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目標設定を高く

受験シーズンもいよいよ終盤だ。
折しも首都圏の中学受験の天王山だ。大学受験も私立大学から始まり、国公立大の個別試験が始まり、地方においては私立高校、公立高校受験と、それぞれが最終的に出願先、進路にむけて最終調整をしているだろう。
この最終進路決定にいたるまで、おそらくどの家庭も志望校を決めるまで、紆余曲折しているだろうが、ここで気をつけて欲しいことをまとめたいと思う。

「青年よ大志を抱け」

北海道開拓使の父であるクラーク博士は、札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭である。彼は将来の北海道開拓の指導者となる1期生16名に、動物、植物学のほか、キリスト教を英語で教え、有名なことば「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」という言葉を遺している。

20年前、私の子がこの世に生を受け、誕生した瞬間、無事に生まれてきたことに対して安堵すると共に、我が子の小さな手を握りながら、このクラーク博士の言葉の意味を噛み締めていたことを覚えている。最初の1ヶ月は必死の授乳でそんなことを考える余裕もなにもないのだが、授乳間隔も空いて余裕が出てくると同時に、将来はどのように育って欲しいか、何になって欲しいかという、親の漠然としたビジョンに基づいてあれこれ手探りの子育てが始まる。

よく「五体満足ならそれでいい」と言われるが、それを言えるのはおそらく最初のうちだ。
1歳児健診では、既に歩いている他の子どもに比べて自己嫌悪に陥ってしまったり、3歳児検診では圧倒的におしゃべり上手な女児を尻目に拙い言葉しかでない我が子に戸惑いを隠せなくなったりと、とかく比較して物事を考えがちである。そのころ他の子よりもどうやら発達が進んでいる?いや遅れている?と一喜一憂し、ではそれを伸ばしていこうあれやこれやと習い事に通い始め、少しでも上達して欲しい、できれば教室で1番良い成績で、できればこのあたりで1番よくできるように、などと、次々と要求は高くなっていく。

他人はそれを「親のエゴだ!」というかもしれないが、果たしてこれは親のエゴなのだろうか?私はそうは思わない。何故なら子が成人して独立するまで、親には子を育て、教育する責任を伴っており、それは教育基本法にもきちんと謳われている。

教育基本法第二章 教育の実施に関する基本(家庭教育)

第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

しかし、以前取り上げたように9歳の壁から中学生のあたりには子供は反抗期に差し掛かるため、この頃にまで親が全面的にレールを敷き、あれこれ言ってしまうと、ますます反抗心が強くなってしまうか、あるいは面従腹背するような裏表のある人間になってしまっては元も子もない。


では一体どうしたらよいのだろうか?
それは、自分の将来にはいったいどんな世界があるのか知らせてあげること、その世界にたどり着けるようになるには、どのような努力をしなければならないのかを教え、背中を押すサポートをすることだけである。そして、親に示された世界観によって、子どもの将来への可能性は、広くも狭くもなってしまうということに気をつけなければならない。

ここで、親の所得や環境によって大きく教育環境が違ってくることは言うまでもない。特に2018年に文部科学省から発表された報告書には、衝撃的な内容に驚きを隠せなかった。

文部科学省 国立教育政策研究所
親の所得・家庭環境と子どもの学力の関係:国際比較を考慮に入れて

私の経験上においても、確かにそういう面はあると言わざるを得ない。しかしながら、全部がそうとも言い切れない。例えば中学受験においてはかなりの部分で親の知識、経験量によって子どもへの教育環境の整え方、日常生活における優先順位が変わってくるために、子どもの得られる経験量が随分変わる。読書量にしても家の居間に本がなければ日常で読書をするという習慣も生まれないし、鉛筆削り、定規、辞典、参考書といった学習ツールもなければ家庭学習すらできない。

また、学習時間にしても、学校の宿題をすればよしとする家庭から、学校の内容以上の進度であれこれ学習する時間を日常的に設けている家庭まで、実にさまざまである。
こうした場合その差は一体何から生まれているのかというと、親の子に対する将来への意識の違いであり、学歴差ではない。具体的に言えば、

・親が子に対して客観的に現状(成績含む)を把握できているか
・自分達の社会的ポジションを把握できているのか
・将来への明確なビジョンを持っているのか
・逆境を跳ね返せるだけの強いメンタルを持ちえているのか
・謙虚であるか

私はこれを満たすご家庭、保護者のお子さんは成長著しいと感じている。逆の場合はなかなかよい結果が見えてこない。志途中で挫折、脱線することは良くある事は確かである。

目標設定を高く持たねばならぬ意味

子育てが進むにつれ、目標が高くなることは親の立場になれば誰しもが経験するだろう。ここで、良く引き合いに出されるのは、アドラー心理学を紹介したベストセラー『嫌われる勇気』(岸見一郎/古賀史健 ダイヤモンド社)に始まった、アドラー式子育て論である。熊野 英一氏によると、子どもには勇気づけが必要だとしている。

