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短編小説「ドーナツショップ」

 放課後、私と莉奈は駅前のドーナツショップ、『ゴールデンドーナツ』にいた。
窓際のテーブル席に座って、それぞれが頼んだドーナツを頬張る。

 私が定番のチョコレートドーナツと、アイスティー。
莉奈はハニードーナツと、レモネード。

 私たちは二人とも高校で吹奏楽部に入ってはいるものの、全国大会に一度も出場経験のない弱小校。なので、部の実態はかなりゆるい。休日も週二回ある。
担当楽器は私がトランペットで、莉奈はフルートなんだけど、二人とも腕前はそこそこだ。

 そして今日みたいな部活がない日は、駅前のドーナツショップに寄ったりするのが、放課後の暇を持て余す私たちの日課になっていた。

 でも、今日の私たちの雰囲気はいつもとは違う。
いつものように平和でお気楽で能天気な女子高生ではない。

 莉奈は、私に重大な話があるらしい。
彼女が言うには、話の内容は間違っても学校では言えない種類のようだ。
どこか落ち着いた場所で話したい。
それなら、いつものお店で話をしようということになり、今こうして私たちはゴールデンドーナツの店内で向かい合っている。

 でも、目の前の莉奈はなかなか話を切り出す気配がない。
ドーナツをかじっては、レモネードを飲む動作を繰り返す一方だ。
痺れを切らした私は、自分から本題に持っていくことにした。

「ねえ、そろそろ教えてくれない? 学校じゃ言えない話って、なんなの?」
「あ、待って。これ食べ終わってから、ちゃんと話すから」
 莉奈はそう言って、またハニードーナツをかじり、それをレモネードで流し込んだ。

 食べながらじゃ駄目なの? はしたないから?
でも、今までも私たちはドーナツを食べながら、くだらない馬鹿話とか他人の恋愛話に講じてきた。
じゃあ、今日に限って食べながら話せないのはどうして?
食事中に話すのは憚れるほど、深刻な内容なのだろうか。

 色々な疑問が脳内を渦巻きながら、私もチョコレートドーナツをかじった。

 隣の窓の外を見ると、ちょうどモノレールが通り過ぎていくところだった。
レールから吊り下がったタイプのモノレール。千葉市内では見慣れた光景だ。

 駅前のロータリーを行き交う車、帰宅途中の学生、マクドナルド、音楽教室、銀行、学習塾。
ビルとビルの隙間から覗く西日が、ちょっとだけ眩しい。
そんないつもと変わらない風景を横目に見ながら、いつもと少し違う様子の莉奈がドーナツを食べ終わるのを、私は待った。

 二、三分経って、私も莉奈もドーナツを食べ終わっていた。
莉奈は口元についた砂糖を、紙ナプキンで丁寧に拭いている。それからレモネードを一口。

「さっ、これで話してくれるんだよね?」
「うん。ただ、その前に一つ」莉奈は人差し指を立てた。
 私は眉根を寄せた。「何?」
「沙也香さ、今から話すこと、誰にも言わないって約束できる?」
「ええ、どんな内容かも分かんないのに?」
「だってこの話が他に漏れたらさ、うちらのクラス、崩壊するかも分かんないから」
「え? クラス? 崩壊? どういうこと?」

「とにかくっ、このことが広まったら、絶対にまずいわけよ」
「そんなにまずいの?」
「うん。グリーンピースくらいまずいの」
「え、それは大ごとじゃん」
 グリーンピースは、莉奈の唯一と言っていいほどの苦手な食べ物だ。

「かと言ってさ、一人で抱え込む勇気はなかったんだよね。沙也香とは共有したかった。勝手だとは思うけど、約束してほしいんだ」
 莉奈は真っ直ぐな視線を私に向けた。
莉奈のいつになく真剣な表情に押され、「分かった」と私は答えるしかなかった。
「助かるよ、ありがとう」

「まっ、安心しなさいよっ。私の口の硬さは、隕石並みだからね」
「隕石ってさ、普通壊れない?」
「細かいことはいいのっ。それで、肝心の話は一体なんなのよ?」
「今から話すつもりですう」莉奈は唇をすぼめて言った。「じゃあ、言うよ。私さっきさ、教室に筆箱置き忘れたから、取りに戻ったじゃない?」
「うん。忘れ物はあんたの専売特許みたいなもんだね」
「るっさい」

