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自作短編小説『ため息の彼方』 第10話「ブレックファスト」

 「具体的には、私はどうすればいいんでしょうか」と私は訊いた。
「そうね、量子テレポーテーションの仕組みを応用した電話は、公共施設なんかに設置されているって言ったわね」と彼女は確認するように言った。
「えぇ」私は同意した。
「それで、ここからその電話機が最も近い場所というと、、、。あぁ、あそこだわ、公立図書館よ」

 「図書館?」
「そう。私の記憶が正しければ、その図書館前の広場に設置された電話ボックスがそれに該当するはず。このアパートメントから大して遠くなくて、歩いて数分程度の距離にそれは設置されてるわ」と彼女は言った。
「じゃあ、それを利用すれば、、、」と私は言いかけた。
「おそらく帰還できるわね」と彼女は捕捉した。

 「電話ボックス内の電話機の使い方を教えるわね。まず最初に受話器を上げて、それから硬貨を投入するの。ここまではあなたの知っての通りだと思う。そして次に、詳細な時代設定をプッシュボタンを押して行うのよ。あなたのいた世界の年月日を、合計6桁から8桁の数字で入力するの。あぁ、ここでは、日、月、年の順序だから気を付けてね。その時代設定を行った上で、同じプッシュボタンを押してあなたの部屋の電話番号を入力していく形になるわ。何か質問はある?」
「いえ、ありません。大丈夫です」と私は言った。これまで彼女が話していた高度な内容の話と比較して、今の話の内容のレベルは簡潔であり、分かりやすかった。そのため私はその手順を完璧に覚えることができた。

 「あぁ、電話を使うには当然、料金が必要になるわね」と彼女は言って、ポケットから黒い財布を取り出した。そしてそこから一枚の硬貨を抜き取った。
「はい」と彼女は言って、私のすぐそばにそれを置いた。
テーブルの上には、天井のシャンデリアの青白い光に照らされた銀色の硬貨が輝きを放っていた。それは、たった今発行されたとでも言わんばかりの綺麗さだった。

 「いいんですか」
「当然じゃない。ここまで長々と仮説を披露しておいて、必要な手段は提供しないってなると、私って一体何なの」と彼女は笑って言った。
「ありがとうございます、、、」と私は噛み締めるように言った。私は本当に良い人と巡り会うことができたということを改めて実感した。
私はテーブルの上の硬貨を手に持った。硬貨は私のよく知るサイズと同程度で、私の知らない西洋人の男性の顔がそこに刻印されていた。私はそれをジーンズのポケットに入れた。ポケットの奥まで慎重に押し込んだ。

 「その電話ボックスがある公立図書館前の広場までのルートだけど、このアパートメントの正面玄関を出た後に、左手に4ブロック進むのね。それからその角を左に折れて、、、」と彼女は言いかけた。「いや、紙に書いた方が伝わりやすいわね。ちょっと待って」
「あっ、はい」と私は言った。

 彼女はテーブルから離れ、壁際の戸棚に向かった。それからペンと手帳を持って戻ってきた。そして手帳から紙を一枚抜き取り、テーブルの上にそれを置いた。
「地図を描くのはそんなに得意ではないんだけど、、、」と言って、彼女は紙の上に線を引き始めた。その上に線や図形が徐々に浮かび上がっていった。

 「こんな感じね。ルート自体は簡単なんだけど、口で説明するよりも、一応地図があった方が安心でしょ」やがて彼女はそれを描き終えて言った。そして私にそれを手渡した。
私は礼を言って、それを受け取った。確かに彼女の描いた地図は簡単なルートだった。とても分かりやすく簡潔に、目的地までのルートが描かれていた。そして私のような余所から来た人間からすれば、地図の存在は確かに心強い気がした。時間も空間も自分の意思とは無関係に超えて来てしまった余所者からすれば、それは尚更のことだった。私はその地図を四つ折りにして、硬貨と同じくジーンズのポケットに入れた。

