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自作短編小説『ため息の彼方』 第9話「仮説」

 「さっきも言ったけど、この惑星が人類の移住に最適だったという話は真実だわ。でも一つの懸念材料があった。それが、座礁人形の存在。開拓人類は、この惑星の地に足を踏み入れてから、すぐに座礁人形が自分たちにとっての天敵だと気付いた。やがて彼らは保有するあらゆる兵力を尽くして、座礁人形の殺戮を始めたの。その虐殺行為と並行して、領土の拡大のためにどんどん海を埋め立てていった。当時、開拓人類は座礁人形を完全に殲滅しようとしたけれど、やがてそれは不可能だと気付いたわ。座礁人形たちは普段海の中に生息している水生生物だから、陸上生物である人類は海域では手が出しづらかったのね。艦艇なんか簡単に沈められちゃうし。そうした理由から、人類は一旦は数年に及ぶその戦闘行為を休止して、一時的な停戦状態に入った。その状態がもう135年近く続いているわ」と彼女は話した。
私は黙って話を聞いていた。その壮絶な歴史に圧倒されていた。私は座礁人形を一方的な悪であると決めつけていたことに気付いた。

 「そうした経緯から、座礁人形たちは人類のことを深く恨んでる。きっと報復のつもりで、ビーチにいる人間を海まで攫おうとしているのでしょうね」と彼女は言った。
「これからも、ずっとその停戦状態が?」
「いや、どうやらそうでもないらしいわ。政府は近々、座礁人形を完全に一掃するって何度も公約してるから」
「えっ、そうなんですか」
「うん。政府の方針によると、大規模な数の『自動追尾魚雷』を海に投下する計画を立てているらしいわ。でもこれは惑星全体の深刻な環境汚染に繋がるという懸念があって、議会内では意見が対立してるらしいけれど」

 「凄い話ですね、、、」と私は圧倒されていた。
「でしょ?私も異常な話だと思うわ。私自身、環境省の職員だから、その手の情報をよく耳にするのよ」と彼女は言った。
だから彼女は終始一貫、専門的なレベルの話を私に伝えることができたのか。私は納得した。
「どう?この世界の置かれてる状況、少しは理解できたかしら」と彼女は訊いた。
「はい、何となくではあるけれど。少しでも、未来の事情を知ることができて良かったです」と私は頷いた。
「それは良かった」と彼女は微笑んだ。

 それから私は彼女に最も訊きたかったことを訊くことにした。これまで彼女が話す話が私の想像の領域を幾度となく超えてきていたため、私はそれについて訊くことを後回しにしていた。いや、一時的に忘れてさえいた。その問いは、彼女に会うための一番の目的だった。ついに私は本題に入った。

 「あの、私、自分が元いた世界に帰りたいんです。何か帰る手段はあるんでしょうか」と私は訊いた。
「そうね、おそらくあるんじゃないかしら、、、」と彼女は自信なさげに言った。
「それは、絶対にあるとは限らないということですか、、、?」と私は不安になって訊いた。座礁人形に追われていた時とは異なる類いの不安が私を襲ってきた。その不安の渦が私の心に侵食してきていた。

 「いや、帰るための手段が実在していることは断定できるわ。あなたがこの世界に来訪したということは、同時にあなたのいた世界に帰還できることを意味しているから。それもさっき言った、量子もつれと同じ相互作用の関係性ね」と彼女は言った。「ただ、こちらの世界に来訪してしまったそのきっかけが何なのか、、、。あなたがどうして量子テレポーテーションをしてしまったのか、それが分からないことにはね、、、」と言って彼女は口籠もった。

 きっかけ?私が量子テレポーテーションをしたきっかけって何だ?そんなこと、私に分かるとは到底思えない。不安の渦は私の心を腐食し始めていた。そして私の思考は冷静さを失い始めていた。私にはあの、フリーランスのライターとしての日常をもはや取り戻せないのか。大変だったけれど、それなりに充実していたあの日常を。まだ駆け出しで、これから仕事が軌道に乗りそうだったというのに、、、。そんなペシミスティックな観念を孕んだ奔流が、私の心に次々と流れ込み、やがてそれを倒壊させようとしていた。

