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「さよなら」の代わりに



〇ドキュメンタリーを撮った話

まだ私が社会人学生をやっていた頃の夏休み。ゼミ(※1)の先生から「ドキュメンタリーを撮れ」と突然連絡があった。

相手は、ゼミの同期であり、学年は後輩、年齢的には年上の、社会人学生S君。
S君はかつてお笑い芸人だった時代があり、今回は他の学生と一緒にM-1グランプリに出るという。
だから、S君のドキュメンタリーを撮ればS君は自身のPRになるし、私は映像作品が増えてwin-winだから、という提案であった。

ということで、本番当日までの約1か月、S君とその相方さんを追いかけた。

※1 先生の専門領域がニッチすぎるので詳しくは割愛するが、学生が求められていたのは『何してもいいから成果物を出せ』である。私は映画やドキュメンタリーを制作、S君は論文や漫才のネタを書いたりやったりしていた。


私は今までドキュメンタリーの撮影をしたことがない。
ただ「ドキュメンタリーのプロのカメラマンは自分の存在を消せる」らしいという話は聞いていたので、話を聞くときはがっつり聞くが、後は邪魔しないように息を潜める感じで撮影させてもらった。

M-1初戦は誰でも参加ができ、アマチュアであっても2回戦くらいまでなら結構上がることができるそうだ。ただ今回は人数があまりに多い日での挑戦だったので、事務所所属のプロしか突破できないだろうという倍率だった。
実際その通りで初戦で敗退している。

こういった『うまくいかなかった時』を見守るのは苦しいのだが、S君は「残念でした。でも楽しかった」とさっぱりとしたコメントをくれた。
私が恐れていたのは相方さんの方で、初めて学外で漫才をした相方さんがこれで凹んだらどうしようと思っていた。
後日、学園祭で発表の場があったこと、ゼミの先生が学外以外で発表する場を獲得してきたことで、何とか相方さんのモチベーションは維持できて、私もホッとした。

編集の方は、合計30時間以上の撮影データがあったので、とにかく記憶を頼りに良いところを抜き出すところから始めたが、とにかく時間がかかった。
インタビューで本人が喋っていた内容の真意を編集で曲げないこと、二人の出番が大体均等になるようバランスを気を付けること、揉め事は一番”いいところ“を使ってあまりぐずぐず引っ張らないこと、何より、見てくださった人に2人を応援したいと思ってもらえるように気を配った。

ゼミの先生は最初「このドキュメンタリー流した後に、本人たちが登場して漫才始めたらおもしろいよね」と提案してくれていたので、M-1までの2人の様子で終えて、エンディングで最近の活動をざっくり紹介する形にした。
そうしてドキュメンタリーは完成し、学内での発表の機会を得た。

楽しげで、時に悩んだり、驚いたり、疲れたり、いろんな表情を見せてくれたS君の社会人学生1年目。
私もS君も2年の課程なので、私の卒業式の日、S君は「来年、僕の卒業式に来てください」と言った。


〇ドキュメンタリーを撮らなかった話

S君の学生生活2年目。
卒業した私は仕事の都合で研究室に残ったので、引き続きS君の様子を見守ることができた。さすがにドキュメンタリーを撮る余力はなかったのだが、代わりに、私の撮ったドキュメンタリーを見たS君の後輩が「今年のM-1挑戦撮らせてください!」と名乗り出た。
S君の方は、今回は別の学生とコンビを組んで出ることになった。相手は18歳。S君とは一回り以上歳が離れている。なかなかの凸凹コンビだが、S君が在学中出会った学生の中で最も本気で芸人を目指している子だった。

ドキュメンタリーの方向性は撮影前にある程度決めておかなければならない。
私は2人の頑張る姿を見せたかったが、S君の後輩は『お笑い』の楽しい側面にスポットを当てたのかもしれない。
後日、今年のドキュメンタリーの素材(完成版は見ていない)を見せていただいたが、相方君が楽しそうなところに終始していて微笑ましかった。

S君は「学内に居場所がない」と昨年以上に研究室に入り浸っていたので、研究室内で仕事をする私とは、必然的に話す機会が増えた。お笑い自体は楽しそうだが、相方たちとのすれ違いや後輩との人間関係、仕事や授業の課題。常に明るいS君は「他の場所では後輩や先生方の目があるから」と、研究室の中でだけ疲れた様子を見せていた。
S君の後輩はそれを映していなかったので、少しだけ惜しいなと思った。


