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【短編ミステリ】泳げないプール(1)

学園青春ミステリ(短編)です。
突如として高校のプールの水が消えた謎を、元水泳部で受験生の女子高校生が、推理で爽やかに真相を導き出すという内容になります。ひとつのエピソードにつき、約3000字前後で、全5話を予定しています。
以前投稿した『夏の朝、推理するわたし』↓の続編となりますが、読むにあたって順番は特に問題ありません。

 自分では意識していないつもりだったけど、自然と顔に出ていたらしい。
 出し抜けに、
沙希さき、嬉しそう」
 と凛に指摘されたのだ。苅谷かりや凛らしい、どこか悪戯っぽくて茶目っけのある言い方だった。
 わたしはあえて照れを隠さずに、正直に応える。
「そりゃあ、嬉しいよ。だって、ずっと楽しみにしてた夏限定の新作、今日からなんだもん」
 わたしと凛は、どちらからともなく笑みをこぼした。

 四時間目の数学が終わり、晴れて自由の身となったわたしたちは、お昼時の廊下を連れ立って歩いていた。
 わたしたち二人の他にも、夏期講習を終えた何人もの同級生たちがぞろぞろと同じ方向に進んでいて、お世辞にも広いとは言えない浜野はまの高校の廊下は少し混み合っている。

 夏休みが始まって、今日で六日が経つ。それは、夏休み初日から開始された高校の夏期講習が、同じく今日で六日が経つことを意味する。
 夏期講習の特別授業は八時半から十二時半までだけど、それでも四時間は長い。長い苦行を終えたばかりのわたしたちは、これから至福を堪能しにいくのだ。ドーナツという名の至福を。

 目的は、〈クランキー・クリーム・ドーナツ〉、夏限定の新作。『COLD SUMMER VACATION』と題された今回の企画では、サイダー、メロンソーダ、クリームソーダをそれぞれモチーフにしたドーナツが期間限定で販売される。
 もちろん今日、三つとも全部食べるつもりだ。

 一週間前から、この日を待ち遠しにしていた。この日のために夏期講習を頑張ってきたと言っても過言じゃない。
 これこそが、わたしの口角が自然と上がる理由だった。

 階段を下りながら、溜め息混じりにつぶやく。
「クランキー・クリーム、やっぱり混んでるかなあ」
 隣から、凛の落ち着き払った声が返ってくる。
「混んでると思うよ? 期間限定のドーナツ、今日からなんだし。しかも、千葉市内には一店舗しかないし」
「だよねえ。なんで千葉駅店だけなんだろ? 船橋には三店舗もあるのに」
 そう不満を漏らすと、凛が苦笑した。

 一階まで下りる。昇降口に向かおうとするところで、凛が急に立ち止まった。
 わたしも足を止め、
「どうしたの?」
 と訊くと、
「ねえ、あれ宮内みやうちくんじゃない?」

 凛が指差した先、昇降口向かいの掲示板の前に立っているのは、確かに同じクラスの宮内聖也だった。
 元テニス部で成績優秀、そこそこ顔が良いからか、一部の女子にモテる。もっとも、わたしは全然タイプじゃないけど。
 凛が首を捻る。
「テニス部引退してるし、夏期講習にも参加してないし。……宮内くん、なんで学校来てるだろ?」
「さあ」
 と、生返事する。何かの掲示物を、熱心そうに見入っている宮内の横顔を眺めながら、わたしは短いあくびをした。

 不意に、凛がこちらを振り向く。二つ結びの髪が、小さく揺れた。そしてぱっちり二重の目には、好奇の色が浮かんでいる。
「訊いてみよっか」
「ええっ」
 気乗りせず、つい眉をひそめる。
「だって気にならない? どんな用があって、学校に来てるのか」
 ならないよ——そうわたしが返答するよりも早く、凛は宮内のところまで小走りで駆け寄ってしまった。もう、しょうがないなぁ、とわたしも凛の後をついていく。
 どんな些細な疑問でも、一度気にしたら真相を確かめずにはいられない……凛はそういう性分なのだ。
 わたしだって謎解きは好きだけど、宮内が学校に来ている理由に関しては、正直どうでもいい。