 放課後、学校を出た後、机の中に筆箱を置き忘れたことに気づいた莉奈。
私と莉奈は踵を返し、学校まで戻ることになった。莉奈は昇降口で私に待っているように言い、一人で階段を駆け上がっていった。
たった三、四十分前の出来事だ。

「それでね、うちらのクラスに着いたらさ、教室の中にまだ一人だけいるのが、廊下から見えたの。誰だと思う?」
「わかんないわよ、そんなの」私は苦笑した。
「中谷さん」
「ふうん」

 中谷京子。成績優秀、真っ直ぐで明るい性格。担任の斎藤からも厚い信頼を寄せられている。
クラス委員を務める一方で、バレー部に所属(しかも副部長)しているバリバリの体育会系。責任感が強くて、私たち二年二組の頼りになる存在。
しかも、透き通るような美人。

「で、中谷さんが教室に一人でいたんだけどね、何してたと思う? 中谷さん」
「だから、わかんないってば」私はまた苦笑した。「勉強とか? あ、勉強なら図書室行くかな」
「金魚食べてた」
「は?」
「金魚を、食べてたの」
「誰が?」
「中谷さんが」
「え、意味分かんない。何言ってんの?」

 中谷さんが、金魚を食べていた? そう言った莉奈の言葉が、私の耳には上手く現実感を持って入ってこなかった。

「私だって、何かの間違いだと思ったよ。廊下に立ち尽くしてさ、もう文字通り絶句してた。でも実際に中谷さんが、金魚を食べてたの」
「ねえ、本気で言ってる? なんかの冗談だよね?」
 莉奈は首を振った。「こんな悪質な冗談言わない。私、中谷さんのこと、普通に尊敬してたし」
「金魚って……クラスで飼ってるやつ?」
「そう」莉奈は頷いた。

 私たちのクラス、二年二組では担任の斎藤の担当科目が生物で、趣味がアクアリウムなことも手伝って、教室の後ろで数匹の金魚を飼育している。
初めは当番制のエサやりが面倒くさそうだな、とか思ったりしたけど、小さな水槽の中を自由気ままに泳ぐ金魚たちを見ると、結構可愛いな、とか最近は思ったりする。

「中谷さん、水槽の中に躊躇なく手突っ込んでさ、一匹を手に取ったの。私、口に手を当てて、その様子をじっと観察してた。見つからないように、廊下から教室の窓をこっそり覗いて。
で、彼女、金魚を口の中にパクっと入れたのよ。それをゴクリと呑み込んだのも、ちゃんと見えた。私怖くなって、一目散にその場を離れて、昇降口まで駆け降りた。もう、あまりの衝撃で筆箱のことなんか忘れちゃってさ」

 中谷さんが、水槽の中の金魚を手掴みして、それを食べた。
あの中谷さんが? いや、中谷さんじゃなくても、クラスで飼っている金魚を食べるなんて、かなり異常だと思う。普通なら、小学生でもやらない。
今月の頭、教室で飼っていた一匹の金魚が水槽の中から消失していた事実が、ふと脳裏を過ぎる。
「沙也香、これどう思う?」
「どうって、それが本当なら、かなりヤバいと思う」

 確かに、クラスメイトが金魚を食べていたという話は、ドーナツを食べながら話すのにふさわしい内容じゃない。

「あのさ、嘘じゃないんだよね? 本当なんだよね?」
「誓って本当。私だって、今でも信じられないくらいだし。それに、こんな嘘ついても、私に何の得もないし。中谷さんが金魚を食べるなんて、そんな冗談、天地がひっくり返っても思いつかないわよ」

 そうだ。到底、莉奈が嘘をついているようには見えない。
一年以上親友をやっていれば、嘘をついているかどうかなんて、多分見破れる。
それに、それに莉奈は他人を貶めるような嘘をつく人間じゃない。
つまり、莉奈は本当のことを言っている。
中谷さんは実際に金魚を水槽から出して、それを食べた。

「じゃあさ、『金魚消失事件』の犯人って、中谷さんの可能性があるってこと?」私は訊いた。
「そういうことになる、よね」

 金魚消失事件。
今月に入って、私たちのクラスで飼っていた金魚の一匹が、水槽の中から消えていた。
そのことについてはホームルームの時間を使って、何度もクラス会議をした。
だけど結局、誰が金魚を水槽から出したのか、それはまだ分かっていなかった。