 「それと、大事なことだからもう一度言うわね。電話をかける際には、繋がりたい相手を強くイメージして発信するのよ。つまり、それはあなた自身のことね。それから何か根拠があるわけではないんだけど、帰りたいという意識をちゃんと持った方が良い気がするわ。あなたが眠ってしまう前、つまりこちらの世界に来訪してしまう直前の自分自身を思い浮かべて、それを強く意識するの。それらの状態を維持しながら電話をかけると、あなたのいた世界に戻りやすくなるんじゃないかな」と彼女は言った。

 「過去の私自身を思い浮かべながら、帰りたいと強く意識するんですね。分かりました、必ずそうします」と私は言った。帰りたいという意識。なるほど、それは確かに関係ありそうだ。
彼女は頷いた。「だってほら、実際に量子テレポーテーションを実現させるための電話をかける際に人間の意識が重要な要素なら、もっと明確な目的を持って電話をかけた方が良いはずだわ。つまりは、人の意識にそういう未知のパワーが本当にあるんだとすれば、きっとその方が効果は上がるはずだからね。まぁ、最もその法則は現代でも実証されていないんだけど」と彼女は言った。

 私は頷いた。「私たちの意識に未知のパワーがあるかもしれないって考え方、とても素敵です。そういうのって何だかロマンがあるから」
「そうね、とてもロマンがあるわ」と彼女は肯定した。

 「それと、出発はもう少し時間が経ってからにしたら?まだこっち側は暗いから、夜道は少し危険だわ。夜間はあまり治安が良くないの。夜が明けるまでのしばらくの時間、この部屋にいたらどうかしら」と彼女は言った。
「そうなんですね。はい、じゃあ、お言葉に甘えて。そうさせてもらいます」と私は彼女のアドバイスに従うことにした。一つの空間に二つの時間帯が存在する現象については敢えて訊かなかった。私のキャパシティはもはや、不可解な現象を理解するための限度を超えていた。

 「その間、良かったら朝食一緒にどう?」と彼女は訊いた。
「良いんですか」
「勿論よ。食事しながらでも、あなたの世界のこと聞かせてよ」
「はい、是非」と私は応じた。私はいつの間にかお腹が空いていることに気付いた。「すみません、、、何から何まで」と私は言った。
「うぅん。だいたい私、いつも朝食はこの時間帯に食べるからちょうど良いのよ」と彼女はそう言って、テーブルの椅子から立ち上がった。
「少し待ってて。普段私がよく作るメニューだけど、あなたの口にも合うと思うわ」と微笑んで言い、奥のキッチンへ向かった。

 一体どんな料理が出てくるんだろう。その疑問には大きな期待と少しの不安が含まれていた。しかしレモネードはとても美味しかった。状況的な要因も大きいだろうが、体感的に地球で飲んだことのあるどのレモネードよりもそれは美味しかった。とにかく私は彼女が作ってくれる料理、地球とは異なる501年後の惑星の料理を待つことにした。

 しばらく待って、彼女が料理の乗ったいくつかの皿を運んできた。私は立ち上がって、一緒に運ぶのを手伝った。

 テーブルの上に並べられた品々は、クロワッサン、ベーコン、ソーセージ、マスカット、コーヒー、と私のよく知っている料理の数々だった。テーブルを挟んで、私たちはそれらの食事を摂り始めた。彼女の作ってくれた朝食はとても美味しかった。私は普段、節約のために朝食は簡易に済ませることが習慣になっていたため、こんなに美味しい朝食は久しぶりだった。

 彼女の話によると、この世界では量子コンピューター上で動物や農作物の遺伝情報を管理して、それらを人工的に交配することにより無限にクローンを産出することが可能らしい。そしてそのテクノロジーの恩恵で、この惑星でも地球時代の殆どの料理を食べることができると彼女は話していた。そんな驚異的なテクノロジーの段階を踏んで作られた朝食を食べながら、私たちはテーブルを挟んで様々な話をした。

