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アライヴ①

 あの夏の日に起きたことを、いつだって忘れることができなかった。
 高校、大学を卒業し、就職して社会人になった今でも、その出来事は変わらず僕の脳裏に鮮明に焼き付いていた。

 ハンドルを握る手に力を込めた。
 僕が運転するニッタのオリオンは、夜の海岸沿いを疾走していた。
 右手には太平洋が広がっているものの、真っ暗で何も見えない。月が出ていないからだ。

 時刻はもうすぐ深夜の十二時になろうとしている。
 僕は今日、仕事が終わった後、まっすぐ家に帰り、簡単な夕食をとった。
 それから車に乗り込み、東京からおよそ二時間かけて、この海岸沿いの有料道路までたどり着いた。
 すでに目的地には到着している。だからいつでも決行できる。でも、この期に及んでもまだ勇気が出なかった。

 アクセルを踏み込み、車を加速させた。時速は百キロを超え、まもなく百十キロに到達しようとしている。
 前照灯が照らす道を見つめながら、これまで自分を散々悩ませてきた、あの出来事を思い返した。

 あれは今から十一年前、令和最後の夏のことだった。

 当時、僕は千葉県内の高校に通う二年生で、十六歳。
 そろそろ進路を本格的に決めなければならない時期に差し掛かった、七月。さらに正確に言えば、その日は七月七日だった。

 二年一組の教室で、四時間の世界史が始まった頃、僕は強烈な睡魔に襲われていた。
 昨夜遅くまで本を読み耽っていたせいで、寝不足だったのだ。そしてクーラーの効いた快適な空間がさらに眠気に拍車をかけていた。
 正午を過ぎると、僕は限界だった。視界は朧げで、思考ははっきりとせず、明らかに体は睡眠を要求していた。

 周りを見渡すと、二、三人の生徒が眠りについていた。僕の親しい友人である佐久間もその一人だった。
 しかし世界史の片平先生は、生徒が授業中に寝ていても殆ど注意をすることはなかった。

 つまり、この教室を取り巻くあらゆる状況が、僕が授業中に居眠りをするという行為を安易にさせていた。
 だから遂に僕が机に突っ伏したのは、極めて自然な流れだったと思う。
 やがて意識はだんだんと遠のいていき、それと同時に窓の外の蝉の鳴き声は消えかかっていた。

 そして僕は夢を見た。
 その夢の内容はあまりにも衝撃的だった。
 五時間目の生物の授業中、『飛行車』が二年一組の教室に突っ込んでくる、という夢を見たのだ。

 空飛ぶ車、飛行車は通常の自動車とは比較にならないほどスピードが出る。
 突如窓を突き破り、物凄い勢いで教室に侵入したその車は、一瞬で辺りを血の海に変えた。
 後方の席にいた僕はなんとか被害を免れたものの、前方の席にいたクラスメイトや先生は助からなかった。現場は凄惨を極め、地獄と化していた。

 そのあまりにも恐ろしい悪夢に、反射的に僕は目が覚めた。
 だが教室はいつものように平和な環境で、片平先生が中世のヨーロッパについて熱心に解説していた。
 しかし現実に戻った僕は、どうしてもこれをただの夢だと受け入れることができなかった。あの夢には、どこかリアリティがあったのだ。

 僕は幼い頃から予知夢を見ることがたまにあった。
 それは目覚めてから決まって十数時間以内の内容で、例えば野球やサッカーの試合結果を、それらに関する予知夢を見た後の僕は正確に予測することができた。
 他にも今日の何時にどこの国や地域で、どのような事件や災害が起きるといったことを的確に言い当てては、家族や友人を驚かせていた。

 しかし、中には僕のことを気味悪がる者も当然いた。
 そのこともあって、僕は成長するにつれて予知夢のことは殆ど口外しなくなっていた。しかし成長して高校生になってからも、変わらず予知夢は見ていた。

 だからあんな悲惨な内容の夢を見た僕は、もしもあれが実際に起こって正夢になってしまったら、と不安に駆られた。
 でもその夢が予知夢であるかどうかは、それが実際に起こってからでないとわからない。
 きっとあれはただの夢に過ぎない、あんな恐ろしいことが現実に起きるはずがない。そう自分に言い聞かせ、納得させようとした。

 しかしだんだんと動悸が激しくなり、極度に気分が悪くなっていた。
 遂に耐えきれず、僕は体調不良を片平先生に訴えた。僕と同じ天文部員である佐久間と中原が、心配そうに僕を見ていた。

 教室を後にして、保健室で体温を測ってもらうと、軽い熱が出ていた。
 僕は学校を早退することになり、列車に乗って家に帰宅した。そして自分の部屋のベッドで、横になった。