勇気とは、目の前にある解決すべき課題や困難を克服する力。その力をつけるためには「ほめる」でも「しかる」でもない、ありのままを受け入れ、子どもの存在価値そのもの全てを受け入れることが大切。それが「勇気づけコミュニケーション」なのです。

「ほめる」「しかる」を捨てよう。 「アドラー式子育て」とは?
HUFFPOST よりLAXIX

私はこの存在価値を認めることは当然のこととは思うが、「ありのままを受け入れる」という部分に違和感を感じている。もちろん、親子関係においてなんのトラブルもなく日々穏やかに過ごすことのできている家庭において、この実践はその通りであるが、私がこうして指導する立場になり、様々な家庭の様子を見てきた範囲では、実際になんらかのトラブルを抱えながら日々を過ごしている家庭の方がおそらく多数派である。また一見問題なく、順調そうに見える家庭であっても、無意識の過保護、親子未分離、過大評価による過剰期待値あるいは真逆の無関心によって、子どもの心が萎縮してしまっていることがままある。こうした子どもの難しい時期に中学受験、あるいは高校受験を迎えなければならないことは本当に親にとっても試練なのである。
毎日勉強する気にならず、ゲーム三昧、スマホ三昧、外出三昧の子どもの姿をみてそれを受け入れろといわれても無理な話である。そのような時には、叱らずに諭すことが大切だと言われても、冷静に対応できる親がいたら誰も苦労していない。少なくとも我が家の子育てにおいて叱らない子育てというのは幻想に過ぎない。

さらに、ありのままでよいということに固執するあまり、向上のチャンスまで潰してしまっては元も子もない。不撓不屈だとか、七転び八起きだとか、ハングリー精神という言葉は、古来より自分の現状を打破せんと人はより高みを目指し努力する姿、精神を言い表してきた。
このような気持ちを無視してありのままの姿を受け入れよとは到底受け入れられない。これまで私が数々の逆境を跳ね除け、頑張ってきたことを全否定されているような気持ちにさえなった。

このようなもやもやとした気持ちの中で、私はある1冊の本に書かれた内容に安堵した。

ダニエルの将来の成功を決めるのは、「パフォーマンス」と「野心」との組み合わせだったのである。ところが、ふたりの経済学者が最も意外な結論に行き着いたのは、アイビーリーグの大学に落ちた学生について調べていた時だった。SATの点数やGPAなど、その学生のあらゆるパフォーマンス基準を調べたところ、卒業一〇年後の年収を決める重要な要素は、その学生が通った大学の名前ではなかった。長期にわたる成功を決める唯一の要因は、たとえ合格しなかったにしろ、その生徒が出願した最難関大学にあった。もっと具体的に説明しよう。ある生徒がハーバード大学に願書を出したが落ちて、ノースイースタン大学に入学したとする。その学生の将来の成功は、SATの点数や高校時代の成績が同レベルにあった、ハーバード大学の学生の成功に何ら劣らなかったのである。言い換えれば、あなたの子どもの成功を決めるのは、「パフォーマンス」と「野心」――自分がどこに属していると自分で思うか――なのだ。
引用:アルバート=ラズロ・バラバシ. ザ・フォーミュラ~科学が解き明かした「成功の普遍的方法」

「自分がどこに属していると自分で思うか」によって将来の成功、年収が決まるのだという。叶わなかった受験校や目標、夢であったとしても、自分がその叶わなかった層に属しているという意識が、その人間の持つ本来の能力を引き出し、実生活に役立てられるようになるということなのだ。

とすれば、受験時における志望校決定の際、併願校の選択には注意しなければならない。というのは、地方においては中学受験をする生徒は極めて稀で、選択肢も本命校か公立かという二択がほとんどである。が、首都圏受験事情はそうではない。首都圏を展開する中学受験、高校受験塾の栄光ゼミナールによれば、中学受験においては平均4.81校を受験するとのことだ。


また先日私がTwitterでアンケートを取った結果でも、4校以上とする回答が半数以上に上ったことからも、4〜5校受験するというのが普通なのだということだ。
良く言われる序列は、チャレンジ校、実力相応校、安全校の順の中から1〜2校を受験するという。そして第一志望校の上に、チャレンジ校、あるいは熱望校という枠で受験しているのである。

これは地方にいる保護者には到底想像できない世界だ。なぜなら、先に触れた通り、地方においては受験機会はその大多数が高校受験であり、しかも受験出来るのは第一志望校の公立高校か、安全校の私立高校かという選択くらいしかない。必然と第一志望校はチャレンジ校ではなく実力相応校、私立高校では安全校という選択になりがちである。チャレンジ校として県外の日程違いの有名難関私立高校を受験するということもありうるが、実際そのように受験日程を組む家庭はごく一部に過ぎない。

そうしたこともあり、必然と実力相応校に合格出来るだけの勉強しかせずに受験勉強を終えている生徒も相当数いると思われる。何故なら、地方公立中学校においては、学校生活において、部活動の時間を長時間割いている学校が多数を占め、本格的な受験勉強に取り掛かるのは中学3年生の夏以降という生徒が後を立たない。当然ながら、半年程度の学習で追いつけるところまでの進路を選択せざるを得なくなる。

