見出し画像

自作短編小説『ため息の彼方』 第4話「都市」

 都市は見渡す限りどこまでも、高層ビル群で埋め尽くされた景観だった。それらは軍隊の行進のように、整然と区画されていた。私が砂浜から推定した当初の見積もりよりも、それらの建物は遥かに巨大だった。

 殆どの建物の高さがおよそ150メートル以上はありそうだった。全てがグレーに統一されたその高層ビル群の様相は、無機質そのものだった。しかしどの建物の最上部にも設置された銀色の輝きを放つ照明は、やはり幻想的な光景を生み出していた。その輝きはどこまでも永久に広がっていた。

 私は都市にたどり着くことができたという安堵の感情で一杯だった。どんな仕組みが作用して、私が壁を通り抜けることができたのかは分からない。しかしこの世界は分からないことだらけなのだ。私の理解が及ばない不可解な事象に溢れてしまっているのだ。

 しばらく都市の中を歩いた後、私は立ち止まって後ろを振り返った。建物と建物の間の先に、先程のコンクリートの壁が建っていた。その壁の上に、巨大な林が顔を出していた。都市に来るまではあんなに威圧的だった壁という存在が、それを抜けた後では何だか融和的な存在に思えてきた。

 私を後ろから追っていた不気味な存在も気になった。一体どんな存在が寄ってたかって私を追いかけていたのだろうか。私はその正体が無性に気になっていた。しかし壁を超えた後では、もはやそれは確かめようがなかった。結局のところ、後ろを振り返らなかったことは正しい判断だったのだろう。

 私は再び都市の方へと身体を向け、そのまま歩き出した。ここは果たして夢なのか現実なのか、私にはその区別がつかなかった。心の中でその二つの疑念を天秤にかけた結果、ここはおそらく夢なのだろう、という疑念の方がわずかに重かった。しかしその夢はなかなか醒めてはくれなかった。通常それが夢であることを認識すれば、私の経験上、夢から目覚めることが多かった。しかしいつまで経ってもこの夢は醒めることがなかった。そんなことを考えながら、私は都市の通りの歩道を歩いていた。

 歩道には人影はあまりなく、中央に広々とした車道があったが車は通ってはいなかった。通りには一定の間隔を保って、街路樹が立ち並んでいた。その街路樹は見渡す限り、通りに沿ってどこまでも続いていた。この世界は、何もかもが見渡す限りどこまでも続いていくことが普遍的らしい。私の少し先で、何人かの人たちが歩いていた。服装は私のいた世界とは何ら変わりないようだった。通行人は誰も私のことを気に留めなかった。

 しばらく歩いていると、一台の車が私の横を通り過ぎ、そのまま奥へと走って行った。車の形状は一般的なセダンで、車体の色はシルバーだった。テールランプもシルバーだった。この世界はシルバーに包まれているのだ。しかしその車は私のよく知る車とは重要な相違点があった。車体が地面から数センチ程度浮かび、タイヤは存在していなかった。それはさながらSFに登場するような代物だった。

 都市の上空を見上げると、やはりそこには私の知らない天体が夜空に浮かんでいた。空を見る限り時間帯が夜であることは明白だが、辺りは明るかった。それは都市が放っている無数の銀色の照明が要因であることは、もはや言うまでもないだろう。私はそんな光景を眺めながら、通りの角を右に曲がった。

 歩きながら、私は誰かと話したい衝動に駆られた。誰かと話すことで私の不安を拭い去りたかった。しかし通りを歩く人々は皆一人で、誰もが疲れているように見えた。それによく見ると、周りの人々は皆西洋の顔立ちをしていることが分かった。私は英語を話すことはできないので、話しかけたとしてもとても会話ができる自信がなかった。

 前方から恰幅の良い中年の男性がこちらに歩いて来ていた。彼も西洋人らしき見た目をしていた。その男性が私のそばを通りかかった際、何を思ったか私は彼に声をかけた。
それも「あのっ」と日本語でだ。私はよっぽど焦って混乱していたのだろう。

 すると驚いたことに、その男性は「何だい?」と日本語で返した。西洋人らしき人が日本語を話すとは思いもよらなかった。この世界は日本語が公用語なのだろうか?
「えっとですね、、、」と私は口籠もってしまった。この世界とは別の世界から私はやって来て、自分のいた世界に帰りたいのだけど、どうしたら良いだろうかと私は彼に訊こうとしていた。しかしそのことは誤りであったとすぐに気付いた。とても彼がその方法を知っているとは思えなかったからだ。それに、私が全く別の世界から来た人間であることをこの世界の人間に話せば、何が起きてしまうか分かったものではない。

 「あっ、分かったよお嬢ちゃん」と彼は口を開いた。「お腹空かしてるんだろ?この通りを3ブロック歩いて左の角を折れた先に、うまい終夜営業のレストランがあるんだ。そこで腹満たしてきな」と彼は言った。
「はぁ」と私は言った。
「おっと、金は出さないぜ。金銭的に余裕がないのは皆同じさ」と彼は言って、行ってしまった。彼の日本語は流暢だった。日本人の話す日本語と全く遜色がなかった。

 私はお腹は空いていないが、喉が渇いていた。走ったことによる体力的な疲労が、私の身体に水分を渇望させていた。私は日頃の運動不足による体力の低下を実感した。彼は私が疲れ切った顔をしているせいで、お腹が空いているように見えたのだろう。先程まで私はあんな体験をしたことで、心身ともに憔悴し切っていたからそう思われても無理はなかった。

 どうすればこの世界から抜け出せるのだろうか。私はふと思い至った。あの女性なら、、、。私が砂浜で窮地に陥っていた際、合図で私を救ってくれたあの女性なら何かを知っているかもしれない。彼女はあの時、その周辺で一際高い高層ビルの一室にいた。そしてその高層ビルは、ここから真っ直ぐ伸びた道の先にしっかりと佇んでいた。少し歩けばすぐに着く距離だ。私は彼女に会うために、正面の通りを歩き出した。

 通りの通行人は、やはり皆どこかしら疲れているようだった。反対に私は、あの女性に会うことができれば、この状況を解決できるかもしれないという期待で満ち溢れていた。もはや私の疲労は消え失せていた。

 しばらく歩いて、やがて目的の高層ビルにたどり着いた。見上げると、それはやはり遥かに巨大だった。かなりの高さと幅がある巨大なガラス扉が建物のエントランスらしかった。エントランスは海の方向に面する位置にあった。そしてその先にロビーが見えた。ここから見る限り、ロビーもやはり広かった。巨大なガラス扉に近付くと、それは自動でゆっくりと開いた。そこにはまるで、鯨が大きな口を開けて、小さな獲物を呑み込むような雰囲気があった。私は鯨の口に自ら呑まれて行くように、巨大な建物の中へと入って行った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?