『秋刀魚の苦味』(短編小説)
(あらすじ)姑の葬儀でも母は泣かない。姑の入院中に母は積年の恨みを晴らしたようだ。一体どのような方法で?気になった息子の僕は、母にそのことを尋ねると、意外な方法を知らされることに……
祖母が入院した日、
「やっと思い知らせてやる日が来たの」
と母が僕に言った。
祖母である姑との不仲は、僕だけでなく家族中の誰も知っていることだった。今までさんざん母をいびり倒してきた姑が、重篤な病気にかかり入院したのだ。もう家には帰ってくることはない。その姑に対して、母は最後の復讐をするつもりらしい。
その頃、まだ僕は高校生だったから、母は四十前だったと思う。母はこの家に十八歳のときに嫁いできた。つまりその時の僕とほとんど変わらない年齢で苦労を背負うために我が家にやってきたのだ。学校では、女の子を追っかけまわし、グランドではラグビーボールを追っかけまわしていた僕には考えられないことだった。
「それほど、お父さんのことが好きだったの」
と、冗談ぽく言っていたが、本当は少しでも早く実家を出て行きたかったのだろう。三姉妹の長女だった母は、中学を卒業するとすぐに製菓会社に就職した。
「勉強が好きじゃなかったから、すぐに働きたかったの」
と、これも表向きでは言っているが、本当は働かない実家の父親(僕にとっての祖父)に代わって、必死に働いている実家の母親(僕にとっての祖母)を助けるためだった。
散々苦労している自分の母親を見ていた母は、手に職を付けようと、はじめは美容師になれないかと考えていたそうだ。美容師なら一生働いていけると思ったのだろう、だが、仕事にも苦労していたが、それ以上に働かない夫に苦労していた祖母は、
「美容師は、いい旦那がつかないからだめ。ちゃんとした会社につとめなさい」と諭したそうだ。
そこで母が中学の先生に相談すると、パン屋と製菓会社を紹介してくれた。パンとお菓子、どちらも大好きだった母は迷いに迷ってお菓子を選んだ。
「本当はお菓子よりパンが大好きだったの」
「じゃ、どうしてパン屋に就職しなかったのさ」
僕が訊くと、母は恥ずかしそうにうつむいて、
「パン屋さんの仕事は、お店での販売だったからよ。ほら、お母さん、そんなに美人でも愛想がいいわけでもないでしょ、だから工場でお菓子を作る仕事を選んだの」
と母は言うが、僕の授業参観に来る母は、クラスのみんなが誰の母親かと噂するほどの美人だった。でも母親は自己評価がすこぶる低く、生まれてこのかた、自分のことを美しいなどとは思ったことなどなかった。
自己評価の低い母は、十六歳の春から、ネズミ色の作業服を着て、製菓工場でキャラメルを作ることになった。甘い匂いが立ちこめる工場の中で働くういういしい母は、すぐに評判になった。だが、自己評価がすこぶる低い母は、なにかと仕事を手伝ってくれる男たちのことを、やさしいお兄さんとしか思っていなかった。
家族を助けるために、必死で働き、給料のほとんどを家に入れていた母は、はじめの一年間をただひたすら働いた。
何人もの男たちにデートに誘われたが、そのほとんどを断っていた。そんな余裕はなかったのだ。仕事のない日は、家族を助けるために洗濯や掃除など家での仕事が待っていたからだ。
では、どうして僕の父と恋に落ちたのか。自己評価が低い美人の例に漏れず、母はどこか、そそっかしい所があった。
毎日、母は工場の食堂で昼食を食べていた。その日メニューは、母の大好きなサンマの塩焼きだった。貧乏だった母は、幼少の頃より家ではいつもサンマを頭と尾の二つに分けて、半分しか食べられなかった。どちらを選んでも内蔵まで残さず食べるのだ。
「お母さんだって、本当は苦いハラワタなんか好きじゃないのよ、だけどお腹が減ってるから仕方なく食べてたの。下品よね。ハラワタなんか食べて」
と、これも表向きは言っているが、本当はさんまの内蔵が今でも大好きで、父親に叱られるので、こっそりと台所で食べているのを、僕は知っていた。
その日は、就職して初めて食堂にサンマがでた。母はうれしくてたまらなかった。一匹まるごと食べられるサンマは、母にとって三つ星レストランのディナーのようなものだ。
