見出し画像

九キロは長すぎる(8)

 店長の厚意で、僕たちは閉店後ののっぽのサリーに居座ることを許可してもらっていた。

 ほどなくして、閉店作業を終えた下村さんは宣言通り、僕たちのテーブルにやってきた。スタジャンにデニムのパンツというボーイッシュな私服に着替えている。

「そっち狭いから、こっちに座ろうよ」
 下村さんに促され、僕と立花は中央に位置する四人掛けのテーブルに近づく。木製の丸いテーブルを、三人で囲むように座る。
 下村さんは頬杖をつき、「小百合ちゃんのことを聞きたいんだよね?」と訊いた。
「そうです」
 立花は首肯し、質問に入る。「水本さんが亡くなった背景に、いくつか不審な点がありそうでして。下村さんは水本さんが何か悩んでいるのを見聞きしたりとか、あるいは相談を受けたりしたとか、そういったことはなかったですか?」

「さっきから、わたしも仕事中ずっと小百合ちゃんのこと考えてたんだけど、正直言って、思い当たらないんだよね。小百合ちゃんとは、ネガティブな話とか全然しなかったし、相談を受けたなんてこともなかった。だから、私もどうして小百合ちゃんがあんなことになってしまったのか……よくわからなくて」
「そうですか……」
「ただね、役に立つかどうかわからないけど、一個だけ、小百合ちゃんが嘘をついてるなって思ったことがあるの」
 立花が身を乗り出すようにして、「なんですか」と訊く。

「前に、『最近休みの日、どこか遊びに行った?』みたいな話になった時にさ、小百合ちゃんが、『横浜にオープンしたばかりのフランス料理店に行ってきて、すごく美味しかった』って言ったの。その時わたし、ちょっとからかうつもりで、『彼氏と行ってきたの?』って訊いたんだよね。そしたら、ひどく慌てて、『違います、家族とです』って必死に否定して。
 図星、ついちゃったんだろうね。別に、小百合ちゃんに彼氏がいるとか知らなかったんだよ? でもあのやりとりでわたし、小百合ちゃんには彼氏がいるんだなって確信した。あれは、そういう反応だった」
 僕と立花は、一瞬だけ目を合わせた。

「彼氏、か……」
 立花が視線を落とし、唇を触りながらつぶやく。「椎名さんは、水本さんには彼氏なんか絶対いないって断言してたけど」
「隠そうと思えば、隠せるんだろ。問題なのは、どうして隠す必要があったのかってことだ」
「ああ。それはつまり、隠すべき相手だった、ってことなんだろうね。親友にも、バイト先の先輩にも、誰にも言わないってことは」
「例えば、浮気……とか?」
 下村さんがためらうように、口にする。
 立花は首を捻り、苦笑いを浮かべる。「正直、なんとも言えませんね。……草野くんはどう思う? 水本さんに彼氏がいて、そのフランス料理店に一緒に行ったのは、家族じゃないってことを前提に考えると」

 僕は腕を組み、私見を述べた。「高校生同士のカップルがデートでフランス料理店に行くのは、少し不相応な気がする。ファミレスなんかより、全然値段も高いだろうし。だからおそらくだけど、相手は成人した、年上の男じゃないかな。妻帯者かどうかはわからないけど、水本が彼氏の存在を隠していたのは、多分そこにあるんだと思う」
「僕も同意見だ。僕たちはまだ高校二年生の、たかだか十六歳か十七歳。未成年だ。相手が大人の男だった場合、淫交で逮捕される恐れがある。そういうことなら、水本さんが彼氏の存在をひた隠しにしていたことも理解できる」

 果たして僕たちの読みが正解なのかはわからないが、下村さんは腑に落ちたように、「なるほど……」と言って、何度か首を縦に振った。
「下村さん。その水本さんとした話、いつ頃だったか覚えていますか?」
 立花の質問に、下村さんは何秒か中空に視線を彷徨わせると、答える。「確か、一月の半ばくらいだったかな」
「一月の半ば……今から三週間ほど前ですね。その時期にオープンしたばかりの、横浜のフランス料理店か。『休日にどこに遊びに行った?』って話題から出た話だから、水本さんがそこを訪れたのは、おそらく土曜日か日曜日ということになる」
「水本は土曜は部活、日曜はここのバイトがある。どちらにしろ、夕方以降に来店したんだろうな」
「うん、おそらく夜間だろうね」
 僕の意見に、立花が賛同する。「さて、そのお店がどこにあるかだけど……」
「わたし、お店の名前覚えてるよ」