 「量子テレポーテーションの技術がこの世界では流通しているって、言いましたよね。それを私自身に適用することはできないんですか?」と私は訊いてみた。
「残念ながらそれはできないわね。人間の量子情報はそのスケールが大き過ぎて、現段階の技術では転送できる許容量をオーバーしてるのよ。だからどうしてあなたのような来訪者たちが量子テレポーテーションをできたのか、その理屈はよく分かっていないの」
「そんな、、、」

 「あなた自身何か思い当たることはない?あなたのいた世界で、いつもと少し変わったような出来事があなたの身に降り注がなかったかしら。どんな些細なことでも良いわ」と彼女は訊いた。彼女のその言葉のイントネーションには、私の不安を少しだけ払拭するような響きがあった。それは私の心の倒壊を暫定的に食い止めてくれるような要素だった。
「そうですね、、、」私は頭を捻ってそれについて考えてみた。この世界に来るまでの直近の私の行動を反芻してみることにした。そうすれば何らかの手掛かりを見つけられるかもしれない。

 「私のいた世界で、私は仕事に追われていて凄く眠たかったのを憶えています。徹夜で翌朝まで仕事に取り掛かっていたので、私は今にも眠ってしまいそうでした」と私は当時の自分の心境を思い出すように言った。
「えぇ、続けて」と彼女は言った。
「そうした状況でも、仕事を続けなければならないと私は自分に言い聞かせたんです。それでもなかなか頭がうまく回らなくて、机に突っ伏して眠りに落ちる寸前になってしまって。そんな微睡みの中で、部屋の隅から電話の音が鳴り響いて、、、」と私は話していた。

 「電話、、、」と彼女は呟いた。「その電話は誰からだったの?」とそれから彼女は訊いた。
「いえ、結局その直後に眠ってしまったから分からないんです。仕事の電話かもしれないから、取らなきゃいけないと思ってたんですけど、、、」と私は言った。

 「その電話かもしれない、、、」と彼女は考え込むようにして言った。
「えっ」
「きっかけよ。あなたがこの世界に転送してしまったきっかけが、その電話によるものかもしれないと言ってるの」
「電話が、、、きっかけ?」と私は訊いた。

 彼女は頷いた。それから話し始めた。「言ってなかったけど、量子テレポーテーションには量子もつれとという誘因があって、初めてその現象が発生する仕組みになっているのね。何かのきっかけで繋がった二つの量子の片方に、何らかの刺激を与えると、同時にもう一方の量子にもその影響が及ぶ状態を、量子もつれと言うわ。そして量子もつれでは、二つの量子がどんなに離れていても、瞬時に影響を及ぼし合う性質があるの。さっきも言ったように、現在私とあなたの意識の間で発生している意識の同期現象も、その量子もつれが原因なのよ」と彼女は話した。

 それから一呼吸置いて彼女は話を続けた。「私の仮説はこうよ。2024年の世界のあなたと、この2525年の世界のあなたが、そのもつれ合う関係になってしまったんじゃないかしら。量子もつれは時空を超える性質があることが確認されているわ。それは量子テレポーテーションの引き金となる要素だから、理解しやすい性質ね。そしておそらくその電話が量子もつれのきっかけになったのよ。つまり、何が言いたいかって言うと、2024年のあなたの部屋に電話をかけたその人物の正体は、2525年のあなた自身ではなかったんじゃないかと私は考えているの」と彼女は言った。

 「私が電話をかけた、、、?私は電話なんてかけていませんよ。それにどうやって過去の自分の部屋に電話をかけるんですか」
「一つずつ説明するわね。いい?まずあなたは、これからおそらく2024年の自分の部屋に電話をかけることになるわ。それはあなたのいた世界に帰還するためにかける電話のことよ。きっとあなたは状況的にそうせざるを得ないから、その選択を選ぶはず。これは決定論的な考え方になっちゃうけど、まぁそれで良いわ。とにかく、あなたが自分の部屋に電話をかけることは決定事項よ。そして次にその方法だけれど、この世界には量子もつれを人工的に生み出して、量子テレポーテーションを発生させるテクノロジーというのは既に存在してるのね。さっきあなたも指摘したように」

