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図書室の探偵②/③

 図書室の中は静寂に包まれていて、十人くらいの生徒たちが熱心に本を読んだり、勉強に励んだりしていた。
 私はあまり足音を立てないように慎重に歩き、目的の人物を探した。

 事前に、麻利から瀬戸快人の外見の情報は聞いていた。
 だから一番奥の方、書架と書架との間の狭いスペースで、一人椅子に座って本を読んでいるその人物を見つけた時、それが彼だとすぐにわかった。
 男子にしては長めの髪、若干小柄で、白い肌に、女子のような顔立ち。
 麻利から聞いた情報と一致する。間違いない、あれが図書室の探偵。

 私は彼の傍までそっと近寄り、「あの」と声をかけた。
 彼は単行本から顔を上げて、私を見上げた。男子の制服を着ていなければ、こんな近くからでも性別がわからなくなりそうな中性的な見た目だ。
「あの……瀬戸くん、だよね?」
「そうだけど」見た目に反して、声は思ったよりも低かった。そしてぶっきらぼうな言い方。
「私、2の3の相楽って言うんだけど、実は瀬戸くんに折り入って頼みたいことがあって……」
「断る」
「え?」
「断るって言った。僕は君とは面識がないし、君の名前も聞いたことがない。赤の他人だ。よって、君の頼みを聞いてやる義理は僕にはない」

 私はポカンと口を開けて、彼を見下ろした。
 瀬戸快人は気難しい性格。そんな麻利の補足情報を、私は早くも実感していた。
「ご覧の通り、僕は暇じゃない。むしろ忙しい。用が済んだのなら帰ってくれ」彼は足を組み直し、再び本に目線を戻した。背表紙に『資本主義史』というタイトルが大きく書かれているのが目に入った。
 帰ってくれって、あんたの家じゃないでしょう、という突っ込みを堪え、「文化祭の予算が盗まれたのっ」と私は少し声を荒げて言った。
 彼は眉をひそめ、口に人差し指を当てた。

「あ、ごめん」咄嗟に手で口を覆った。
 彼は軽く溜め息をつき、本をパタンと閉じた。「予算の額は、一万五千円か?」
「え、そう。一万五千円」
「君は文化祭の実行委員で、今日先生から預かったばかりの予算が盗まれた。盗んだ犯人を見つけるために、僕を頼りにきたというわけだな」
「うん。そういうこと」こくりと頷いた。「ここに犯人を見つけてくれそうな探偵がいるって、友達から聞いて」
「はっ、探偵ね」彼は苦笑混じりに言った。
「引き受けてくれるの? 犯人探し」
「ああ、いいよ」
「本当にっ?」つい大きな声を出してしまった。
 彼は顔をしかめ、また口に人差し指を立てた。「君、絶対運動部だろ」
「そうだけど」
「運動部は声がでかくて野蛮だから嫌いだ」彼はぼそりと言った。
 どんな偏見よ、と私は心の中で突っ込んだ。

「でもありがとう。手伝ってくれるんだね」
「言っておくが、ただで引き受けるわけじゃないぞ。条件付きだ」
「え、条件?」
「その窃盗犯を見つけたら、報酬として僕に予算の三割を寄越せ。それが条件だ」
「ちょ、お金取るの?」私は目を丸くした。「しかも三割って……五千円近くも」
「当たり前だろ。君は僕のことを探偵だと言った。世の中、依頼料を受け取らない探偵がどこにいる? 慈善事業をやるつもりはないからな」
 私は首を横に振った。「多い。いくらなんでも三割は多い。せめて、せめて二割。それなら、私のお小遣いでもなんとかなるから」
 彼はまた軽く溜め息をついた。「わかったよ、二割で妥協してやる」

 ついさっき会ったばかりだけど、瀬戸快人という人間がなんとなくわかった気がする。
 性格は非常にドライで、自分の利益だけを優先して動く。多分、協調性もないから友達だって少ないだろう。でも今、私が頼ることができるのは彼一人だけ。
「予算はどこで盗まれた? 教室か?」
「うん。お金はカバンの中に入れたし、その間にカバンは教室から持ち出さなかったから」
「なら、犯行場所は教室で確定だな」彼は椅子から立ち上がった。「現場に向かおう。そっちの方が推理しやすい」

