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自作短編小説『ため息の彼方』 第6話「歴史」

 私は少し迷った。私がこの世界の人間ではないということを打ち明けることに、少しの不安があった。しかし正直に答えることにした。それが正しい判断であると直感で決断した。

 「えぇ、その通りです」と私は言った。
「やっぱり。あなたはビーチにいたから、きっとそうだろうと思ったわ」と彼女は言った。彼女のその言葉には、私の不安を払拭してくれるような響きがあった。だから私は彼女になら事の経緯を話せそうだと思った。

 「気付いたらそこに横たわっていたんです。何が起きたのか、自分でもよく分からなくて」と私は言った。
「そうね、おそらくあなたは量子テレポーテーションをしてしまったんじゃないかしら」
「量子、、、テレポーテーション?」と私は訊いた。その単語は私のいた世界でも何となく聞いたような覚えがあった。
「そう。あなたのいた世界で、意識が抜けるような感覚がなかった?」と彼女は訊いた。
「えぇ、ありました」と私は肯定した。
「いわゆる、意識を構成する核のことを量子情報と言うわ。まぁ、意識と量子情報は殆ど同じ意味ね。要するにあなたは、脳からその量子情報が抜け出してしまって、ここに流れ着いてしまったんだと思う。そういうプロセスを経て、発生する現象のことを量子テレポーテーションと言うの」
私には彼女の言う言葉がいまいち咀嚼できなかった。私はどちらかと言うと科学には疎い人間だ。だから黙って聞いていた。

 「あなたのような別の世界からやって来た『来訪者』って、過去に何度もいるのよ。そして皆、量子テレポーテーションのプロセスを経て、この世界にたどり着いていたわ。だからあなたも例に漏れずそうなんじゃないかって。ただ、どうして偶発的にそういうことが起きてしまったのかはまだ解明されていないんだけどね」と彼女は言った。

 「その、脳から私の意識が抜け出したって言いましたよね」と私は言った。私は困惑し始めていたが、必死に彼女の話を自分なりに理解しようとしていた。
「えぇ」と彼女は肯定した。
「えっと。そのつまり、今の私自身の身体は本物ではないということですか?」と私は訊いた。
「全くその通りよ。現在のあなたのその状態は、量子状態と言うわ。あなたの身体は、あなた自身の量子情報を基に不安定な粒子が再構築されて、それらがあなたを纏っているような状態ね。それが量子状態。構造的には幽霊のような存在と近いとも言えるわ」
「私が、幽霊、、、」と私は苦笑して言った。
「と言っても、物質には触れられるし人と話すこともできるから、そう意味では幽霊とはまた違った存在でもあるけどね。彼らは私たちの世界に殆ど干渉できないから」
私は少し安心したような顔をして頷いた。

 「あの、何がきっかけで私はこんなことになったんでしょうか」と私は訊いた。
「その原因については私にはよく分からないわ。ただ、この世界にあなたを誘引する何かがあったんでしょうね。あなたをそうさせるきっかけは沢山あるのだろうけど、私にはそれが何なのかは分からない」と彼女は言った。

 私にはその原因が見当もつかなかった。ただこれまでの彼女の話を考慮すれば、どうやらここは夢の中と断定するわけにもいかないようだった。私は彼女にそれについて訊いてみることにした。
「じゃあ、その、ここは夢の世界ではないんでしょうか」と私は躊躇いがちに訊いた。
「夢なんかではないわ。正真正銘、全くの現実よ」と彼女は答えた。
まさかとは思いながらも、私はやはり驚きを隠せなかった。彼女の言う言葉にはどこかしら説得性と真実味があったし、私はそれを信じざるを得ないような気がした。ここが現実だとするならば、ここはやはり地球ではないのだろう。それは、数々の不可解な事象や環境がそうであると証明していた。

 「あなたは西暦何年の世界から来たの?」とふいに彼女は訊いた。
「えっと、2024年です」と私は答えた。私はこれまで彼女が話した話を頭の中で反芻していたために、返答に少し遅れた。
「随分と遠い世界からあなたは来ちゃったのね」と彼女は感心するように言った。
「それは、つまり、、、?」
「ここはね、そのおよそ500年後の世界なの」と彼女は言った。
「500年後、、、」と私は驚いて言った。私はその壮大な数字を復唱することしかできなかった。それから何とか冷静さを保つようにした。
「正確には、2525年になるわね」と彼女は言った。

 「私は、そんな遠い未来にタイムスリップしちゃったんですか、、、」と私は言った。
「厳密には、さっきも言ったように量子テレポーテーションだけどね。時間旅行は空間を超えることができないし、それに空想上の産物でしょ?理論上、量子テレポーテーションなら時空を超えられるけれど、それができるのは量子情報だけ。物質は転送できない。あぁ、人間の量子情報なんかは、スピリチュアルな世界では魂って言われ方もしてるわね」
「つまり私はその量子状態にあったから、それが実現できた、、、」と私は呟くように言った。
「そういうこと。ただ、あなた自身の意識の核である量子情報がこちらの世界に転送されたというのは、全く奇妙な事実なのよね。そんな質量の大きい情報を転送するような技術は、まだこの世界でも実現されてはいないから」と彼女は言った。
テーブルを挟んで、私と彼女は少し見つめ合った。部屋の中は心地の良い空気に包まれていた。