 目覚めると、あれから数時間が経過し、時刻は昼の三時過ぎだった。
 体調はだいぶ回復し、そして空腹を感じていた。
 僕は台所に向かい、カップラーメンを作ろうと、やかんに水道水を注いで、ガスコンロの電源を入れた。
 お湯が沸くのを待つ間、テレビを点けた。その直後、僕はテレビのリモコンを床に落とした。

 昼のワイドショーは、緊迫した様子で現場を中継していた。
 今日の午後二時を過ぎた頃、千葉県市原市内の高校の校舎に、突如飛行車が突っ込み、二十人以上の死傷者を出している、とリポーターが強張った表情で伝えていた。

 その高校とは、まさに僕が通う高校だった。
 カメラは僕がよく見慣れた、あの黄色い外観が特徴的な校舎を上空から映し出した。学校周辺には警察官や報道陣、野次馬が大勢いた。
 そして校舎の三階部分、最も北に位置する窓が大きく割れており、そこから黒煙が出ていた。
 その割れた窓の先にあるのは、僕が所属する二年一組の教室だった。

 あれは、予知夢だったのだ。
 僕は急いでスマートフォンを取り出し、クラスで最も仲のいい二人、佐久間と中原にすがるような想いでそれぞれ電話をかけた。
 でも、どちらも繋がらなかった。

 僕は分かっていた。二人とも前方の席にいたから、飛行車の襲撃に巻き込まれている可能性が高いということを。
 この時ほど自分を責めたことはなかった。予知夢を見たことでこの出来事が事前に起きるかもしれないと危惧しておきながら、友達を見殺しにしたのだ。

 救いようのない絶望感に襲われ、僕は何度も自分を罵倒し、何度も自分を殴りつけた。
 自分があの時勇気を出して、クラスメイトを説得していれば、結果は変わっていたかもしれない。こんなことは起きるはずはないと、決めつけてしまったばかりに。
 救える命が、そこにはあったのだ。僕は溢れる涙を拭いながら、テレビの画面を見ているしかなかった。

 ワイドショーは、突っ込んだ車はミツダのスピカで、犯人は千葉市内の大学に通う十八歳の男子学生だと報道していた。
 しかしあれから十一年が経った今でも、動機は判明していない。
 飛行車が教室の壁に衝突した衝撃で、乗車した犯人は即死していた。遺書も残されていなかったらしい。

 僕は時速百十キロを維持したまま、夜の九十九里有料道路を走り続けた。
 ルームミラーから吊り下がる宇宙服を着たカエルのキーホルダーが、カタカタと揺れている。

 佐久間と中原は、助からなかった。中原は即死で、佐久間は病院に搬送された後に息を引き取った。
 二年一組で生存したのは、合計で二十一人だった。
 先生を含めた十六人がその犠牲となった。だが生存した同級生の中には、片腕を失くしたり、二度と歩けない体になったりと、重い障害を負わされた者も少なからずいた。

 僕は何度も何度も後悔した。クラスのみんなを助けようとしなかった、あの日の最悪の選択を。
 僕はこれまでの十一年間、ずっと自責の念に苛まれた。
 千葉国立大学の理学部を卒業し、大手飲料メーカー、マーズ飲料に就職してからも、あの事件を忘れた日は一日たりともなかった。

 あれ以来僕は人生というものを全力で楽しむことができず、仕事以外は常に抜け殻のようになっていた。
 時々思うことがある。佐久間や中原と同じように、僕の人生もある意味あの日で終わっていたんじゃないかって。

 僕はギアをFに入れ、オリオンを飛行モードに切り替えた。
 そしてハンドルを手前に倒して、車体を垂直に上昇させ、高度十メートルの地点で停止させた。

 それからアクセルを踏み込み、ハンドルを右に回した。オリオンは真っ暗な太平洋に向かって、加速していった。
 速度計を見ると、時速は二百キロを超えていた。
 闇に覆われた海の上を、僕は一心不乱に疾走した。心拍数は急激に上昇し、体全体が震えていた。

 僕は手汗で湿ったハンドルを固く握り締め、何度も深呼吸を繰り返した。
 そして慎重にハンドルを向こうに倒すと、車体が傾き始めた。

 オリオンは真冬の太平洋に向かって、一直線に突き進んでいく。
 宇宙服を着たカエルのキーホルダーが、大きく揺れていた。

 僕は歯を食いしばった。数秒後、車体は勢いよく着水し、ゆっくりと海中に沈んでいった。
 最初に闇に包まれて、次に嘘みたいな冷たさがやってきた。そして最後に、息苦しさに襲われた。部屋に遺書を書き忘れたことを、僕は少しだけ後悔した。

 ふと目が覚めて顔を上げると、そこは教室の中だった。

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