 下村さんがそう言うと、「ほんとですか」と立花が訊く。
「うん。『アントワーヌ』っていう店名。そういうフランス人の名前があるって知ってたから、覚えてるの」
「アントワーヌ、ですね」
 立花は店名を復唱し、携帯を操作する。
 隣から、立花がグーグルマップを利用しているのが見える。やがて、「あった、これだ」とつぶやいた。「馬車道にあるらしい。ああ、でも残念。今日は定休日みたいだ」
「明日があるさ」と僕は立花を励ます。「その馬車道にあるフランス料理店に、水本は男と同伴した可能性がある。そしてその店で働く店員が、水本と連れのことを覚えているかもしれない。それに賭けよう」
 そうだ。また、賭けになるのだ。

「ああ。どうやら僕らの調査活動は、賭けの連続で成り立っているらしい」
 立花は笑みを浮かべて言った。「にしてもここのお店、結構高級みたいだな。コースは一万円からだって。僕らの読み通り、きっと相手は結構な年上の男だろうね。それなりの経済力がなければ、気軽に来れるようなお店じゃない」
 下村さんが感心したように、問いかける。「すごいね、二人とも。なんか憧れちゃう。いっつもそんなふうに推理してるの?」
「いやいや、こういう時だけですよ。あ、でも僕らが新聞部っていうのはあるかもしれません。職業病みたいなものでしょうか? あれこれ推測したり分析したりするのが癖になってるんですよね」と長ったらしく喋った後、立花は何の脈絡もなく、「ところで、下村さんの下の名前はなんと言うんですか?」と尋ねた。


「京香さんかあ。僕、のっぽのサリーの常連になっちゃいそうだよ」
 鎌倉駅に向かって、小町通りを南下している時、立花は顔を綻ばせて言った。

 立花が下村京香さんに惚れていることは自明だった。
 だから僕は、「下村さんも水本と同様に彼氏がいるんじゃないか?」などと立花の不安を煽るようなことは言わなかった。

「立花は、ああいう感じの人が好きなの?」と訊いてみる。
「ああ、僕は茶髪の女性が好きなんだ」
 茶髪の女性なら、他にいくらでもいるだろう、と心の中で指摘する。
「ちょっと派手な感じがいいんだよね。背が高くて、大人びた雰囲気もいい」
「サンドラ・ブロックとか好きそうだな、『スピード』の時の」
 僕がそう言うと、「誰だい、それ?」と逆に訊かれてしまった。

 鎌倉駅の改札を通った後、僕は尋ねた。「今日はどうする? もう暗いし特に予定もないから、解散にするか?」
 すると立花は、「あ」とつぶやいた。「草野くんに言うの忘れてたよ。今日、水本さんの妹さんと会う約束してるんだ」
「本当に?」
「ああ、昨夜予備校で話しかけてさ。共通の話題で徐々に打ち解けていって、頃合いを見計らって、お姉さんの件をそれとなく尋ねてみた。そしたら、『姉のことについて調べてるなら、是非協力したい』って。それで今日の放課後、十八時半にファミレスで詳しい話を聞くことになった」
 立花のコミュニケーション能力の高さに、素直に感服する。僕だったら、絶対に無理だったろう。

「ということは妹さんも、水本の自殺はただの自殺ではないと?」
「みたいだね。水本さんの妹、玲奈れなちゃんは、『姉は自殺するような人じゃない』とまで言い張ってたからね」
「自殺じゃない? まさか、他殺だと?」
 立花は真剣な面持ちで、首肯する。「そう主張してるように聞こえた」

 他殺……。水本は実際に誰かに殺された? その可能性は、これまで考えたこともなかった。
 水本が死んだのは、あくまでも最終的に自分の意思で命を絶ったからだと。
 警察が自殺と他殺を見誤るはずがない。そう盲信してきた。

 だが、仮に、仮に水本が誰かに物理的に殺されたのだとすれば、事態は何もかもが大きく変わってくる。
 僕たちが踏み込もうとしている領域はあまりにも重く、暗く、そして確かな悪意が潜んでいることになる。

「まあ、まだなんとも言えない。僕らは安易に結論を急がない方がいい」
 立花の冷静な意見に、「ああ、その通りだ」と僕は賛成した。

 ホームに立ち、横須賀線がやってくるのを待った。
「辻堂駅の前の、ファミレスで会うことになってる。玲奈ちゃん、部活があるからこれくらいの時間になったんだけど、かえってちょうどよかったね」
「部活、何やってるんだ?」
「茶道部だって。渋いよな」
 立花にそう言われても、何も気の利いた返しを思いつくことができなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?