ピントがくる。
子どもの頃、親父と一緒に見た「ボビー・フィッシャーを探して」という映画を十数年ぶりに見た。この映画は、実在した天才チェスプレイヤーの少年時代の話で、トーンとしては暗い映画だ。
当時はさっぱり意味がわからず、二本目に借りていた「ゴジラVSモスラ」を早く観たいと思いながら仕方なく見ていたのだが、そこから十数年が経って、自分が親になって見ることで衝撃を受けた。内容は初めて見たも同然のものだった。
内容をざっくり言えば、息子の才能に気づいた両親が、有名なコーチを付けて、チェスだけに没頭してトップを目指すというものなのだが、描かれているのは、親の期待や、コーチの教え、強敵との出会い、勝たなくてはいけないプレッシャーなど、7歳が抱えるには酷なほどに重たく、「人間にとっての幸せは何か?」を考えさせらるものだった。
親父が昔「お前にもいつかわかる」と言っていたけど、自分が子供をもってみて「ああ、こういうことだったのか」と分かるようになった。
当時の自分に見えていたのは、全体の中のほんの断片にすぎず、内容に対してピントが合っていなかったと思う。
ただ、この感情や意味を当時の自分がわかるかというと、それは無理だったと思う。
それは「ピントが合う」ではなく、「ピントがこない」というそもそもな現象だと思うからだ。
今、ピントを合わせようと努力しているもの自体が、向こうからきてくれるものかもしれないと思うと、時が経つことにも意味を感じる。
焦る必要はないのかもしれない。