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読書_「司馬遼太郎」で学ぶ日本史/磯田道史

僕は歴史学者の磯田道史先生の本が好きで、長時間移動前などで本屋で何か本を買わなきゃいけないときは、磯田先生の本を買うことが多い。テレビも磯田先生が出演している歴史番組ならみてなるべく見るようにしている。
そんな磯田先生の本のなかで、なんとなく買っていなかったのが本書だ。
磯田先生の本じゃなかったらまず買わない本。作家を評した本は基本的に読まないし、司馬遼太郎先生がいくら有名な歴史文学作家だとは言え学者ではない、その本から歴史を学ぶというのには少し戸惑いを感じたからだ。
もっとも司馬遼太郎先生の小説自体は大好きで大半の有名小説を読んでいると思う。

結果的に言うと読んでよかった。大量に読んでいるので僕自身の歴史感における司馬遼太郎さんの影響は多大なのですが、それがどんな立ち位置なのか理解できた気がします。

まず、史伝文学、歴史小説、時代小説の区分について、前者ほど史実に近くなります。司馬文学は歴史小説になります。
司馬遼太郎先生は大量の資料を元に小説を書くので、ある程度史実に近い、しかしすべての歴史事実に資料があるわけでもないし、登場人物が考えていたことは分からないので想像の部分も多いということになります。

そういった個人の思い入れの入った歴史の物語が歴史を動かすことがある。または日本人の歴史感を作ることがあると言います。
例えば「太平記」という南北朝の時代を描いた物語。
実像としては単なる一豪族でしかなかったのにも関わらず、この物語により後醍醐天皇に殉じた楠木正成という人物がヒーローとなります。
僕の感想になりますが、戦前までの日本において楠木正成の存在は大きかったと思います。
第二次世界大戦中の日本軍で発生した「玉砕」を美徳とする感覚が楠木正成の存在なしに成立したとは思えない。
磯田先生は「日本外史」を書いた頼山陽、「近代日本国民史」の徳富蘇峰とならび司馬遼太郎先生を歴史に影響を与えた歴史家としています。
戦後の日本において、司馬遼太郎先生の書いた多数の本は文庫本という手軽に読めるフォーマットにより広まり戦後日本人の歴史感をつくりました。例えば坂本龍馬という人物は司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」という本がでるまで知る人ぞ知る人物でした。司馬遼太郎先生の手により戦後日本人のヒーローとなりました。

では司馬遼太郎先生は何を描こうとしていたのでしょうか?
第二次世界大戦を行った昭和初期の「鬼胎の時代」というものがなぜ生まれたか?ということだったとしています。

昭和初期の権力構造は、戦国時代の美濃地方に生まれた「信長・秀吉・家康」たちの作った「公儀」という権力構造を明治政府が受け継いだとしています。そして「公儀」のあった欠点のようなものが昭和初期に最悪の形で現れてしまった。
だから司馬遼太郎先生の作品には戦国時代と幕末、明治の物語が多い。
僕も日本の歴史をどこかで2分するとすれば「応仁の乱」だと思っているのですが(古代価値観の完全消滅)、それも司馬史観の影響だったことに改めて気付きました。

「信長・秀吉・家康」の影響を「世俗化」とします。実際に島原の乱を最後に日本では世俗権力が宗教権威を完全に上回りました。上回った上で天皇や寺院などの宗教権威を利用します。これを日本の近世としています。

幕末においては「思想的」「ドグマ」をもった昭和陸軍の原型として「長州」を見ていたとしています。
長州は合理性よりも過激な思想に重きをおく組織でした。そして「蛤御門の変」「四国艦隊下関砲撃」「長州征伐」と破滅の道を辿ります。

磯田先生は司馬遼太郎先生の最高傑作を「花神」とします。大村益次郎を主人公に描いたこの本は、長州人でありながら「思想」ではなく「合理性」を重んじた大村益次郎が、長州を変え、戊辰戦争で幕府を打ち破り、合理的な明治初期の日本陸軍を創り上げる姿を描いています。磯田先生は古文書を現代文のように読むことができる人物ですが、大村益次郎の残した古文書を読めば読むほど「花神」で描かれた大村益次郎に近くなったと言います。

昭和初期には「思想」の軍隊となってしまった日本陸軍ですが、そのはじまりは「合理的」であったこと描いています。
大村益次郎は西南戦争のかなり前に亡くなっていますが、西郷隆盛に対し「やがて足利尊氏のようなものがくる(九州から襲来を示唆)」と西南戦争を予言し準備を行いました。そして「思想」の軍となっていた侍たちの薩軍を、「合理性」で組織づくられた農民たちを徴兵した明治陸軍は打ち破ります。

僕も司馬遼太郎先生の最高傑作は「花神」だと思っていたので嬉しかったです。この本は何度も何度も読み返しています。

明治時代には日露戦争を描いた「坂の上の雲」という傑作を残しています。
日本海海戦を勝った「合理性」と、203高地での無策な突撃(乃木大将崇拝への反発)と、戦死者を軍神と祀り上げる「思想」を入り乱れて書いています。

最後に僕の感想になりますが、昭和初期の「鬼胎の時代」を読み解くことは、これからの日本においても大切なことになるでしょう。まだあの時代を消化しきれていないと感じます。
その上でも司馬遼太郎先生の著書を読むことはまだまだ重要なのではないかと思います。


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