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自作短編小説『ため息の彼方』 第8話「ダイアローグ」

 「え、、、。えっと、その、私たちは日本語を話しているんじゃないんですか、、、?」と私は完全にたじろいだ。どういうことだ。全くわけが分からない。彼女は私を困惑させることばかり言う。
「違うわ。私はフランス語を話し、同時にあなたは日本語を話しているの。私たちは最初からずっと異なる言語同士で会話をしているのよ」と彼女は微笑んで言った。

 私は混乱を体現したような表情をしていた。そのことは窓に映る自分の顔を見て、よく分かった。私はフランス語を話せない。まともに学んだ経験もない。それなのに私は彼女の話すフランス語を理解している?いや、違う。彼女はフランス語を話しているらしいが、私にはどう頭を捻ってもそれは日本語にしか聞こえていない。私はまさに混乱の渦中にいた。知らない言語が日本語に変換されている、、、?じゃあ、通りで私が話しかけたあの男性も本当は日本語を話していなかった、、、ということになるのか。

 彼女は混乱し続ける私に向かって話し続けた。
「こういう現象のことを、この世界では『意識の同期現象』って呼んでるわ。理屈を簡単に言ってしまえば、私たち二人の意識の間で、量子もつれという状態が発生しているの。量子もつれは、互いの意識が何らかの形で相互接続して同期するような状況を作り出す役割をしているのね。要するにその状態が維持されると、それぞれが話す異なる言語を、脳が自分の主要言語に自動的に置き換えてしまうのよ。そうやって共有し合うことで、お互いの話している内容を瞬時に理解し合うことできるんだけど、時々自分が話している言語と同じ言語を、相手も話していると錯覚することがあるのね。まぁ、こういうことってこの世界では往々にしてあることだから、特に珍しい現象ではないわね。それはさすがに、あなたの立場からした信じられない話かもしれないだろうけど」と彼女はやはり日本語で話した。

 いや実際は日本語を話しているのではないのだろう。確かに彼女の口の動きには外国映画の吹き替えのように、実際に話している言葉と多少のズレがあるような気がした。しかしそれは言われてみなければ気が付かないレベルのズレだ。
 
 はっきり言って私は、先程から彼女が何を言っているのか殆ど理解できなかった。というより、ずっと私の理解の範疇を超えた話が多過ぎて、理解しようという気力さえ残っていなかった。それでも私はどうしてそんなことが起きるのかを知りたくなった。本質を分かっていないくせに、やたらとその原因を知りたがるのは私の悪い癖だった。それでもそれについての疑問を彼女にぶつけたくなった。

 「どうしてそんなことが起きちゃうんですか?」と私は訊いてしまった。どうせ訊いても理解できないことを理解できているにも関わらず。
「この世界ではね、少し意識すると、他人と量子レベルで繋がってしまうということが日常的に起きているのよ。その原因が量子もつれね。量子もつれは、私たちの意識の核となる量子情報の一部を、お互いの脳がそれぞれ伝達して、その内容を読み合うような現象を作り出すの。そして現に、この世界ではそうした量子もつれ状態を利用して、量子テレポーテーションを実現させるテクノロジーが様々な分野で流通しているわ。まぁ、その詳しい仕組みは私にはよく分からないけれど、とにかくここはその量子もつれが自然に、それも頻繁に起こってしまうような世界なの」
「量子テレポーテーションって、人工的に開発できるものなんですか」と私は訊いた。
「えぇ、そうよ。転送できるのは最小単位の情報のみだけどね」と彼女は言った。
「なるほど、、、」と私は曖昧に理解して言った。

 外の景色は、水平線の向こうから殆ど日が顔を出しつつあった。厳密に言えば、実際それは太陽ではないのだろう。おそらく太陽と同じ役割をした別の天体だ。空にはだんだんと暗い青が薄れていき、明るい赤と黄を融解させたオレンジに近い色合いをするようになっていた。海はそれらを投影して、その輝きを反射させていた。窓のすぐ先にある数棟の高層ビル群も同様の輝きを反射させていた。私と彼女はその美しい光景を眺めていた。

 ビーチの方を見ると、座礁人形たちが海の方へと一斉に引き返していた。統率が取れたように全員が同じ動作で歩き、やがて海へと浸かって行った。そしてそのまま直立の状態で、海の中へと消えて行く。
「彼らは夜行性なの」と彼女は言った。「陸地で活動できる時間帯は夜に限られていて、完全な日の出になると海の方へと引き返して行くのよ」と続けて言った。

 私たちは座礁人形の最後の1体が、海の中へと消えてしまうまでその様子を眺めていた。
「さて、彼らも海に帰ったことだし、私たちも席に戻りましょう」と彼女は提案した。
私はその少しセンスの効いた提案に従った。「えぇ」と私は頷いた。それからカーテンが自動で左右に閉まった。

 私たちは先のダークブラウンのテーブルを囲む椅子に、それぞれ対面するように座った。
私は正面の彼女に、ふと疑問に思ったことを訊いてみた。「座礁人形が、壁を通り抜けることはないんですか?彼らは、量子の働きが活発だっておっしゃってたから」
「うぅん、それはないわ。確かに、座礁人形を構成する量子は、かなり強い働きをしていることは事実よ。でも、さっきも言ったように私たちのマクロな世界では、エネルギーの観点から言って生物が壁を通り抜けるなんてことはまず不可能なの。あなたのように、完全に量子状態にある存在を除けばね」と彼女は言った。

 「そうなんですね、じゃあ、それはとても安心なことですよね。座礁人形たちがこっちに来ることができないのなら」と私は言った。
「えぇ、その通りよ。それにどのみち座礁人形は海から一定以上の距離を離れることはできないのよ。海から離れ過ぎてしまえば、彼らはゼリーみたいにドロドロに溶けて消滅しちゃうから。そうね、、、砂浜の先にある雑木林の入り口くらいまでが、彼らの活動限界距離ってところかな。だからそもそも座礁人形は壁に近付くことさえできないの」

 「そうだったんですか、、、。それなら、ビーチの中で林は、座礁人形の脅威から逃れられる安全地帯になっているんですね」と私は言った。
彼女は頷いて肯定した。「それとあの壁は、津波が起きた際の防波堤の役割もしているの。その津波に乗じて、都市に近付こうとする座礁人形を食い止めるための役割もね。結局のところ、一番恐ろしいのは自然災害だわ」と彼女は言った。「それでも、座礁人形たちが恐ろしい存在であることに変わりはないけれど」と続けて彼女は言った。

 「座礁人形って、その、一体何なんですか?」
彼女は私を見つめて、それについて答えた。
「この星の先住民よ。およそ140年前人類がこの惑星に降り立った時、すぐに人類は座礁人形の虐殺を開始したわ。言うなれば、侵略行為ね」


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