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時には鈍感力も罪となる

以前高名な作家さんが、時には鈍感力も必要だと言う類いのエッセイを書いていたように記憶します。20年くらい前でしょうか?

時は2000年代に入り、「自己責任」という言葉が数多の場面で使われ始め、今考えると、他人の動向や行動に対し、周囲が喧しく批判をし、息苦しく、生きづらくなった時代の始まりだったと思います。

そんな折、時の首相の安倍さん(第一次政権時代)に対し、派閥の先輩、首相経験者の先輩でもある小泉さんが、「肩の力を抜け」「周りを気にしすぎるな」との趣旨で、渡辺淳一さんのエッセイを引き合いに出し励ました逸話があります。

 そうあまりに周囲の目を気にしすぎると、自身の意思を失い、進む方向を見失うこともしばしば。これと思ったら猪突猛進に突き進むのもときには、必要に思います。

 ところがところが。相続の世界、特に遺言の作成においては、鈍感力が罪になります。

不思議な共通の現象があります。お客様に遺言作成をお勧めしたところ、決断され、相談を重ね、公正証書遺言の作成にたどりつきました。その際に、一緒に相談を聞いていた連れ合いの方にも、遺言の作成をお勧めすると、似たような反応があることがしばしば。

「俺はいいよ。」

良くない!!!不思議と男性の方が多い気がします。ご夫婦で遺言の作成の相談が始まり、まずは奥様の方から進捗することが多い。(「相続」とりわけ「遺言の作成」の相談においては女性の方の感度が高いのはこれまでの私のブログで何回も記述したところであります(´;ω;`)ウゥゥ)

オレの事はほっておいてくれ😳
良くなーい🥲

相談に同席され、遺言の有用性を理解していただいたはずなのに。実際に自分の番になると、なぜか話題を変え、目の前の問題から逃げようとする姿勢の方が少なくない感じがいたします。

ご夫婦とも資産家で、お互いに作成した方が良い、また独身の兄弟姉妹に作成を仕向けておいて、肝心の本人(弟や妹に遺言作成を仕向けた方)におすすめしたところ、そのご本人も課題満載なのに、ご自身の作成になると尻込みをしてしまいます。

圧倒的に悲しいまでの想像力の欠如。
遺言が無かった場合、配偶者や子供さん、甥姪っ子さんが苦労するのは目に見えているのに、、、。

男は最後まで、自分だけが主役なのかと複雑な心境になります。

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