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アライヴ②

 ふと目が覚めて顔を上げると、そこは教室の中だった。

 瞼をこすり、前方を見ると、世界史の片平先生が教壇に立っていた。
 僕から斜め前の席では、黒髪のポニーテールの女子が机にうつ伏せになっていた。あのだらしない後ろ姿は、佐久間麻美だ。
 その近くでは、スポーツ刈りの男子が真面目な様子で先生の解説を聞いている。中原和哉だ。
 その他にも、僕がよく見知った同級生たちの姿があった。

 ここは、間違いなく二年一組の教室だった。懐かしい平穏な授業風景がそこに広がっている。

 信じられない思いだった。
 確かに僕は自殺を遂げた。だけど死んだはずの僕は今、自分が通っていた高校の教室にいて、席に座っている。

 窓の外から、騒がしい蝉の鳴き声が聞こえていた。
 僕は咄嗟にポケットからスマートフォンを取り出して、電源を入れた。
 ロック画面には、七月七日、木曜日、十二時十九分、と表示されている。

 僕はスマートフォンの電源を切り、暗転した画面に映った自分の顔を見た。
 そこに映るのは、制服を着た高校二年生の僕だった。憔悴しきった社会人の男の姿はどこにも見受けられない。

 僕は手のひらを思い切りつねった。それと同時に相応の痛みが僕を襲った。
 夢じゃない。これは現実だ。
 もう一度手のひらをつねった。やはり相応の痛みがやってきた。

 僕は静かに息を吐いた。
 あの夏の日に戻ったのだ。どういうわけか、十一年前の七月七日に、僕はタイムリープしたらしい。事件が起きる、およそ二時間前に。
 二十七歳の僕の意識が、十六歳の僕の体に乗り移ったのだ。

 にわかには信じられないことだが、もはやそう考えるしかなかった。
 一度死んでしまうと、絶対にあり得ないはずの状況でもすんなりと受け入れてしまえるみたいだ。

 僕は教室を眺め回した。みんな、生きている。目頭が熱くなるのを、なんとか堪えた。
 これは最大のチャンスだ。こんな奇跡のような状況を利用しないわけにはいかない。
 つまり、みんなを救える。クラスメイトを、佐久間を、中原を。

 考えろ。四時間目の世界史が終了するまで、残り十分。
 どうすればいい? 頭を回すんだ。最善の選択をするために。

 チャイムが鳴って、昼休みが始まった直後、僕は佐久間と中原を半ば強引に教室の外に連れ出した。
 十一年振りの奇跡の再会を喜び、感傷に浸る暇なんてなかった。

 僕は二人を急かして、ひと気の少ない理科室の前の廊下まで連れてきた。
 佐久間と中原が窓際に立って、僕がその向かいに立つ形だ。

「それで、なんだよ? 重大な話って」中原は言った。「教室だと言いづらいことか?」
「都築あんたまさか、天文部やめるって言うんじゃないよね?」佐久間は腰に手を当てて言った。二重のぱっちりとした瞳が、訝しげに僕を見つめている。
「やめたくないさ」僕は言った。「やめるなんて事態にならないように、僕がこれから話すことを真剣に聞いてほしい」
「え、何、何?」佐久間が興味津々と言った様子で訊いた。
「予知夢を見たんだ。とびきり悪い内容の」
「どんな予知夢だ?」今度は中原が訊いた。

 僕が予知夢を見ることは、この学校で佐久間と中原だけが知っていた。
 だからまずは僕の話を最も信じてくれそうな二人に相談することが、合理的だと思った。
 話がこじれるのを防ぐため、僕がタイムリープをして十一年後の未来からこの時代にやってきたという事実は言及しない。

「今から約九十分後の話だ。五時間目の生物の授業中、二時を過ぎた頃、飛行車が僕らの教室に突っ込んでくる」
「飛行車? 本気で言ってるのか?」
「大真面目だよ」僕は頷いた。「車種はミツダのスピカ。犯人のドライバーは、千葉市内に住む大学生」
「飛行車って、私たちの天敵じゃん。どうして学校に飛行車が突っ込んでくるの? なんのために?」
「わからない。だけど、その天敵が僕らを轢き殺しにやってくることは確かだ」

 飛行車は、僕ら天文部にとって文字通り天敵だった。
 上空に浮かぶ飛行車の前照灯を、星と見間違うことがあるからだ。
 つまり、飛行車は天体観測の妨害をしているという認識を、僕らは共有していた。
 それなのに、飛行車に天体にまつわる車名が冠される傾向が高いことも、僕ら天文部としては気に入らないことだった。