 二階の図書室から三階の二年三組の教室に移動した私たちは、後ろから二番目の席、私の机の傍に立っていた。
 教室には、もう私たち以外誰もいなかった。静まり返った放課後の教室とは対照的に、廊下を挟んだ窓の外からは活気に満ちた運動部の練習が重なって聞こえている。

「まず、詳しい状況を説明してくれないか? 予算が渡されたのはいつで、それを最後に見たのは?」
「あ、うん。四時間目に、クラスで文化祭の企画について話し合いがあって、その時に先生から予算が入った茶封筒を渡された。最後に見たのは……それもその時かな。カバンの中のクリアファイルに挟んで以降、一回も見てない。盗まれたことに気づいたのは、ホームルームが終わった直後」
「不用心だな。普通は手元に持っておくべきだ。財布の中とか」
「私だって反省してるわよ」少し唇を尖らせた。「まさか盗まれるなんて、思いもしなかったから」
「つまり予算が盗まれたのは、昼休みから帰りのホームルームの間ということだ」彼は腕を組んだ。「大体三時間か」
「三時間もあれば、何回も席を立ってるよ」
「だろうな」私を見た。「その間、カバンはずっと机にかかっていた?」
「うん、ずっと。昼休みにお弁当取り出す時も、カバン自体は動かさなかった」
「よし、君の行動を順に振り返っていこう。犯行が可能な時間を絞るんだ」
 わかった、と私は頷いた。

「昼休みだが、弁当なら教室で食べたのか?」
「そう、教室で」
「一人で?」
「なわけないじゃん。麻利と南っていう、友達二人と。みんな同じ卓球部」
「ふうん。なるほどね」腕を組み直した。「トイレには?」
「行った。三人一緒」
「連れションってやつか」
「その言い方やめて。男子じゃないんだから」
 彼は少し笑った。「よし、さっそく犯行が可能な時間帯が浮上したな。君たちがトイレに行っている間の昼休み。その時間、他にトイレ以外の用事で教室から出たか?」
「出なかった。トイレだけ」
「じゃあ次だ。五時間目の授業はここで?」
「ううん、移動教室。パソコンルームに」
「移動教室か」彼は左の手のひらを私の机の上に置いた。「移動教室の前後が怪しいな。教室の鍵の開け閉めは学級委員長の仕事。委員長は誰だ?」
「私」私は自分を指差した。
 一瞬の沈黙があった。

「え、そうなのか?」
「そう。私が学級委員だから、鍵の開け閉めは私がやったの。だから、教室を最後に出たのは私で、最初に入ったのも私」
「なら、移動教室の前後には犯行は不可能ってわけだ。授業中は? 誰か席を外して、パソコンルームから出ていったか?」
「誰も外してなかったと思う。そもそも、教室に戻りたくても鍵は私が持ってるんだから。誰にも渡さなかったし、教室の窓も全部施錠されてる」
「オーケー。取り敢えず五時間目の線は除外していいらしい」満足そうに頷いた。「五時間目と六時間目の間の休み時間は? 席を外した?」
 私は首を横に振った。「席に座って、友達と喋ってた。最近のあのドラマが面白いよねーとか」
「ああ、会話の内容はどうでもいいよ。興味ないし」彼は二、三度手を振った。
 何よそれ、あんたなんかどうせ休み時間は一人で寂しく本でも読んでるんでしょ、と私は心の中で毒づいた。

「六時間目は?」
「英語。だから教室はここ」少しだけ素気なく言った。
「授業中、先生に指名されて、黒板で何か書いたりは?」
「なかった」正面の黒板を見た。「と言うか、授業中に犯行なんて無理じゃない?」
「そうとも限らない。例えば犯人の席が君の隣であれば、君が黒板の前に立っている短い間にやれないこともない。まあその場合、先生の視線が黒板に向いていることが条件になってくるが」
「なるほど」自然と、自分の両隣の席に目がいった。