S君在学中最後の舞台は卒業制作発表会(※1参照)で、最後の相方は「一回くらいやってみたい」と名乗りをあげた現役生。今までの相方とは違い「お笑いが好きと言うよりは、ただボケたい人」で、またS君は苦戦を強いられていたが、やはり楽しそうであった。

S君の漫才はM-1本番以外(※2)全て記録してきたので、私はS君に対してほとんど拍手を送ったことがない。最後の発表も私の手にはカメラがあったので、代わりに手を振って、拍手に替えることにした。真っ暗な会場の一番後ろから。
舞台から捌ける途中だったS君は、すぐにこちらに手を振り返してくれた。

S君が卒業と同時に、再びお笑いを辞めることを私は知っている。

笑顔で手を振りながら、最後の舞台から去るS君の裏側に、苦悩と焦燥、疲弊、それでもいつも楽しそうなS君の姿があったことを知る人は、きっと他にはいないのだ。

※2 M-1本番は撮影禁止。1回戦は入場券を買えば誰でも見ることができる。当たり前だが、上に行けば行くほどプロの芸人さんだらけになるので、観覧者も増える。


〇「さよなら」の代わりに

そして先日、昨年の約束通りS君の卒業式に参列してきた。

S君は卒業と同時に転職をする。時期が時期な為、暫く新卒社員と一緒に行動することになるそうで、配属先はまだ決まっていない。
そんな、どこに行くか見当のつかないS君を見送りに、卒業式には社会人学生の後輩たちが大集合していた。みんなが口々にS君に感謝を述べ、卒業祝いに寄せ書きを貰う等、後輩に大変慕われた良い先輩だったことが分かる。
私にとってもS君は困ったときに頼れるお兄さんだが、それ以上に、明るくて、面白くて、真面目で、努力家で、素はちょっと子供っぽい、かわいい後輩であった。


「S君に言うべき感謝はたくさんあるんですけど、一番はやっぱり、2年間楽しかったですね
それが私からS君に贈った、卒業に際しての言葉である。


ドキュメンタリーとして追っていた昨年度。
家族や恋人、職場の誰よりも、顔を合わせた回数も、一緒にいた時間も多かった今年度。
卒業しているのも関わらず真っ先に誘ってもらった、ゼミの先生が「家族旅行」と称した卒業旅行。
私の楽しかった思い出は大体S君がいた……のではなく、S君が全力で青春している傍らで、私も一緒に楽しませてもらった。あの時ドキュメンタリーを撮っていなければ「楽しかったですね」なんて言葉は恐らく出なかっただろう。
いつの間にか、誰よりもS君のファンになっていた。


沢山の見送りに別れを告げたS君は、私には「今後も普通に縁ある気しかしないんですよね」と笑う。

だから私も「さよなら」の代わりに「いってらっしゃい」と見送った。



兄のようで弟のような歳上の後輩の、新たな旅路に幸多からんことを。





〇余談

結論:もう1年ドキュメンタリー撮りたかった。悔しい。



S君の個人的な部分はほぼ割愛させていただいたので、私の好きなエピソードの一例を上げる。

明るい:悩みはすれど、凹む姿はほぼ見ていない。ショックを受けるとムンクの叫びポーズをする。
面白い:日常会話から小ボケをちょいちょい挟む。
真面目:現役生がちゃちゃっと終えるレポートの下調べに1週間以上かける。先生から「このレポート、今後授業で使わせて」と言われる。
努力家:漫才の練習の合間に、ご飯を食べながら試験勉強をする。(ちなみにその時勉強していた試験は満点だったとのこと)
子供っぽい:屋台で瓶ラムネを買ってご満悦。使い終わった紙コップに穴をあけて遊び出す。人の電気ケトルでペットボトルを温めようとしてうっかり溶かす。研究室のお菓子を食べ尽くすもビターチョコだけ残すこと3回



卒業式の後、ゼミの先生から「S君は卒業するけど、お前は来年もいるよな?」、事務からは「次のオープンキャンパスもよろしく」と言われたので、まさかの卒業後2年目の居候が決まった。
私は一体いつ卒業するんだ……?

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