 「はい」と私は頷いた。
「量子もつれ状態を生成すること自体は、この世界では造作もないことなの。繰り返すようだけど、その量子もつれの仕組みを発展させて開発された技術というのが、量子テレポーテーションね。さらに、その量子テレポーテーションの仕組みが主に応用されているのが、情報通信技術よ。情報通信技術の代表的な存在には電話や電子メールがあるわ。そしてあなたがこの世界に転送することになったそのきっかけを作ったのが、おそらくその電話なのよ」と彼女は話して一区切り置いた。

 それから話を続けた。「この世界の電話には、量子ネットワークが構築されていて、量子テレポーテーションの仕組みが応用されている技術が少なくないの。そういった量子ネットワークは一般家庭にはまだ殆ど普及していなんだけど、パブリックな機関や施設なら採用されていることが多いのね。ちなみに勿論私の部屋には、その量子ネットワークは敷設されていないわ。要するに、その量子ネットワークを活用した電話には、量子テレポーテーションのシステムを実現することができるのよ。それは、時空を超えて全く別の時代に電話をかけられるということを意味するわ。距離も時間もその制約がないの。電話をかけるという行為の中に、全く別の世界の誰かと一時的な量子もつれの関係を作り出す効果があるわ。ただ、実際には通話ができるわけではない。転送できるのは、量子情報の最小単位である量子ビットのみ。つまり、量子ビットを転送したという事実が、そこには転送されるだけね。電話の場合、着信音がその事実の役割を果たしているわ。それを、量子テレポーテーションと呼んでるの」と彼女は話した。

 それから再び話し始めた。「方法としては、繋がりたい別の世界の誰かを思い浮かべながら電話を発信させて、そしてその誰かと量子もつれの関係に繋がることに成功すれば、瞬時に発信先への着信に同じく成功する。その着信が、さっきも言ったように、量子テレポーテーションの役割となるの。電話を介して相手の量子に刺激を与えて、それからお互いの状態を共有し合う感じね。ただ、受け手が受話器を取っても、やはり通話をすることはできない。だから、例えば自分自身の量子情報をそっくりそのまま転送させるなんてことは本来は不可能なの。その質量が大き過ぎるからね。でも、あなたのように完全な量子状態にある存在なら、その電話を使ってあなたの量子情報を、つまりはあなた自身を転送させるような量子テレポーテーションが可能かもしれない」

