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読書 ファミコンとその時代

本書は任天堂でファミコンやスーパーファミコンの開発を手掛けた後、同志社大学へ移られた上村雅之さん、、同大学の細井 浩一教授 , 中村 彰憲 教授と共同で書かれた本だ。大学の研究の一環として書かれた本なので史料価値がとにかく高い。情報元もすべて明記してあるし、上村さんへの聞き取りも多い。想像以上の良書だった。

テレビゲームの誕生とアタリショック

この本の前半部はテレビゲーム視点から見た、半導体やコンピュータ史と言える。
第二次世界大戦の軍事技術から発達したコンピューターの中で、どのようにテレビゲームが作られ発展したのかが詳しく説明されている。僕はなんとなくPONGやアタリシステムあたりの話を断片的に知っているだけだったので、とても興味深く読むことができました。想像通りに天才肌の学生が面白半分に作り、それがやがて製品になっていくという物語。

テレビゲームは20世紀の大発明の2つ(テレビ、半導体)が合わさった20世紀を代表する製品とのこと。確かにそうかもしれない。

世界初のカセット型ビデオゲーム機 ビデオ・エンターテイメント・システムVES(1976年)が発売され、その後を追ってワーナー・コミュニケーションズがアタリを買収しアタリ2600(1977年) 発売される。 

カセット型ビデオゲーム機ブームが1977年のクリスマスに来るかとおもったら来なかった。
そこで日本のタイトーが作ったスペースインベーダーをアタリ2600に移植したところ大ブームへになる。
ソフトウェアこと重要ということを理解したアタリは、アルカロイドやパックマンを移植。さらにマーケティングを元にワーナーの知的資産であるゲームの映画化「E.T.」を発売する。ユーザーたちの期待は高まったがアタリ版パックマンとE.Tはとんでもないクソゲーだった。
しかし前評判はよかったらか大量のカセットや本体をすでに作ってしまってる。発売後クソゲーという評判が広まるにつれゲームは全く売れなくなり、不振在庫は経営を悪化させる。そして果てしない値引きが販売店の利益を消し飛ばす。

さらにワーナーから来た新社長はクリエイティビティが重要され初期のギーク文化に支えられていたゲーム開発の現場に、一般企業的な管理方法を何も考えずに持ち込む。今の時代でも技術者の文化を経営に活かすのかは難しい問題だが、アタリとワーナーは1970年代後半にこの問題にブチ当たり、そして砕け散った。多くの開発者がアタリを去ってしまう。

いわゆるアタリショックだ。小売販売店がゲーム機はコリゴリという状態となったため、後にNES 北米版ファミリーコンピュータを普及させるときに小売店の信頼を得るために苦労することになる。

元任天堂の上村さんが「アタリショックは品質の悪いソフトの氾濫が問題ではなく、優れたゲームをアタリが開発できなかったことが原因」と指摘しているところが任天堂らしい。(ソニーやマイクロソフトなら違った見解になると思う)

(※ 上は「ニューメキシコ州の砂漠に大量の不振在庫となったE.Tとアタリ2600が埋められている。」と、言う有名な都市伝説が本当かどうか確かめるドキュメンタリー映画。アタリショックは何だったのかも追っていく)

日本の電卓と半導体

1970年代前後の日本は電卓を武器に半導体産業をリードしていた。電卓はどんどん小型になり、やがて汎用性のあるマイクロプロセッサがインテルによって開発された(1971年 。日本のビジコムと共同開発だった)。60年代には10万円以上もした電卓は、どんどん小型化し、価格競争を繰り広げ値段が下っていった。やがてポケットサイズまで小型化され液晶が生まれる。
このころの日本は、海外の真似をして小さく成功することなどを目指さず、新しい時代を切り開いてた。

そして安価になった部品を使い、任天堂のゲームウォッチが発売される(1981年)。ゲームウォッチは大ヒットし、産業と言えば製造業の時代に任天堂は「ソフトウェア」というものの力を認識する。

ファミコンの展開

インベーダー(1977年)の大ヒットを受け日本にアーケードゲームブームが起こる。スプライト式という技術を使った革命的ゲーム「ギャラクシアン」。そして任天堂自身も「ドンキーコング」がヒットとなる。そしてアタリ2600の成功を受け(アタリショック前)任天堂でもカセット式ビデオゲーム機の開発が企画される。しかし、任天堂は製造業ではないので半導体のパートナーが必要だった。そこに現れたのがリコー。リコーはCPUを主流だったZ80ではなく安価に提供できる6502を提案した。(本書ではないが、これは運命的なこと。なぜなら後に任天堂の社長になる岩田さんが大学生でありながら日本で誰よりも6502に詳しい人物だったから。安価なゲーム機に6502が使われたことを知り、岩田さんはファミコンに引き寄せられていく)。
1981年に発売されたファミコンは、数々の不具合(四角ボタンなど)があったものの大ヒットする。

やがてファミコンは北米では商標の問題でNES(Nintendo Entertainment System 1985年)と名前を変えヒットする。ちなみに初出展はCESだったとのこと(CESって昔からあったのですね)。アタリショックの影響が大きかったので、光線銃などのアタッチメントをつけて売り込んだ。

本書では任天堂以外のソフトメーカーの参入。メディアへの登場。攻略本のヒットなど、ファミコンに関わる文化的側面・社会的影響も丁寧にデータを元に解説してる。

感想

僕は割とゲームの歴史にも任天堂にも詳しい方だと思っていたけど、知らないことばかりで驚きました(単に僕の勉強不足かもしれませんが)。また、コンピューターの黎明期の日本は凄かったのだと改めて驚きました。なぜ車がうまくいって、半導体やソフトウェアがうまくいかなかったのか?ということを考えることは、日本という国を考えるうえで重要ではないかと思いました。半導体・ソフトウェアでも圧倒的に成功できる要素は全部持っていたのではないだろうか?


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