 でも今、金魚消失事件の犯人は中谷さんの可能性が高いということになる。
シンプルに考えれば、そうなる。

「あ、だからこの話が広まれば、クラスが崩壊するかもって言ったのね。あんた」
「そうそう。中谷さんがやったことが認知されちゃったらさ、うちらのクラス、終わりじゃない?」
「確かに」私は小さく頷いた。

 ただでさえクラスの可愛い金魚が一匹いなくなって、みんな不信感を抱いていたのだ。
犯人が誰かも分からないし、当然その動機も分からない。
最近の教室はどこか不穏な空気が漂っていて、誰もが疑心暗鬼になっていたと思う。

 だからこそ、最も犯人の疑いから除外されそうな彼女、中谷さんが金魚を食べていたという噂が広まれば、私たちのクラスは間違いなく危機に陥るだろう。
だって、これまでクラスを引っ張って、まとめてきたのは、他でもなく中谷さんなのだから。
金魚事件のクラス会議で、率先して進行役を務めていた中谷さんの姿が甦る。

「ねえ、莉奈。やっぱりあんたの言うように、この話はここだけにしといた方がいいよ」
「だよねえ」莉奈はレモネードを啜った。
 私もアイスティーを口にした。心なしか、少し味が薄くなっている気がする。

「でもさあ」莉奈は呟いた。
「ん?」
「金魚事件の犯人がさ、中谷さんだと仮定するでしょ? つまり、一匹目も中谷さんがやったと」
「うん」
「だとすると中谷さん、なんでそんなことするんだろ」
「ストレス発散……かな? いつもみんなに頼りにされてて、そんな期待に答えなきゃいけない自分に疲れて、やっちゃった、とか?」
「あり得るかもねえ。クラスメイトや斎藤への反発心、的な? だからクラスの象徴的な存在の、金魚を食べちゃった。二匹も」

 一匹目が消えた理由は彼女の胃袋に放られたからか定かではないけど、二匹目と同じ手口で消えた可能性は確かにある。

「ううん。だけど私たちも、反省しなきゃね」私は言った。「彼女ばっかりクラスのまとめ役を任せるのは、やっぱり身勝手だったと思う」
 そう。この事件は、クラス全員に責任がある。中谷さんが、犯人だと仮定しての話だけど。
「にしても、金魚の踊り食いとはねえ。豪快過ぎるでしょ」莉奈は苦笑いした。

「あっ」私は呟いた。
「どした?」
「莉奈、やっぱり言おう。今回のこと」
「ええ、急に何言い出すの? 沙也香も同意したじゃん。中谷さんのやったことがみんなに知れ渡れば……」
「そうじゃなくって、中谷さんだけに聞くの。金魚事件の犯人が本当に中谷さんなのか、確かめようよ」
「え、それって結構勇気要るじゃん」
「莉奈は見たんでしょ? 中谷さんが金魚を食べる様子を」
「ばっちり見た。他人の印象を下げるような嘘、私、絶対つかない」
「うん。分かってる」私は頷いた。「一匹目も、中谷さんが犯人の可能性が高いわけだよね?」
「まあ、状況的に一番怪しいのは中谷さんだよね」

「じゃあ、金魚消失事件はさ、同一犯による連続消失事件、ってことだよね。それなら、中谷さんのことを見て見ぬ振りしてたら、今度は三匹目の犠牲が出るかも」
「あっ」
「中谷さんを止めないと。一人でいる頃合いを見計らって、私たちで話を聞くの。これ以上、教室から金魚いなくなってほしくない。
それに私、中谷さんの気持ちが知りたい。どうしてそんなことをしたのか、彼女の口から直接話してほしい」

「そうだね。沙也香の言ってること、正しいよ。それが最善だと思う」
「ありがとう」私は少し笑みをこぼした。
「中谷さん、まだ学校にいるよね。今バレー部の練習中じゃないかな」
「今から、行ってみる? 思い立ったが吉日ってやつ」
「賛成」莉奈は片手を挙げた。「すぐに行動に移せる沙也香のそういうとこ、私好きよ」
「やめろっ。告白すんなっ」

 私たちは席を立ち、ゴールデンドーナツを後にした。
数百メートル先の学校までの道のりを、勢いよく走り出す。
息は弾むし、気が重いけれど、それでも私たちの足が止まることはない。

「いい? 中谷さんが犯行を認めても、私たちからそれを口外することはしない。中谷さん自身が、みんなに自供するのは別。オーケー?」
「意義なしっ」
 夕日に染まる街の中、莉奈の快活な声が響き渡った。

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