 私は随所で頷きながら、彼女の話を訊いていた。私にそれらの話を理解するには内容が高度すぎる気がしたが、私は何とかうまく自分なりに解釈しようと努めた。

 彼女は話を続けた。
「どうしてその電話の送信者が未来のあなた自身だったと推定できるかと言うと、それは現にあなた自身がまさに今、これから過去のあなたの部屋に電話をかけざるを得ない状況にあるからよ。それにこちらの世界では、時空を超えて、一時的に別の世界の誰かと量子もつれの関係になるテクノロジーがあるというのは承知の通りね。そしてその代表的な手段の一つが電話であるということも。それらの事実を考慮すると、電話の送り主は未来のあなた自身であったという理屈が通るわけなのよ。あなたの部屋にかかってきたその電話が、未来からあなたがかけた電話だったと仮定して、さらにその電話があなたを量子テレポーテーションさせるためのきっかけを作った量子もつれの役割をしていたと同じく仮定するわね。そしてその量子もつれの関係が、瞬時にあなたの意識を転送させる量子テレポーテーションへと発展した。それらの事実を綜合するとどうなるか。おそらく地球にいたあなたはこの惑星に飛来して、それと同時にこの惑星にいたあなたは地球へと帰還したのよ。擦れ違いの現象が起きってしまったんじゃないかしら。要するに二人のあなたが、同時にそれぞれの地点に入れ替わったということよ。これは、時空を超えた遠隔作用だと推定できるわね。未来のあなたが過去のあなたの部屋に電話をかけた目的は、勿論元の世界に帰還するためよ。おそらく未来のあなたには、そうすることで帰還することができると知っていた。そのことを知っていた理由には、まさに今私がこうして、この仮説を話していることがその証拠になるんじゃないかしら。きっと私がこの仮説を話したからこそ、あなたはその行動を取った。そしてそれらの事象は、何度も永久に繰り返していくわ。きっとあなた自身は、その行動を取るという既定路線に組み込まれているのよ。あなたは次に起きる結果を把握した上で、その行動経路を辿ることになるはすだわ。その決定事項は覆ることはないのだと私は思う。私自身こういった決定論には本来否定的な立場だけど、もはやそう考えるしかないわね。全ては仮説に過ぎないけど、あなたの部屋にその電話が鳴った直後にあなたがこの世界に来訪してしまったという事実を考慮すれば、その電話があなたが量子テレポーテーションをしたきっかけである可能性が高いわ」と彼女は話した。

 「えっと、つまり私は元の世界に戻れるということなんですか」
「この仮説が正しければ、おそらく戻れるはず。どんな因果が作用して、あなたがそうなってしまったのか、あるいはこれからそうなるのか、それについては分からない。だって通常は、何度も言うように自分自身の量子情報を量子ネットワークを介して転送するなんてことは、質量的にまず不可能だからね。でも、量子状態にあった未来のあなたには、過去へと電話をかける際に普通ではない何か特別なことがきっと起きたのよ。過去のあなたがここに飛来してしまったということは、同時に未来のあなたは帰還できたことを意味する、とさっき言ったわね。それは密接な相互作用の関係にあるからこそ、成し遂げられたことなの。そして、これと同じことをあなたはこれからやらなくてはならない、ということ」

 私にはもやは何が何だか分からない気がしたが、私に希望の光が降ってきたことは何となく分かる気がした。

 「ただこの仮説にはタイムパラドックス的な欠点があるわ。それは出発点の正体が何なのか分からないということ。平たく言えば、過去のあなたが未来に転送することになったきっかけを作ったのが未来のあなた自身であるとするなら、一番最初にそのきっかけを作った正体は一体何なのか?ということよ。未来のあなたに触発されて、過去のあなたは再びその行動を取るということになるわけでしょ?その出発点の正体を突き止めることは、この仮説では不可能ね」と彼女は少し微笑んで言った。
「確かに、、、それってかなり変ですよね」と私は同意した。

 「でも、安心して。その性質のおかげで、あなたが過去に戻ることができる事実は全くもって変わらないから。きっと大丈夫よ」と彼女は言った。
「はいっ、ありがとうございます」と私は言った。私は彼女のその言葉に勇気づけられた。

 「未来の私は、というより、この私自身がこれから『未来の私』になるんだろうけど、どうしてその量子テレポーテーションをすることができたんでしょうか、、、」と私は言った。
「そうね、、、もしかすると、人間の意識には未知のパワーが秘められいて、それらの不可能な現象を可能にしてしまう特別な資質があるのかもね。人間の意識の間で量子もつれが自然発生してしまうのも、それが要因になっているのかもしれない」と彼女は言った。
「意識のパワー、、、ですか」と私は言った。
彼女は頷いた。「まぁ、あまりスピリチュアルな世界に踏み込んでしまうのはちょっと危険だから、このくらいにしておきましょう」と彼女は笑って言った。
「そうですね」と私も少し笑って同意した。

 彼女の言う話が真実であれば、私と彼女が会うことも初めから決定事項にあったのだろうか。私にはそれを類推することはできないのだろう。だが、どのみち彼女という存在が何度も私を救ってくれる恩人である事実には変わりないのだ。テーブルを挟んで向かいにいる美しい彼女を眺めながら、私はそんなことを考えた。


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