらないのだ。ちゃんとカバンの中、クリアファイルに挟んでおいたはずなのに。

「よく探した? 意外と教科書とかノートに挟まってたりするかもよ?」
 私はカバンの中を漁りながら、首を横に振った。「企画書と一緒に、クリアファイルに入れたんだから。移動するはずがないよ」
「じゃあ、それって盗難……?」

 麻利のその言葉に、私はピタリと動きを止めた。
 麻利と目が合った。私の身長が百六十七センチあって、麻利は私よりも十五センチ低いから、必然的に彼女を見下ろす形だ。「本気で言ってるの?」
「でも、自然に考えたらそれしかなくない? 予算が勝手に移動する理由って」
「馬鹿言わないでよ。このクラスでそんなことあるわけないでしょ」
「あのさあ、凪咲。学校だって社会なんだよ。絶対に犯罪が起こらない社会なんて、絶対にあり得ないの」
 私は返答に窮した。それから苦笑した。「麻利ってさ、たまに大人っぽいこと言うよね」
「そうかな?」
「でも私、できることなら疑いたくない。麻利の言う通り、なんかの弾みで教科書とかに挟まっちゃった可能性、やっぱりあるかもしれない」
「わかった。私も手伝う」

 五分後、私と麻利は全ての教科書とノートのページをめくり、確認をした。
 だけど、問題の茶封筒はどこにも挟まっていなかった。
 私のカバンの中から、文化祭の予算は綺麗すっかり紛失していた。
「これではっきりしたでしょ?」麻利は私を見た。「盗難だよ、これ。誰か盗んだやつがいるってこと」
「意味わかんない。なんでそんなことするわけ」私は眉をひそめた。
「さあね。犯罪者の思考なんて、一生理解できないでしょ」
 私は机の上に散らばった教科書やノート類を、溜め息をつきながらカバンの中に戻していった。
「行こ、凪咲」麻利はカバンを肩に掛けた。
「行くって、どこに? 部活?」
「職員室」

 私はカバンを持つ手を止めた。「ちょ、ちょっと待って。先生に盗難のこと報告しに行くわけ?」
「当たり前じゃん。それ以外に何の用があんのよ」
「麻利さ、考えてみてよ。このことがクラスで公になったところで、犯人が自首すると思う?」
「え、それはどうだろ」
「私は思わない。盗難があったって事実がみんなの間で共有されると、余計に口を閉じるんじゃない? そうすると、私たちのクラスだけ予算がないわけだから、文化祭にも参加できなくなる」
「じゃあ、どうすんの?」
「一旦、先生への報告は保留にして、自力で犯人探せないかな? 誰にも話さないことを条件に、返してもらう、とか。あんまり事を大きくしたくないし、盗難のことが発覚しちゃったらさ、絶対空気悪くなるでしょ? そんなんで、文化祭に取り組んでいけるとは思えないんだよね」

 麻利は腰に手を当てて、溜め息をついた。「凪咲らしいね。優しいっていうか、なんていうか。それでいて、先を見据えてる? 私なんか、クラスの空気が悪くなるとか、今の今まで考えもしなかった」
 私は苦笑した。「まあ、これでも一応実行委員だからさ」
「でも、自力で犯人見つけるって、そんなことできるの? 推理みたいなこと」
「そこが問題なのよ。断言してもいい。私、絶対できない。向いてない」
「ええっ、何それ? お手上げじゃん。私だって無理だよ」

 私は顔の近くで手を合わせた。「ねえ、そういうの得意そうな人知らない? すっごい頭が回って、どんな事件でも解決してくれそうな人」
「そんな人、都合良くいるわけ……あ」
 麻利の肩を掴んだ。「何? 心当たりあった?」
「一人できそうな人がいた。瀬戸くん。二年特進の」
「瀬戸くん? 誰?」
「下の名前なんだっけな」麻利は腕を組んだ。「そうだ、カイトだ。痛快の快に人で、快人」
 瀬戸快人? 聞いたことない。基本的に、同じ学年でも特進科と普通科とではほとんど交流がないから、当然と言えば当然かもしれない。

「私自身、直接の面識はなくて、結城さん伝に聞いた話なんだけどね」
 結城さんなら私も知っている。彼女のクラスは特進だけど、私と麻利と同じ女子卓球部員だから、毎日顔を合わせている。
「その瀬戸くん、嘘みたいに頭が切れるんだって。特進の中でも、成績は常にトップで」
「へえ、じゃあうちらの学年で一番頭が良いんだ」
「そういうこと」麻利は頷いた。「でも、瀬戸くんの凄いところはここからなの。先月に、特進クラスで盗難事件があったらしいんだけど、知ってる?」
 私は首を横に振った。
「短い期間で、何人もの財布が盗まれる騒ぎがあって、でも犯人は全然見つからなかったの。その間、瀬戸くんはずっと無関心を貫いてたらしいんだけど、今度は自分の財布が盗まれると、怒ったんだろうね、犯人探しに躍起になって。みんなの前で推理を披露して、その日のうちに犯人を突き止めちゃったわけ」

 私は口に手を当てた。「うっそ。本当に? 超凄いじゃん」
「でしょ? 瀬戸くんって帰宅部なんだけどさ、放課後いっつも図書室にいるから、結城さん、陰でこう呼んでるみたい」
「何?」
「図書室の探偵」
「探偵か」私は笑みを浮かべた。「やだ、頼りになりそうかも」
「だから、瀬戸くんなら、なんとかしてくれるんじゃないかなって」
 廊下側の窓の向こう、グラウンドで野球部が準備体操をする威勢の良い声が聞こえてきていた。それに混じって、サッカー部がゴールを運搬する音も聞こえる。

「麻利、ありがとう。図書室にいるんでしょ? 私行ってみる」
「部活は? 今日は休む?」
「ううん、遅れてからでも行く。インハイ予選近いし。小泉先生には腹痛って言っといて」
 うちの学校、三浦海岸高校の文化祭は毎年六月に行われる。
 この時期に開催する理由は、二学期以降、受験生が勉強に専念できるようにとの配慮らしいが、卓球部と文化祭の実行委員の二つを掛け持つことは、結構大変だった。

「わかった。ごめんね、手伝ってあげらんなくて」
「何言ってんのよ。麻利が『図書室の探偵』のこと教えてくれたんじゃん。それに、この時期に副部長の不在はまずいでしょ?」
 麻利は苦笑して、小さく頷いた。
 前田麻利は二年にして副部長に抜擢されるほどの実力の持ち主なのだ。戦型は右ペンホルダー、表ソフト速攻型。
 インハイ予選の団体戦と個人戦の出場メンバーはまだ発表されていないけど、麻利の出場はどちらもほぼ確実だろう。もちろん、私だって諦めていない。

 教室の外、閑散とした廊下で私と麻利は別れ、それぞれの目的地に向かって歩き出した。私は図書室、麻利は体育館。
「あっ、凪咲。一個言い忘れてたっ」二十メートルほど先から、麻利が大声で言った。
「何?」私も同じくらいの声量を出した。
「その探偵くん、結構気難しい性格みたいだから気をつけてねっ」
 おっさんかよ、と私は内心突っ込みを入れながら、「わかったあっ」と手を振って答えた。

 階段を駆け下りて、二階にある図書室の前にたどり着いた。
 学校の図書室なんて滅多に来ることがない私にとって、扉を開けるのはほんの少しだけ勇気が必要だった。

②へつづく

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