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短編小説「水平線の向こう側、幽霊船の侵攻」

 僕と飼い犬のポランスキーは、三十五階建てのアパートメントの屋上から夕暮れの太平洋を眺めていた。
 水平線には半分以上の夕日が沈み、これから世界に夜が訪れることを予告している。

「ねえポランスキー、あの水平線の先には何があると思う?」と僕はポランスキーを横目で見ながら訊いてみた。
「何って……水平線の先にあるのは海でしょう。地球は球体であるため、海がある限り水平線はいつまでも存在します。こんなの常識ですよ」
「違うよ、ポランスキー。水平線の先は滝になってるんだ。だからあのラインを超えてしまうと、宇宙に落っこちてしまうのさ」

 ポランスキーは訝しげな顔で僕を見上げた。「ご主人様……私をからかってます? 確かに私は犬ですが、知能は人間と同等です。海に滝なんてあるわけがないことぐらい、私にだって理解できます」
 僕は苦笑混じりに、ゆっくりと何度か首を横に振った。「君はリアリストで、僕はロマンチスト。見解の相違だね」
「そのようですね」
 人間の言葉を話し、人間と同レベルの知能を有するビーグル犬なんて、今僕のとなりにいるポランスキー以外存在しないだろう。
 ポランスキーは特別なんだ。きっと彼ならいつか、ランボルギーニだって運転できるはずだ。

「ご主人様、あれを見てください」と僕がポランスキーのことを少し感慨深げに見つめていると、彼が緊張感のある声で言った。
 彼の視線は、夕闇に染まりつつある太平洋に固定されていた。
 僕もそちらの方を見やった。「あれは……」

 幽霊船だった。水平線の向こうから、何十隻もの幽霊船が続々と姿を現し、僕らの街に向かってきていた。
 艦隊のように陣形を組んで、こちらを目指して真っ直ぐに巡航している。
「幽霊船の侵攻……この街にもやってきたのか」と僕はつぶやいた。

 今僕らが立っているアパートメントの屋上が地上から百十メートルの高さにあるため、ここから水平線までの距離は計算すると約四十キロとなる。
 そしてあの幽霊船団の最大速度が時速五十キロだと仮定すると、この街の海岸に到達するまでの時間は、およそ四十八分。一時間もかからない。

「きっと滝の下にある冥府から這い上がってやってきたんだ。あの世から復活したらしい」
「そんな悠長なこと言ってる場合ですか。やつら、この街もゴーストタウンに変えるつもりですよ」とポランスキーはやや怯えた表情で言った。心なしか、彼の尻尾の先端と地面との間の距離が縮まっているように感じられた。
「もうこの街は助からない。脱出するぞ、ポランスキー」

 僕らは屋上のヘリポートに停めてあったヘリコプターに乗り込んだ。僕が運転席に、ポランスキーがとなりの助手席に座った。
 やがてプロペラが勢いよく回転し始め、鋭い轟音を纏いながら機体は垂直に上昇した。
 操縦桿を右に傾けると、僕らを乗せたヘリは海とは逆方向の東へ旋回し、空を切り裂くように飛んでいった。

 アパートメントやホテルの窓から身を乗り出して、人々が僕らに向かって必死に助けを求める姿が確認できたが、僕はそれを無視した。
 これはあくまでも僕とポランスキーのための脱出用のヘリであって、倫理的に稼働するようなドクターヘリではないんだ。

「ポランスキー、次はどこに行きたい?」
「そうですね……今度は海から離れた場所に住みたいです。比較的都会で」
「それなら中西部だな。セントルイス、カンザスシティ、インディアナポリス、魅力的な都市はいくらでもある」
「私が選んでも?」
「もちろん。時間はたっぷりあるんだ、ゆっくり考えるといいよ」
「はい」とポランスキーは嬉しそうな様子で言った。

 僕はラジオのスイッチを入れた。午後七時のFM放送局は、僕が好きなOasisの『Supersonic』を流していた。
 フロントマンのリアム・ギャラガーが、『エルサって名前の女の子がヘリコプターに乗って医者とキメながらヤッてるんだ』と歌っていた。

 この曲をヘリコプターを操縦しながら聴くことは、不健全で危険を伴うような行為ではないかと僕は少し心配した。
「シュールな歌詞だと思わないか?」と僕はポランスキーに訊いた。
「シュールでナンセンスですね」とポランスキーは答えた。
「全くだ」と僕は彼の意見に賛同した。

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