 「500年後ということは、ここは26世紀の世界なんですね?」と私は尋ねた。さっきまで混乱していた私の頭の中は、少しずつ冷静さを取り戻しつつあった。
「あなたの世界における概念に当て嵌めれば、そういうことになるわね。でも、この世界ではそういった概念は既に採用されてはいないの」と彼女は言った。
「どういうことですか」
「あなたは、この世界がどこだと思う?」と彼女は訊いた。
「えっと、地球ではないどこかの惑星、、、でしょうか」と私は自信なさげに言った。
「その通りよ。地球はね、一度文明が崩壊して人類が住めるような環境ではなくなってしまったのよ。およそ150年前にね」と彼女は言った。
「えっ、、、」私はやっとの想いで取り戻した冷静さを、彼女の言葉によって再び加熱し始めているような感覚があった。

 彼女は話を続けた。
「2300年代の半ばのことよ。ある出来事がきっかけで、地球は人類が住むことが不可能なくらい全く別の惑星に変貌してしまったの。そのために人類は、自分たちの居住に適した環境を有する他の惑星に移らざるを得なくなった。当時のNASAは、彼らが保有する全ての技術を集約して、新たな移住先確保のための宇宙探査計画をローンチしたわ。ワームホールを利用した、人類の存続を賭けた壮大な宇宙探査よ。やがてそれは見事に成功した。探査の結果、この惑星が発見されて人類の移住先に選ばれたというわけ」と彼女は話した。「この星はね、奇跡と言ってもいいくらいに、地球の環境と酷似していたわ。土地も気候も全てが人類の居住に適していた」と彼女は加えて言った。

 「その、地球に住めなくなったって、一体何があったんですか?」と私は訊いた。
「知らない方が良いわ。あまりにもおぞましいから」と彼女は顔をしかめて言った。
私の想像が及ばないくらい、恐ろしい出来事が起きてしまったのだろう。彼女の反応から、それは推測できた。私はそれについて深く考えることはしなかった。

 彼女は口を開いた。
「当時の『開拓人類』は、この惑星を居住しやすくするために驚異的なスピードで整備を進めていった。次世代の人類に、自分たちのような苦労はしてほしくないっていうような想いもあったんじゃないかしら。そして豊かな環境が確保されるにつれ、人類はどんどん繁殖し、独自の文化や技術も発展してきた。そうして最初の移住日から今日に至るまで、140年以上が経過したわ」
「そんな壮大な歴史が、、、あったんですね」と私は噛み締めるように言った。とてもその一言では表すことはできないくらいに、とてつもない努力と苦労の歴史が築かれてきたのだろう。私からすれば、本来はこれから起きる未来の歴史となるのだろうけど。
「えぇ、そうよ。つまりあなたは、果てしなく遠い未来の、全く別の惑星に来訪してしまったということになるわね」
私は頷いた。それが実際に私に起きてしまったことを、何となくではあるが実感したという意思表示を込めて。

 「この星は、地球の常識とは何もかもが異なりますね。ここに来てから、私の理解が及ばないことばっかり」と私は苦笑して言った。
「そうでしょうね。私も地球に関する文献をよく読むんだけど、確かに地球とここでは科学の常識なんかは、全く差異があるわね」と彼女も苦笑するように言った。

 「あなたは壁を通り抜けててここまで来たんでしょ?」とそれから彼女は尋ねた。
「はい、そうです。身体が何の抵抗もなく壁の中に入っちゃって、そのままこの都市に通り抜けることができたんです」と私は肯定するように言った。「一体どうしてそんなことが起きたんですか?」と私は続けて訊いた。

 「トンネル効果って、言葉を聞いたことがあるかしら」と彼女は言った。
「いえ、ありません」と私は首を振った。
「通常は私たちの世界では、エネルギーの観点から壁を通り抜けるなんてことは当然不可能だわ。でも量子というミクロな世界なら、一定の確率で粒子が壁を通り抜けることがあるの。これをトンネル効果と言うんだけれど、あなたは量子状態にあると、さっき言ったでしょ?」
「えぇ」
「量子状態であるあなたには、おそらくそのトンネル効果と同じ現象を起こせると私は思った。量子にそういう性質があるのなら、きっとあなたにだって同様にその性質はあるはずだからね。だからあの時私は、あなたに向かって必死に何度も手招きしたの。壁を超えてこちらに来れるはずだってね」

 私が砂浜の上で金縛りに遭い、後方から少しずつ得体の知れない複数の存在が私に迫っていた時だ。彼女は遠くの窓から私にそのような合図を送ってくれて、私を助けてくれた。
「その節は、本当に助かりました。あなたがいなければ私はきっと、、、」と私は言った。その時の焦燥感を私は少し思い出していた。
「だから礼なんていらないわ。最終的にはあなたの意思でその危機を脱出できたのよ。私は特別なことは何もしてない」と彼女は笑って言った。
私は曖昧に頷いた。それから彼女の話す理屈は、私のような科学に疎い人間でも分かりやすかった。何となくではあるものの、私の身に起きたことを理解することができた。

 「それで、その時に私が追いかけられていた存在なんですけど、、、」と私はずっと気になっていたことを口にした。
「あぁ、それね」と彼女は言った。
「あれは、何だったんですか」と私は訊いた。
「見てみる?」と彼女は尋ねた。
「えっ」

 背後を振り返ると、閉じられていたカーテンが自動でゆっくりと左右に開いていた。そしてその先に外の景色が浮かび上がってきた。


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