志(こころざし)
今日は「志」という言葉についてです。
志(こころざし)とは
志(こころざし)とは
心に決めて目指していること。また、何になろう、何をしようと心に決めること。 「 -を立てる」 「 -を曲げる」 「事-と違たがう」 「 -を同じくする」
大辞林 第三版
です。
漢字で書くと「士の心」ですね。士を分解すると十と一になります。十は多くの人を表します。一は自分を表します。一は十の下にあります。つまり、多くの人の礎になる心が「志」です。
志を持つ。多くの人の礎になる心を持つ。
世の中の役に立つために我が身をなげうつ気持ちを持つことだと思います。
「志」と「野心」
「志」とよく比べられるワードとして「野心」があります。
どちらも目的に向かって成し遂げようとする強い気持ちが含まれています。
これらは何が違うのでしょうか?
いろんな意見がありますが、私は以下のように分けています。
野心とは、自分が中心の強い思い。富、名声、権力などを得たいという気持ち。
志とは、世の中が中心で我の無い強い思い。世の中を良くしたいという気持ち。
では野心はダメなのでしょうか?
そうではないと思います。
確かに「自分が」という我欲が強くなるのは周りから見てもあまり気持ちの良いものではありません。ですが、出世をしたいという気持ちや、起業して成功したいという気持ちはあっても良いと思います(損得や駆け引きで誰かの上に立ちたいという気持ちでなければ)。特に若い人は沢山チャレンジした方が良いですし、沢山失敗することで見えてくるものもあると思います。そういう意味では野心を持っていろんなことに挑むのは良いと思います。
そして、ある程度経験を積むと、我欲(私利私欲)が残る人と、それらがどうでもよくなる人に分かれてくるように思います。
野心はこのタイミングで志に変わるのではないか、と私は思っています。
若いころから私利私欲のない人は個人的にはちょっと味気ないようにも思います。もっとガツガツして欲しいという気持ちもあります。
ですが、ある程度年齢を重ねると、今度は自分の欲に生きている人よりも、そういったものよりも世の中を良くしたいという生き方をしている人の方が魅力的に見えてきます。
志はその頃から持ってもいいと思います。
Boys, be ambitious.
クラーク博士はこのように言いました。
この「ambitious」は野心的という意味もあれば、志という意味もあります。
これを訳した人はクラーク博士の意図を酌んで「大志」としたと思います。
確かに「野心」や「野望」とするとちょっと我欲が強い印象がありますので、大志の方がいいと私も思います。
ですが、上にも述べたように、少年の頃はそんなに私利私欲を捨てることは気にせずにガツガツしてもいいと思います。
まとめ
ガツガツしましょ。
そして、
世の中を良くしたいという気持ちを一緒に「同志」になりましょ。
というところで、今回はここまで。
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