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習字のススメ


習字は生涯に渡って長く続けられる習い事の一つに挙げられる。上田学習教室で1番早く取り組み始めたのも実は習字部門である。
始めは自分の子ども、そのお友だち、そのお友だち、と輪を少しずつ広げてきていて、現在11名の会員で切磋琢磨している。

習字の起源については、まず漢字文化圏の中国で書道が発達し、日本へは6世紀から7世紀頃、飛鳥時代から奈良時代にかけ、仏教とともに写経として書道が伝わったとされる。書をしたためる事は、教養の1つであるとされ、多くの文化や芸術と同様に、時代が進むにつれて武士や貴族だけのものではなく、庶民の間にも広く伝わっていった。民間教育のさきがけとして、江戸期に寺子屋ができ、『読み書き算盤』を学びの基幹にした庶民への教育の場が生まれたのである。無論『読み書き算盤』の「書き 」とは、習字、書道のことだ。

ここでは習い事としての『習字』について私見を述べてみたいと思う。

いつ何を何のために?


2017年の株式会社リクルートマーケティングパートナーズによる調査によると、
子どもの習い事のベスト3は

1位 水泳
2位 英語・英会話
3位 書道

とのことだった。



時は巡り、2021年度版の学研教育総合研究場の調査によると

1.水泳
2.音楽(ピアノ等)
3.通信教育
4.英会話
5.学習塾
6.習字

となり、若干順位は入れ違えども、水泳、音楽、英会話、習字は習い事として根強い人気があることが窺える。通信教育はコロナ禍で対面を主とする習い事を敬遠する層が選択しているものと思われる。



私も二児を育ててきたが、御多分に洩れずに長男と長女、それぞれ習い事をさせてきた。

長男、長女共に共通するのは、親子体操、リトミック、スイミング、幼児教育プリント、ピアノ、習字である。息子はこれに親子英語、娘はバレエが加わっていた。幼少期は2人で日替わりの習い事の日々を送っていた。

その後、長男は小6に中学受験を決意した後、ピアノと習字に絞った。のちに進学した中学の修学旅行の中で、帝国劇場で観劇した『レ・ミゼラブル』に感動し、声楽の魅力に取り憑かれ、高校からは声楽とソルフェージュも追加して学びながら音大受験に備えた。努力が実り、今は都内の音大生である。

また、長女は小学校2年で県のコンクールで最優秀を取るレベルではあったものの、私以上に手が小さく、ピアノはこれ以上のレベルは難しいように思えたことと、
他にも上手いと思う同年代の子どもたちが多数いたこと、何より運動神経の良さは親のどちらにも似ていない素晴らしい才能と感じ、こちらを伸ばしてやりたいと、小4には習字以外の習い事は全て辞めてバレエを続けることにしたのだった。

様々な習い事にチャレンジしてきたわけであるが、一般的な子育て家庭において、どのような基準で習い事を選んでいるのだろうか?ここに興味深い記事を紹介しよう。

これによれば、タイプ別に

・情報重視タイプ
・子どもの興味尊重タイプ
・苦手を補うタイプ
・個性を伸ばすタイプ
・実用性重視タイプ
・自分磨きタイプ
・家族で楽しむタイプ
・ハマるまで渡り歩くタイプ


と分類されるようだ。
これに従ってわが家の習い事を決めた理由を分類してみると、

・親子体操、スイミングは苦手を補うため
・リトミックは個性を伸ばすため
・幼児プリントは実用性
・バレエ、声楽は自分磨きのため
・習字は家族で楽しむため

となるのだろうか?ともかく、低学年の頃までは、本人たちにハマるものが見つかるまであれこれ渡りあるいたことは事実である。

現在2人の子どもは、声楽とバレエ、共に芸術の分野に自分の将来の道を見出して歩み始めている。
が、2人とも習字だけは月に1度の練習ペースになってもなんとか辞めずに今まで継続している。それは、週に1度、あるいは月に1度の練習であっても、長期間練習を積み重ねることで、少しずつでも上達が見込めるからだ。

それは書道は、『道』  とあるように、礼儀作法を学び、手本に学び、指導者に「まねぶ」という姿勢を身につけるということに重きを置いていることに他ならない。

「まなび」は「まねぶ」から

「まなぶ」(学ぶ)という言葉は、「まねる」(真似る)と同じ語源であり、「まねぶ」と言われていた。自分がこれぞ理想と思う師のやり方を「まねぶ」ことから「学び」が始まるのであり、基礎の徹底から「型」を身につけて初めて、自分のアレンジを加えたオリジナリティを表現していけるようになるのである。それは、千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、

「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」

を引用した「守破離」の言葉にも現れているが、習字はまさに「守」である。それに対して書道は「破」から「離」と言えよう。

【守破離】しゅはり
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。デジタル大辞泉より

私は母からの手ほどきを受け、毎回作品展に入賞はするようになった。しかし、銀賞以上にはなれず、これは基礎が間違っているのでは?と思うようになっていた。そう思った私は母の相談して小5から近所の習字教室に習い始めた。そこで基本中の基本であるトメハネハライを徹底的に練習した。
中2でやめるまでに5段まで進級して、高校受験前に辞めたが、国語の中学校の教職課程を取るために大学から練習を再開した。育児期間はまた休み、落ち着いてから大人になって再再開し、教室開設に至る。