「まあ、六時間目の線も消えたな。その次だ。ホームルームが始まる前に、教室を出たか?」
「あ、うん。トイレに。友達の南と一緒に」
「もう一人の方は?」
「麻利? 麻利は教室にいたよ。机の中の教科書とかをカバンに仕舞って、帰る準備してたんじゃないかな」
「その時間なら、他人のカバンを開けても目立ちにくいか……他の生徒も同じ作業をしてるわけだから」
「言っとくけど、麻利が犯人ってのは一番あり得ないからね。瀬戸くんのこと教えてくれたのも、麻利なんだから」
「へえ、僕はその人知らないけどな」彼は教室を見回した。「彼女の席は?」
「私の真後ろ」私は振り返った。「だから、休み時間に誰かが勝手に私のカバンを漁っていれば、麻利ならすぐに気づくってこと」
「彼女が犯人じゃないって仮定しての話だけどな」
「だから犯人じゃないのっ」つい語気を荒げた。「麻利を疑うのは許さないよ。放課後、一緒にお金探してくれたのも彼女なんだよ」
「わかった、わかった」彼は苦笑した。「だが君の説が正しくて、その友達が潔白であることを前提に考えると、犯行が唯一可能なのは昼休みということになる」
「昼休み、か」
 カキーン、と金属バットがボールを跳ね返す音が聞こえた。
 青空を勢いよく白球が飛んでいる様子を想像した。

「昼休み中、教室には何人くらいの生徒がいた?」
「ええと、どうだっけな」少し考え込んだ。「二十人弱? 後の十五人くらいは、学食とか他の場所で食べてるんだろうね」
「教室の様子は?」
「賑わってるよ。女子は会話で盛り上がってて、男子はスマホのゲームに熱中してさ」
「あまり、誰も周りを気にしない様子か?」
「うん。そんな感じ」
「君らはどこで固まって食べてた? ここ?」彼は私の机を指した。
「ここ。机くっつけて」
「君らのすぐ近くで食べてたやつはいたか?」
「ううん……いなかったかな。ちょっと離れてた? かも」
「具体的には? 何メートルだ?」
「一番近くても、二メートルくらい?」
「二メートルか」教室を見渡した。「いくら教室内が盛り上がってるって言っても、さすがに君らがトイレに行っている間に、君ら以外の人間が君らの席で何かやってれば、誰かが気づきそうか?」
「それはさすがに、誰かは気づくんじゃないかな? それに、私は予算を預かってるわけだし」キミラ、キミラ。なんかの呪文みたい。

 彼は黙り込んだ。
「それじゃあさ、犯行が可能な時間ってないじゃん」腰に手を当てた。「昼休みもホームルームも、誰かに気づかれるわけだから」
 彼は私をじっと見た。「一つ気になったんだが、放課後、文化祭の予算が消えたことがわかった時、探すのを手伝ったのはその麻利って友達だけか?」
「あ、うん。そうだけど」
「もう一人の南って方は? どうして手伝わなかった?」
「あ、南はなんか卓球部の顧問の先生に手伝いの用で呼ばれてるから、先行ってるって」
「そういうことはよくあるのか? その友達だけが先に部活に向かうのは」
「あんまないかな」少し首を傾げた。「大体、いっつも一緒に行ってるから」
「つまり今日に限って、一緒にいなかったわけだ」
「何が言いたいわけ?」
 彼は私の質問には答えず、「ちなみに、その友達の席は?」と訊いた。
「え、南の席は麻利の右隣。つまり、私の右後ろ」
「仲良し三人で固まってるわけか」
「うん……まあ」仲良し三人という言われ方が、馬鹿にされているみたいで少し癪に触った。

 彼はふと、黒板の方に向かって歩き出した。自然と私も後についていった。
 一番前の席の辺りで、立ち止まった。「なあ、思い出してほしいんだが、昼休みに三人でトイレに行ってる間、個室を介して会話はしたか?」
「はあ? さっき会話とかどうでもいいって言ったんじゃん」
「会話の内容がどうでもいいと言ったんだ。僕が知りたいのは、会話をしたかどうかという事実の確認だ」
 私は唇を尖らせた。「昼休みの時だよね? した。女子がトイレに行くのって、お喋りの目的もあるから」
「南って友達とは? 話したか?」
「え? どうだろ」
「よく思い出せ。大事なことなんだ」
 偉そうな言い方、と私は思いながらその時のことを回想した。「あ、思い出した。麻利とは話したんだけど、南と話した記憶はない」
「本当か?」
「うん。あ、そうだよ。最初の方、南にも呼びかけたんだけど返事がなくて。それで、お腹痛いのかな? とか思ったから、気を遣って話しかけるのはやめたの。だから、会話したのは私と麻利の二人だった。間違いない」

 そう言うと、瀬戸快人はふーっと長く息を吐いた。「その南って友達が犯人だ」

③へつづく

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