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ウエダ再興記

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現在のウエダ本社になるまでの経緯を綴ったものになります。ウエダ本社の本質を知りたい方はぜひご覧ください。
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#ウエダ再興記

ウエダ再興記⑩~ 一生居たいか居たくないか?

瀧定の儲かる理由の一つに、アパレル等の話や情報を聞き、先読みして自分の所でリスクを抱え商品を作るという事と、営業員に企画をさせて商品作りをするという事があります。
私は元々、自社の商品では相手にしてもらえない先に行っておりましたので、企画をし、商品作りを入社二年目から行っていました。

通常テキスタイルの場合、1年位前から商品企画をするのですが、ある頃から売れ筋を当てるという事がどんどん難しく

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ウエダ再興記⑨~ 開き直った瞬間

怒られていた時期は、ほんの二、三ヶ月だと思いますが、この時期は会社へ行くのが嫌でした。
毎日、今までやって来た事を否定され、それに対して説明をしても一切聞いてもらえませんでした。
ある時までは反論しましたが、ある時期からはそれも無駄だと思い、何を言われても一切反論しなくなりました。
会社から夜遅く帰ってからは、マンションのベランダで一人でよくボーっと考え事をしていました。

どう考えても納

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ウエダ再興記⑧~初めての挫折

私は元来、人の好き嫌いもハッキリしていましたし、正しいと思う事は相手が誰であれ、言っていくタイプでした。
社会人になってから、これではマズイなと思った事もありましたが、途中からは開き直って、性格を直すよりも、それを生かした方が良いと思い、幾ら気に入らないと思われても、それを常に上回る位やろう、誰にも文句を言えない位にやれば良いのだと考える様になりました。

そんな考えで意見をドンドン言い、それ

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ウエダ再興記⑦~遮二無二働く

その頃は特に遮二無二働いていたと思います。

通常でも夜の10時には機械警備になるので、絶対に退出しないといけない様になっていましたが、仕事が終らない為、朝から夜10時まで悲壮感漂う形相で仕事をしていましたし、入社3年目頃に土曜日も休みになりましたが、瀧定を辞めると決めるまでは殆ど土曜日も休んだ事はありませんでした。
それに加えこの頃は、特に全く相手にしてくれないどころか、来てくれるなというア

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ウエダ再興記⑥~瀧定入社

大学卒業後ウエダに入ることを考えてもいなかった私は、瀧定という繊維商社に入社しました。

瀧定という会社は繊維関係の方であればまずご存知である、繊維専門では最大手の商社です。
しかし誰にでも知ってもらっていますが、繊維関係の方に元瀧定ですと言うのは、良く思われるか、悪く思われるか極端ですので、難しい面があります。
何故、評価が両極か、それは良く言えば、大変厳しい会社であり、悪く言えば、"えげつ

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ウエダ再興記⑤~ ホンモノ?の謙虚さ

しばらくの間イイ気になっていた私が、偉そうぶってはいけないと思う様になったのも悪達との付き合いからでした。
こういう付き合いをしていますと、色々な学校の悪達とも会うのですが、たくさん会っていく中である事に気づきました。

それは、どのグループででも、一番強いとされている人というのは、あまり偉そうぶらず、どちらかというと低姿勢とさえ感じさせる人が多いという事でした。

”粋がっているのは格好悪

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ウエダ再興記④~あの時の経験に比べれば

私の中学では派閥的なものはなく、このヤンキーグループというのは三十人程の一つのグループでした。

琵琶湖疏水にも近く新設校であった小学校では、クラスも二クラスで、悪と言ってもヤンチャ程度であり、その上、優等生グループに所属していた私は、中学に入学してから、このヤンキー連中には驚きましたし、怖かったのが正直なところです。

ところが三年近く怖い存在であったグループに入ると、そのグループが一塊であった

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ウエダ再興記③~優等生グループと不良グループ

もう一つ私の性格に大きく影響を与えた事というか時期が、中学二年の終わり~でした。

今、私の事を知っている人からすると驚かれる話だと思いますが、実際この経験が私の性格には大きく影響を与えているのでカミングアウトしなくてはいけないと思います。

中学二年の終わり~どうなったか?それはその頃からヤンキーグループ、所謂不良グループと付き合うようになりました。

それまで新設であった小学校では、私が初代の

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ウエダ再興記②~可愛げない子

私の考えの源となった出来事の後からか、その以前からそうだったのかは分かりませんが、この頃から私は父親が社長であるという事が嫌で嫌でしょうがなかったのです。
変な子供だと思います。

当時父親は外車に乗っていました。
これには、創業者の祖父が珍しい(新しい)もの好きで、外車を乗り換えていたのですが、そのお古に乗っていたという事であったり、商売上色々な取引があるので外車の方が、出入りする所に気を

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ウエダ再興記①~私の考えの源

何の為に会社をするのか?何の為に生きるのか?に関わる私の価値観について、 私が初めに意識したのは小学校二年の時でした。

その日は、父親の帰りを心待ちにしていました。 平日の夜は、いつ帰って来るのか分からないので、寝てしまっていることも多かったのですが、その日はあることを言いたくて、待っていたのでした。
あることとは、その日学校で担任の先生から、”人間は平等であり、社長だから偉いということはな

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