また、習字は全くの初学という大人の会員は、現在の仕事に役立てたいと半年前よりオンライン指導を開始し、現在順調に進級している。

そうしたことから、習字を習い始めるにはもう遅い、ということはない。習字は高学年からでも、大人からでも必ず上達する。

思えば、私はおそらく「守」を知らぬまま、自己流の「破」をしていたのだったのだろう。師から基礎を学ぶことによって、私は自己流習字から抜け出すことができた。結果、基礎が出来ていないなんちゃって書道は見分けられるくらいには分かるようになったと思う。

習字のメリット

習字は、字を書く時の文字の配置やつり合いを良く考えて書く「字配り」や、他にも作品のバランスを取る方法として布置章法や間架結構法など、気をつけるべきポイントがある。これら三つの方法をよく考えて作品を構成する必要があるのだが、これは最初からうまくできるものではない。練習を積み重ねることによってこれらの技法をまねぶ事から、自然と視覚的、空間認識的な能力も磨かれる事となる。

さらに筆の使い方、運筆、フォームの確認、姿勢などの筆法に注意を払うことによって、身体運動学や、物理の能力感覚も磨かれることが期待できる。

という訳で、私が教育相談を受けた際に

家の子どもは字を書くのが苦手で、

とか、

集中力がなく、勉強は苦手で、

とご相談を受けたお子さんには、習字も勧めている。

レッスン開始時、書き方にぎこちなさを感じる生徒には共通点がある。それは正しい鉛筆の持ち方ではなく、体幹も弱く長時間同じ姿勢を保持できず、短時間で集中力が途切れてしまうということだ。
こうした場合、まずは正しい座り方から、そのあと筆や鉛筆の持ち方を指導する。余分な場所に力がかからないようにするのだ。
こうして習い始めの頃には集中力がなく、文字もまとまりのなかった生徒であっても、字配りのポイントを一つ一つ押さえることによって少しずつ文字も変化していく。そして文字が変わり始めると同時に自然とお子さんの考え方にも柔軟性が生まれ、成長を感じられるようになるのだ。
さらに最初は正座出来なかった生徒でも、1年も稽古すれば自然と正座して書くようになるから不思議なものである。

毛筆は現代においては、なかなか正座して書をしたためるシーンはないが、大人になれば冠婚葬祭やビジネスシーンで筆ペンで記名する機会は沢山あるわけで、書道はやはり身につけておきたい嗜みの1つだろう。

私の学ぶ日本習字では、毛筆だけではなく、硬筆課題も同時に行い、漢字の筆順や読み方を学ぶ。作品は漢詩や古典などの一節が多いので、自然と古文や漢文にもふれられるので、中学の古典導入もスムーズである。

また、習字の作品を早く仕上げる事ができた場合には、算数や数学などの問題にも取り組んでもらうこともある。
以前のケースでは、  習字を学び始めてから同一の計算問題をして貰ったところ、
前回比にしてマイナス30秒で、しかも初の全問正解を果たした生徒もいる。このことは学びのアプローチとして、単一科目に特化せずに多角的に行うと他科目においても相乗効果が現れるということを示しているのではないかと感じている。

習い事のきっかけは何でもいいのだ。

ただ、師から何かを学ぶということは、まずは師や手本を「まねぶ」ということを忘れてはならないと思う。それが出来て初めて型破りな新しい発想も生まれるというものである。


私はこれまで日本習字の手本をまねび 続けてきた。惠泉という雅号も授けられた。しかしながらこの15年程五段からずっと昇段していない。理由としては、子育てと仕事に追われ、様々な書体の練習をする時間が捻出出来なかったことや、家計において何より昇段試験を受けるための余剰金が無いという状況が長く続いたためである。 
しかしながら、教室生の有段者も3名、卒業して行った生徒も含めれば4名となり、もうじき私は弟子たち越されそうになってきた。何よりSNSを介して日本習字の上段者が多数作品を発表し、意見交換しながら切磋琢磨している。これはコロナ禍で生まれた新しい学びのスタイルであろう。このチャンスを逃してはならない、私もうかうかしてられないと、一念発起して昇段試験に向けて練習を再開し始めた。
教室及び他の仕事はお陰様で多忙を極め、なかなか毎週練習できていないし、細かなミスもあるのだが、それでも私は自分のちょっと揺らぎのある書を気に入っている。

先月末には習字教室に新しい生徒が入会した。が、入会間もなく管轄内のコロナ感染者が増えたため、オンライン指導に切り替えとなり、経験の浅い生徒ゆえどうなるかと思っていた。が、心配を他所にサポート役のお母さまと一緒にとても元気に頑張っている。
低学年においては、とにかく一つ一つの物事、行動、私の言動が全部生徒にとっての初めての経験となるわけで、責任重大だ。自然と指導にも熱が入る。

上田学習教室では、こうした他の習字教室にはない多角的なアプローチの方法でお子さまの知的好奇心や実力を高めていきたいと考えている。


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【練習記録】日本習字5月号より


・行書
・草書
・隷書
・臨書『九成宮醴泉銘』

波磔はもう少し鍛錬が必要

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