この半年前の段階で、その時の実力相応校からワンランク上の学校を目指すのは相当困難である。何故ならみな同じように勉強を始めるのであるから、自分が勉強量が2倍になれば、皆2倍になっているわけで、現状維持が精一杯だ。無論、文武両道を目標に掲げ、計画的学習を進められる生徒もいるが、残念ながらそれは極一部の最上位層に過ぎない。私は部活動については肯定的立場ではあるが、こうした一部過剰なまでの土日の終日練習を強いる指導者には疑念を抱いている。

また地方トップ校進学を目指す層であっても、ボーダー圏の生徒は公立中学校で学ぶカリキュラムを9割方理解できているということであり、首都圏の難関中高一貫校はそれと同程度の難易度の問題を小学校卒業時に既に習得しているわけで、そこからはもはや高校内容に及んで学習を進めている訳だから、既に3年分もの学力差が付いているのが現状である。そのため、地方公立高校から、首都圏の進学校、とりわけ中高一貫校の生徒達と大学受験の場で勝負するには相当部が悪い。東大、京大はもちろんであるが、旧帝大学や私立難関大学を現役で、しかも一般受験で突破することは幼少期からの学習の積み重ねがない以上、至難の技である。

さらに、地方においては、県外校に進学するには、授業料の他に住居費、生活費も仕送りしなければならない。こうした家計の逼迫から、県外受験を諦める生徒があとをたたない。
地方学生においては、このように学業面における野心も向上心も育つ機会を持たぬまま大学受験という荒波に放り出されるのだ。そしてさらにそれが将来の年収、生涯年収の差となっていくというのだから、なんともやるせない思いだ。

だからこそ、その差に目を瞑り、ありのままで良いとか身分相応になどと甘んじるわけにはいかないのだ。

FASTの法則

では、我々地方民が首都圏民と対等に、またそれに匹敵できるようになるにはどうしたらよいのだろうか。
マネジメントの世界で近年目標設定術として提唱されているのは、2018年にDonald Sull氏とCharles Sull氏が述べた4つの因子、FASTの法則である。

・Frequently discussed(頻繁に議論される)
・Ambitious(野心的に)
・Specific(具体的に)
・Transparent(透明性)

これを私なりに解釈し、受験勉強に取り入れるとすれば、次のようになる。

野心的な進路目標をたて、目標実現のための具体策を頻繁に議論し
その目標を家族や協力者に明らかにして協力体制を構築すること

一見叶わないような目標でもよいのだ。地元ナンバーワン高校に入学したい、東大に入学したい、海外の大学に入りたい、社長になりたい、弁護士になりたい、検察になりたい、医師になりたい、大学教授になりたい、海外の企業に入社したい、宇宙工学のエンジニアになりたい、宇宙飛行士になりたい…ets
そうした目標を、まずは叶わぬ夢と思わず、実現させるにはどのようなステップを踏めば良いのか、どのような指標が見えてくるのか、信頼出来る知識人に相談してみよう。具体的な助言が得られたならば、出来るところから努力し始めることが夢実現の第一歩である。

私は受験機会の少ない地元の生徒たちにはいつも、出願の判子をつく瞬間まで、志望校は下げないように伝えている。何故なら地方においては、進学先の高校の人脈が社会人になってからも固定化することが往々にある。人脈の固定化は時に自分の世界観を狭めてしまうため、注意が必要だ。
人間だれしも自分に限界を感じる瞬間があるが、それはまだ本当の限界ではないことがある。私はこれまで、到底無理ではないかと思われた志望校の合格を何度も見てきた。安易に現状に妥協せず、愚直に努力してきた者が勝ち得てきた瞬間に立ち会うたびに、限界を自分から作ってはならないのだと思い知ってきた。
また、生徒を長い目で見守ることにより、ある日突然本来の能力が開眼することもある。そうした瞬間にいち早く気づき、サポート体制を築けるよう、日頃から協力者、指導者との状況報告は欠かせない。

親が学校や塾、予備校に預けっぱなしで、子どもがどのような学習状況なのかを把握していないケースも見られる。それでは本人のモチベーションも上がるわけはない。時には子がどのような内容の勉強をしているのか、どんな問題で躓いているのか、サポートする保護者も教科書を一度は広げて見てみてほしい。我々が学んできた内容よりさらに深い内容になっている。丸暗記で対応できるような内容ではないのだ。

首都圏の中学受験、大学受験の前期日程が終わり、いよいよこれから地方では私立高校、公立高校へと戦いの場を移していく。仮に第1目標校が叶わず、結果としては同じ進路になったとしても、それまで努力し、戦いの場に立ち上がった経験を持つものと、それすらしなかった、出来なかったのとでは全く人生経験の内容、厚みが違う。おそらくそうしたことの積み重ねが、将来への可能性の幅を決定していくのであろう。
だからこそ、今期の受験生、来年度の受験生、いや、今この世に生まれてきた全ての子どもたちに、「少年少女たちよ、大志を抱け」と伝えたい。


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