 凛が快活に声をかける。
「宮内くん」
 いきなり名前を呼ばれて驚いたのか、宮内は一瞬肩を跳ねさせると、おもむろに振り返った。
「苅谷さんに、氷室さんか」
 目の前に立っているのがわたしたちで、意外だったのだろう、困惑顔をしている。わたしも凛も、宮内とは友達というほどの仲ではない。

「何、見てたの?」
 と、凛。
「え? ああ、これだよ」
 宮内が、肩越しに掲示板を見る。
「美術部のポスターをね、見てたんだ」
 凛が訊く。
「ポスター?」
「そう。来月、市民センターで美術部が作品展をやるらしくてさ。それの告知だよ」

 新聞部の七月号の記事の隣に、パステルカラーのデザインが印象的なポスターが貼られ、『浜野高校美術部 夏の展覧会のお知らせ』と上の方にある。キャッチコピーは、『夏かしい風景を、見に来ませんか』。
 思わずにやっとする。韻を踏んでいるらしい。
 八月の六日から十日までの期間、浜野市民センターで開催とのこと。左の隅には、会場までの行き方を示す簡易な地図が載っていた。
「ふうん」
 ポスターから視線を宮内に移し、上目遣いに凛が言う。
「宮内くん、絵に興味あるんだ?」
「ん、まあね。ちょっと面白そうだなって思ってさ。行こうかどうか迷ってるところかな」

 それから宮内は通学カバンを背負い直し、温和な表情でわたしたちを見据えた。
「じゃあ、僕はこれで。二人とも、夏期講習お疲れ」
「あ、宮内くん。待って!」
 昇降口に向かおうとする宮内を、慌てて凛が呼び止めた。
「何?」
 穏やかな顔つきの宮内に、凛が質問する。
「宮内くん、今日さ、なんで学校に来てたの?」
「……どうして?」
「ちょっと、気になっちゃって」
 少しの間を置いて、宮内が口を開いた。
「別に、大した理由じゃないよ」
 それだけ言って、宮内は下校する何人もの同級生たちと同様に靴を履き替え、外に出ていった。

 凛と顔を見合わせる。
「理由、結局わからなかったね」
 すると凛は控えめに笑い、
「だね」
 と頷いた。
 何気なく、美術部のポスターをもう一度見る。
 ポスターには、部長による宣伝文が記載されていた。

『美術部部長 平山若菜(2年)
 スイカ、花火、流しそうめん、プール、夏祭り……と夏をテーマにした絵画作品を展示する予定です。3年生が引退し、2年生と1年生のみによる初めての作品展となります。大勢の皆様のご来場をお待ちしております。是非、お越しください!』

「じゃあ、あたしたちも行こっか」
 凛の呼びかけに、わたしは顔を上げる。
「あ、うん」
「沙希も興味あるんだ、展覧会?」
「どうだろ。美術部に知り合いがいたら、行ってたかもしれないけど」
「まあ、そういうもんだよねぇ」
「それよりも……もうお腹ぺこぺこだよ。ドーナツ食べに行こ!」
「おー!」
 笑顔で、凛が軽く拳を突き上げる。

 ちょうどその時、わたしたちのそばを笹本凉二ささもとりょうじが通りかかった。わたしたちと同じ大学受験を控えた夏期講習生で、同じクラス。
 しかも、引退したばかりの元水泳部という点も共通している。
 笹本がにやにや笑いながら、声をかけてきた。
「お前ら、相変わらず子供みたいだな」
 わたしは笹本に睨みを利かせ、すかさず言い返す。
「うっさいわよ!」
 声を立てずに、凛が笑った。

主人公・氷室沙希

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