 それは主に、私個人や私のいた世界の話が中心的だった。以前は出版社に勤めていたが、今はフリーランスのライターをしていること、その仕事を取り巻く私の日常生活、世間での流行や記憶に残る大きな出来事、そんな話だ。拙くはあるものの、私の知っている社会や国際情勢について、さらには今年は彼女の出身国であるフランスのパリでオリンピックが開催される予定のこと、そんな話もした。因みに、前回の開催地である日本の東京オリンピックは、とある深刻な事情から開催が1年延期された上に無観客で大会が行われたことも話した。彼女はそれらの話をたまに質問を交えながら、熱心に聞いてくれた。私はなぜだかそのことが嬉しかった。

 「あなたの世界は本当に楽しそうね。それは、勿論大変なこともあるだろうけど、私からすれば平和そのものだわ。できることなら、私もそっちで生活したいくらい。こことは違って、自由で豊かで希望に溢れてて、、、」と彼女は言った。
私は返す言葉が見つからなかった。そして私のいた世界は恵まれた環境にあったのだと、私は深く実感した。
「ごめんなさいね、変なこと言っちゃって。気にしないで」
「いえ、そんな、、、」

 「あちらは朝が到来したようね」と彼女は言った。
その直後、私の背後のカーテンが再び自動で左右に開いた。意識でカーテンを開けられるテクノロジーが搭載されているのだろうか。

 窓の外はエメラルドグリーンの空が広がっていた。海はその色を映し出し、煌びやかな光を纏っていた。美しい景色だった。
「こちらの都市でも夜明けが訪れている頃だわ」
私は頷いた。それを理解したという意図を込めていた。私がこの部屋を出るべき時間帯がやって来たわけだ。

 やがて私たちは朝食を食べ終え、窓の外の景色を少しの時間眺めていた。その間、部屋の中は殆ど沈黙に包まれていた。それから私は彼女の方を振り向いた。彼女も私を見返した。
「本当に、ありがとうございました。あなたには感謝してもしきれません。だって、あなたのおかげでこうして私は、、、」
彼女は私の言葉を遮るように首を振った。「大したことはしてないわ。それに感謝の気持ちを持つのは、無事にあなたの世界に帰ってからね」と彼女は微笑んで言った。
私は頷いた。

 それから私たちは広い一室を出て、細長い廊下を歩き、玄関の扉の前に立った。
「あなたは私の恩人です。このことは決して忘れません」と私は少し感極まって言った。
「恩人だなんて、そんな大層なものじゃないわ。ただ私たちは、短い間だったけれど良き友人同士になれたわね」
「そうですね。私もそう思います」

 それから私たちはどちらからともなく握手を交わした。彼女の手からは暖かい温もりを感じられる気がした。
「途中で寄り道なんてしちゃ駄目よ。真っ直ぐ家に帰ることを専念するの、良い?」
「えぇ、分かってます」
彼女は微笑んだ。
私も少し微笑んだ。

 彼女は扉の鍵を開け、前と同じように扉が閉じないように片手で支えてくれた。私は会釈をし、外の廊下に足を踏み出した。
「じゃあ」と私は頷いた。
「えぇ」と彼女は言った。
「本当にありがとう」
「気にしないで」
私たちは互いに手を振り、そして私は歩き出した。

 エレベーターまで再び長い廊下を歩いた。そこには相変わらず人影はなかったし、部屋からの物音もしていなかった。やはりそこは静寂な空間を保っていた。私はエレベーターにたどり着き、下降用のボタンを押した。しばらくしてエレベーターの扉がゆっくりと開き、私は乗り込んだ。1階のボタンを押し、閉扉のボタンを押した。それからエレベーターは下降していった。

 扉がゆっくりと開き、私はロビーに降りた。ロビーには誰もいなかった。先程窓辺のテーブル席で新聞を読んでいた男性の姿もそこにはなかった。私は正面玄関まで向かった。大理石の床の上を歩く黄色のスニーカーの足音が、誰もいない広いロビーの空間に響いた。私は巨大なガラス扉のエントランスを出て、外に降りた。



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