ウエダ再興記⑨~ 開き直った瞬間
怒られていた時期は、ほんの二、三ヶ月だと思いますが、この時期は会社へ行くのが嫌でした。
毎日、今までやって来た事を否定され、それに対して説明をしても一切聞いてもらえませんでした。
ある時までは反論しましたが、ある時期からはそれも無駄だと思い、何を言われても一切反論しなくなりました。
会社から夜遅く帰ってからは、マンションのベランダで一人でよくボーっと考え事をしていました。
どう考えても納得いきません。しかし誰もわかってくれません。
ドンドン考える内に、自分のやって来た事、あれだけ一生懸命仕事して来た事が馬鹿馬鹿しくなり、もう辞めようかと思いました。
駄目社員になって二ヶ月位過ぎた頃か、ある晩ベランダで考えていて、明日にでも辞めると言おうと考えた瞬間、自分の考えが逆流し始めました。
このまま辞めたら、結局自分のやって来た事は、皆が言っている様に駄目であったと認めてしまう事になる。
自分は、あれでけ一生懸命にやって来たのに、これで辞めてしまうと負け犬で終ってしまう。
それこそ、悔しいのではないか? そう思うと急に考えが変わり出し、よしそれじゃ一度徹底的に売りまくってやろう、そう思いました。
これだけの事なのですが、これが開き直った瞬間で、翌日直ぐに、課長(部長兼任)に、今までの動きを止めて、瀧定がメインとするターゲットの売り先に担当を変えてもらう様に頼みました。
それからは売る事に徹しました。
と言っても、元々瀧定がメインとしている層(量販店)に向けて、その層向けに企画をした商品を売るわけですから、私にすれば、この方が全然簡単でした。
何せそれまでは、来て欲しくないと言う所に行って、そこに合う”センスの良い商品”などないので、そこに合わせる為の商品を自ら作って売っていかなくてはいけないのですから、それまでの方がどれだけキツイ事をやっていたか分かりません。
そんな調子で売りに回ると今までと比べてホントに簡単に売れ、翌年には年間優秀販売賞をもらう様になりました。
そうなると今度は、”岡村は変わった”とか”よく頑張っている”と言われる様になりました。
その時点になって、あの頃私は、こういう様に考え、こういう事をやっていたのだと言うと、他人は初めて、なるほど、そう頑張っていたのかと聞いてくれる様になりました。
私はこの時期の経験で、他人というのはこんなものなんだという事を痛感し、これ以降仕事に対して、他人に対して、どんな事でも全て自己責任で考えるという事ができる様になりました。
又、この売れないという経験をせず、初めから瀧定のメイン層を持ち、よく売れるという経験を最初からしていたら、私の性格からすると、大いに勘違いをしていたと思いますが、この経験があったお陰で、上辺の事で褒められても、有頂天にはならず、会社の力や看板など、そういう背景の要因で、物の売れ方も違うという仕組みを理解する事ができました。
よく特に大企業などにおられて大変よくやっておられた人が、独立して看板が外れると、その時初めて自分の力で売れていたのではないという事に気づかれたりしますが、私の場合は、こういう仕組みを会社の在籍中に勉強できたのは大変大きな事だったと思います。
ニ、三ヶ月の駄目社員を脱却し、又認めてもらえる存在になりましたが、同時に私の中ではこれで、”やっぱり自分のやっていた事は間違いではなかった”という、自分の中でケジメはつけられたので、逆にもう、いつでも辞められると思うようになりました。
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