手塚治虫の人柄ートキワ荘・石ノ森章太郎・キン肉マンについて
手塚治虫さんの「新宝島」(育英出版)によって漫画家を目指した人は数多います。
よく知られていますが、「ドラえもん」の藤子・F・不二雄さん、「怪物くん」の藤子不二雄Aさん、「仮面ライダー」シリーズの石ノ森章太郎さん、「天才バカボン」の赤塚不二夫さん・・・まだまだたくさんいます。
作品によって漫画家を目指す少年を後押ししただけでなく、献身的に支ええたエピソードも多くあります。
手塚治虫さんが宝塚の実家に住んでいた時代、その家に招かれた漫画家志望の少年も多くいました。
藤子不二雄の二人、辰巳ヨシヒロさんなどです。
漫画家にならなかった人も含めれば100名以上になるかもしれません。
手塚治虫さんがトキワ荘に住んでいて退去する際、敷金をそのままにして藤子不二雄の二人をそこに住まわせたということも有名です。
では、他の漫画家の作品をどう評価していたのでしょうか。
最も有名なエピソードは、石ノ森章太郎さんの実験的作品「ジュン」についてです。
虫プロ商事が発行した雑誌「COM」に連載していました。
ファンから「ジュン」についてファンレターで聞かれた手塚治虫さんは、「あんなものは漫画ではない」と返事を書いてしまいます。
石ノ森章太郎さんの実力に嫉妬したのです。
返事をもらったファンが手紙を石ノ森章太郎さんに見せてしまい、石ノ森さんは「COM」での連載を止めることにします。
ここで手塚治虫さんがとった行動は、石ノ森さんのもとに行き、謝罪をするのです。
「どうしてそんなことを言ったのか。自分でも嫌になる」と、自らを省みているのです。
神様と言われた人物の、あまりにも素直すぎる一面です。
「キン肉マン」についても、「漫画の奥義」(光文社知恵の森文庫)という石子順さんとの対談本で語っています。
「少なくとも一時代を創ったといわれる作品」
「尊敬に値する開発、開拓だと思うんです」
手塚治虫さんは1928年(昭和3)、ゆでたまごの作画担当の中井義則さんは1961年(昭和36)生まれです。
30歳以上年の離れた漫画家の作品も、評価しているのです。
手塚治虫さんの人柄については多くのエピソードが残されています。
また紹介していきたいと思います。
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