だが、長年の習慣から、本来残してもいいサンマのハラワタを食べたくて仕方がなかった。みっともないのはわかっていたが、急いで食べれば誰も気が付かないと思った母は、急いで骨ごとサンマの腹にかぶりついた。
そのときだ。のどに鋭い痛みが走った。さんまの太い骨がのどに刺さってしまったのだ。痛みとえずきで顔を真っ赤にしている母に、いち早く気が付いたのが、父親だった。
「どうした?」
何か喉につまったと思った父は、食べていた天ぷらうどんを途中でやめて立ち上がった。
「のどに、ほ、骨が」
母は恥ずかしいのと苦しいのを我慢しながら、なんとか言葉にした。
「サンマの骨だな。ゴックンしてみろ。ほらゴックン」
父親に言われて、何度も飲み込もうとしたが、やはり無理だった。
すると父はどこからか毛抜きを持ってくると、母の口を大きく開けさせた。
「ほら、ここじゃ見えないだろ。こっちに来い」
乱暴な言葉で、母を窓際に連れて行った。強引に口を開かせると、父は母の喉に刺さる骨を見つけ、毛抜きで簡単にひき抜いた。実に手際のいい処置だった。
「そのときよ、この人が私の夫になる人だと思ったの」
嘘つけ、と言いたいところだが、これは本当の話だ。口は乱暴だが、すべてにおいて手際のいい父は、簡単に母を夢中にさせた。
今までのキャラメルだけの生活が、父との甘い生活に変わった。
それでも工場内で二人の仲が噂になることはなかった。その点でも父の手際は見事なものだった。
工場の中では、ほとんど母と口をきかないのだ。父はほかの女性とは長々と話をするが、母とは目も合わさない、ただ一言、待ち合わせ場所と時間を耳打ちするだけだった。
交際は二年続いた。母は十八歳の春に、結婚し、工場をやめて、この家にやってきた。 今考えれば信じられないことだが、長男である父には弟が二人もいた。しかも、一番下の弟は母と同じ年である。舅と姑、それに男兄弟三人、この家に十八歳のういういし妻がやってきたのだ。それも家は広くはない。一階は台所と居間の二間、二階は母を迎えるために急遽増築した一間があるだけだ。その二階で父と母の結婚生活は始まった。
だが実際は、娘が一人増えた、といったことに過ぎなかった。台所は一階に一つしかなく、母は父のために手料理を作る機会がなかった。朝夕の食事は、姑が作った料理を、家族六人でいっせいに食べるのだ。姑は、いっさい母に炊事の手伝いをさせなかった。
ある日、母は冷蔵庫を開けて、姑にたしなめられた。姑にとって冷蔵庫の中は聖域みたいなものだった。息子である父が勝手に開けるのは許されても、嫁である他人の母が開けることは絶対に許されなかった。
「私は、真夏のときも、買ってきた生ぬるいミックスジュースを一人、二階の部屋で飲んだのよ。その気持ち、あなたにはわからないでしょ」
甘やかされて育った僕には、母親の恨み節が半分も実感できない。
「私、それでお父さんに言ったのよ。『小さいのでいいから冷蔵庫を買って』て」
結婚二年目に僕が生まれると、夫に冷蔵庫を買ってもらった。それはそれは嬉しかったそうだ。だが、母の不幸はそれで終わらない。母が冷蔵庫のコンセントを入れると、家中のヒューズが飛んでしまったのだ。昭和四十年代は、どの家にも電化製品は少なかった。そのために電力会社も、たいした量の電力を供給する必要などなかったのだ。二台の冷蔵庫を維持するだけの電力はまだない。買ってきた冷蔵庫は、すぐに店に戻ることになった。
「しばらく我慢しろ」
結婚する前は、父のそっけない言葉が素敵だと思っていた。しかし、そのときほど、父のそっけない言葉が冷たく感じたことはなかったそうだ。
その夜も泣きながら、生ぬるいミックスジュースを飲んだ。いつかきっと恨みを晴らしてやると心に誓いながら。
しかし、姑はさすがに孫は可愛く感じたらしく、冷蔵庫の一部を母のためではなく、孫のジュースを置くために解放したのだ。
「とにかく私だけが、お祖母さんにとっては、この家の人じゃなかったの」
形勢が少しずつ逆転していったのは、父の兄弟たちが、それぞれ結婚して家を出て行き、その後、祖父が亡くなってからだった。
