貸本屋は子どもにどれだけ浸透していたか
これまでも貸本屋について書いてきました。
貸本屋文化から劇画が生まれました。
辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを、松本まさひこなどの劇画工房のメンバー。
「影」を出していた日の丸文庫には、水島新司が働いていました。
貸本があったこらこそ、現在の日本の漫画の隆盛があるのです。
最盛期に、貸本屋は30,000店もあったといいます。
普通の新刊書店は、1996年の26000店舗が最大です。
貸本屋の多さがよくわかります。
では、貸本屋がどれぐらい子どもたちに使われていたか? です。
竹内オサムの「戦後マンガ50年史」に書かれていました。
引用します。
「中野区の野方小学校に通う生徒1500名。この調査によれば、貸本屋の門をくぐった経験者は、六年で52%、五年で60%となっている。」
さらに、
「貸本屋を利用する子は、本が買えない子ではなく毎月雑誌を買っている子どもであるという結果も示されている。」
1955(昭和30)年の調査です。
小学生の半数が貸本屋を使ったこがあるのです。
最近のある調査によると、現在の小学六年生の7割が、
月に一回は書店に行くといいます。
貸本屋の調査から出てきた数字は、
まだまだ貧しかった日本が貧しい時代です。
本や漫画が大きな娯楽だったと、
証明できるものでしょう。