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ついつい見てしまうアレ。

「本当に買ってよかったモノ」から始まる一文を見ると、作業中であっても、なぜか見てしまう自分がいる。興味があるジャンルならもちろんのこと、それほど興味がなくても開いてしまうので、とても強い力を持った一文なんだと思う。みんなも、そんな一文に釣られて「つい、開いてしまった」なんてことはないだろうか。

他にも、自分がつい見てしまう一文に「行ってみたい」や「やってみたい」など、動詞に願望が込められたものがある。シンプルながら、これもまた強い力を持っていて、作業中であっても自分は開かされてしまう。

集中力がない自分が悪いのか、この一文が持つ吸引力が強すぎるのか、はたまたSNSを開いて仕事をしていることのそれ自体が悪いのか。

答えとしては、後者のSNSを開いていることが、集中力を削ぎ、コンテンツに気を取られる状況をつくってしまっているのだが、もっと大きな視点から見れば、コロナによるテレワーク環境、監視されてないことの緩みによってSNSを開いているのではと思う。

いや、もっと言えば、ディスプレイを導入したことによって、「作業画面」と、「情報取集画面」とが分かれていることによって、この状況に陥っている気がしなくともない。

ちなみに、このディスプレイは作業効率を目的として、ガジェットに詳しい後輩のおすすめで購入したものだが、その前には「買ってよかったディスプレイ」というコンテンツを見ている。

自分の意思で見ているのか、見させられているのか、もしかするとこのディスプレイは、自分の意思で買ったのではなく、メーカの一連のマーケティング施策の中で、必要と思うように誘導され、買わされてしまったのではとも思えてくる。

ちなみに私が今一番ほしいのは言わずもがな「集中力」。その一点のみである。