姑は、ついに冷蔵庫の権利を母に明け渡したのだ。母はこれで好き勝手に料理ができると喜んだ。だが、話はそう簡単には進まない。
母の作る料理を、ことごとくけなしたのだ。
「幼いあなたたちの前で、作った料理をけなされる身にもなってよ。あんたたちまで、私の料理を馬鹿にするんじゃないかと、困ったわよ」
ついに母はキレた。すると姑は自分の分は自分で作り、部屋で一人食べると言って、家族とは食卓を囲まなくなってしまった。もちろん、近所には嫁にいびられていると、噂を流すことも忘れなかったそうだ。
とにかく母と姑は気が合わなかった。今思えば、十八で嫁いだ母が、世間知らずだったこともあるだろうが、姑は、溺愛している息子を取られて気に入らなかったに違いない。
その後は、たまに小さな諍いもあったが、大きな喧嘩もなく月日が過ぎていった。その間に姑はどんどん頑固になり偏屈になっていった。
具合が悪そうなので、病院に行くように促しても、母の言うことは絶対にきかなかった。唯一、父が言ったときだけ、父に従って病院に行くのだった。寝たきりになっても、世話をする母に感謝の言葉の一つもなかったのだ。そして、病気はすこしずつ進行し、ついに入院することになった。
母の復讐が、どんなものだったのか、祖母が亡くなり、葬式が終えられたときまで、僕は何も知らなかった。ただ葬儀中、父親をはじめ三兄弟は涙を流して、祖母の死を悲しんだが、母は一度も涙を流さず、てきぱきと仕事をこなしていたことを覚えている。まぁ、そうだよな、と僕は母のことを悪くは思ってはいなかった。それよりも母の復讐がどうなったのかが気になっていた。
葬儀が終わり、今までいた親戚や近所の人たちが帰ったあと、なぜだか、僕は母と二人きりになった。
母は、祖母が危篤状態のときから、付き添っていたために、相当疲れていた。切れ長の目の下にはうっすらとくまができていた。
「私、ついにお祖母さんに勝ったのよ」
と、母はぽつりと僕に言った。
「で、どうやったの、母さんの復讐」
僕がそう言うと、母は軽く微笑んだ。
「お祖母さんが入院してから、私は、お父さんの兄弟の誰よりもお祖母さんのために働いたの、それも愛情をもってね」
僕は、耳を疑った。
「それが、母さんの復讐なの?」
「そうよ。お祖母さんの大好きな息子たちより、嫁である私の方が、どれだけ役に立つのか、お祖母さんに教えたかったの」
「それで?」
「ある日、お父さんが、私の代わりに病院に泊まったことがあったでしょ」
確かに、そんな日があった。日頃はずっと母が祖母に付き添っていたが、疲れている母を見かねて、父が付き添いの代わりをかって出たのだ。
「そのとき、お祖母さん、夜中に目が覚めると、子供のように私の名前を呼んだそうよ。息子じゃなくて、嫁の私に来てほしいって、お父さんに頼んだの」
それを聞いて、母は自分の復讐が成功したことを喜んだ。次の日に病院に行くと、ずっと黙っていた祖母が、母に言ったそうだ。
『家にいるとき、実はこっそり食べてたの』
母は祖母が何の話をしているのか、始めはわからなかった。すると祖母は恥ずかしそうに言葉を続けた。
『ずっと黙っていたけど、あなたと同じように、私もね、さんまのハラワタが大好きなの』と。祖母もみっともないと思いながらも、母と同じようにやめられなかったのだ。
『あの子たちには内緒よ』プライドの高い祖母は、息子たちにはそのことを伝えないでと言った。それはつまらない秘密だったが、母には特別なものだった。祖母のせいいっぱいの母への愛情表現だったからだ。
さんまのハラワタ、一度食べてみたことがあるが、その苦みを僕はちっともおいしいとは感じなかった。それは僕が祖母や母のように苦労を知らないからかもしれない。
「もう、お祖母さん、いないのね」
と母は淋しそうにつぶやいて、そっと涙を流した。
それから母は、葬儀に使った祖母の写真を、いつまでも見つめ続けていた。
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