「このままだと、平和な教室が地獄に変わってしまうんだ。お願いだ、信じてほしい」
「信じる」佐久間は言った。「都築がこんな冗談言うとは思えないもん」
「俺も信じるよ」中原は頷いた。「都築とナイターに行った時、九対三でマリーンズがホークスに勝つって、言い当てた実績があるし」
「ありがとう。二人とも」僕は友達の大切さを噛み締めるように頷いた。
「で、具体的にはどうするの?」
「クラスのみんなを説得するんだ。今すぐ学校から避難しようって」
「信じるかな? 他の連中は、都築の予知夢のことなんて知らないぞ」
「予知夢のことは話さない。中原が言ったように、これが信用されるにはある程度の実績が必要だからな」僕は言った。「だから説得は、佐久間が中心にやってほしいんだ」
「私が?」
「うん。こういう場合、女子が話した方が信用されやすい」
「なるほどな」中原は腕を組んだ。「俺らが話せば、また男子が馬鹿なこと言ってる、みたいな反応が容易に想像できる」
「ああ、確かにね」佐久間は苦笑いした。「わかった。私が話す。でも、どうやってみんなに信じてもらう?」
「作戦がある」僕は言った。「そしてそれが成功するかどうかは、佐久間の演説に懸かってるんだ」

 数分後、僕らは急いで二年一組の教室に戻った。
 教室は賑わっており、みんな自由に席に着いては昼食を食べ、四方八方から会話が飛び交っている。
 昼休みの教室とは、先生が不在で生徒だけが存在する特別な空間だ。
 僕ら三人は教壇に上がって、黒板と教卓の間に立った。真ん中が佐久間で、左が僕、右が中原だ。

 佐久間は教卓を思い切り叩いた。するとその直後、教室は静まり返り、大量の視線が僕らに集まった。
 相対的に窓の外から聞こえる蝉の鳴き声が大きくなった。

「みんな聞いてっ」佐久間は大声で言った。「大事なことだから、集中して聞いてほしいのっ」
 佐久間の高い声はよく通り、教室に響き渡った。
 この事実だけを考慮しても、演説の役割を果たすのは僕と中原じゃなくて正解だったと思う。
 そうだ、思い出した。佐久間はクラスで誰よりも気の強い性格でもあったのだ。

「麻美? どうしたの急に?」、「なになに、天文部の重大発表?」各方面からレスポンスが放たれ、教室はまた騒がしくなってきていた。

 佐久間はもう一度教卓を叩いた。「ちょっと静かにっ」
 教室はしんと静まり返った。
「信じられないかもしれないけど、これからこの教室に飛行車が突っ込んでくるの。ミツダのスピカ……だっけ? だからみんな、今すぐ荷物をまとめて、急いで学校から避難してほしい」

 佐久間がそう話した瞬間、笑いが巻き起こった。
 まあ、なんとなく予想していたことではある。佐久間は悔しそうに、拳を強く握っていた。

「おい佐久間、お前の頭上で星が回ってるぞ」最前列の席に座る琴吹が言った。「天体観測もほどほどにしろよな」
 教室はさらに爆笑の渦に包まれた。琴吹は二年一組のムードメーカーで、確かにいつもクラスの雰囲気を盛り上げてはいた。
 だけど僕は佐久間を侮辱されて不快だったし、横目で見ると彼女自身は歯を食いしばっていた。中原に関しては、琴吹のことをじっと睨んでいた。

「ちょっといいかな」前方の席に座る、一人の男子が手を挙げた。
 生徒会副会長の橋本。定期テストで学年トップの成績を維持していた、いわゆる模範的な優等生だ。「飛行車がこの教室に突っ込んでくるって、どうしてわかる? 何か根拠はあるのか?」

「証拠がある」佐久間はスマートフォンを掲げた。「さっき、ツイッターで偶然見つけたの。『今からスピカに乗って、海士有木あまありき高校の二年一組の教室に突っ込む』って犯行予告のツイートを。少し前に投稿されたばかり。海士有木って調べたら、すぐにヒットする」

 佐久間の発言を聞いて、スマートフォンを取り出すクラスメイトが続出した。
 みんな例のツイートを見つけたのだろう。やがて教室はざわつき始め、戸惑いや驚きの声が聞こえてきた。

 その犯行予告のツイートは、実際に犯人が投稿したものではない。
 僕は今からおよそ十五分前、四時間目の授業中に、急遽ツイッターのアカウントを新しく作成し、ある文章を投稿した。

『これからスピカに乗って、海士有木高校の二年一組の教室に突っ込もうと思う。午後二時を過ぎた頃に、必ず実行する。人生で初めての大量虐殺だ』

 これは佐久間の話の信憑性を高めるために、僕が自ら作った犯行予告文だ。
 もちろん、この時点で僕は法を犯している。でもクラスメイトを救うためには、これくらいのリスクを背負う覚悟が僕にはあった。

 教室は騒然となっていた。
 さっきまでの平和的だった空間には、皮肉にも僕のツイート一つで不安や恐怖の感情が蔓延していた。

「だから今から避難すれば、全員助かるからっ」佐久間は言った。「ほら、とっととみんな準備してっ」
「ねえっ、確認したいことがあるんだけど」最後尾の席から、一人の女子が手を挙げた。新聞部の菊池だ。「このツイートを投稿したのってさ、都築君じゃない?」

 僕の心臓は跳ね上がった。どうして、そのことがバレているんだ? 

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