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[読書] メディチ家はなぜ栄えたか


以前に書いた 物語イタリアの歴史―解体から統一まで の藤沢道郎先生の本。


メディチ家はなぜ栄えたか?とありますが、著者はその理由をメディチ家でもっとも有名なロレンツォ・メディチの祖父コジモ・メディチだとしているので大半はコジモについての話になります。

メディチ家についての概要

ルネサンス期のフィレンツェで中心的な存在だったメディチ家。ルネッサンス関連の本を読んでいるとよく出てくるのだど混乱することが多い。
「共和都市国家の中での銀行家としてのメディチ家」として登場したかと思えば、短期間で「専制君主として貴族化したメディチ家」に変貌するからだ。
本書の主人公コジモ・メディチが「共和都市国家の中での銀行家としてのメディチ家」を作り上げたのだが、わずか2代あとの孫のロレンツォ(メディチ家でもっとも有名な人物)の代で貴族化へ方向転換を行ったからだ。
ロレンツォが方向転換したことを認識してないと、「あれ?メディチ家って銀行家じゃなかったっけ??」と混乱することになる。ちなみにメディチ銀行はロレンツォの時代には既に破綻寸前で、ロレンツォが死んだ後すぐに破綻する。

さて、コジモを中心にメディチ家を考えると、以下のような疑問が浮かぶ

・コジモはどのようにフィレンツェの実験を握ったのか?
・コジモにとってロレンツォの方向転換とメディチ銀行破綻は本意だったのか?

まずはコジモ登場前のメディチ家について。

フィレンツェが自治都市国家として成立したのが12世紀。当時の中世西欧世界は聖職者と貴族を幅を利かせている時代だったが、100年しない間にフィレンツェを含むイタリア自治都市国家は有力な商人連合が貴族支配を打破して政治経済を牛耳った。そんななかでメディチ家が支配階級の末席になんとか滑り込むことができたのは14世紀。歴史の中で頭角を表してきたのは14世紀末になってからだ。
当時、商業の発展とともに深くなった上流階級の有力商人と労働者の溝が深くなっていた。そんななか支配者層でありながら労働者層の味方としてメディチ家が立ち上がったのだ(チョンピの乱)。しかし、結果は散々、メディチ家の大半が国外追放され、上流階級の目の敵にされるようになった。

そんな中、コジモの父「ジョヴァンニ」が登場する。
ほとんど資産のない状態から親戚の銀行で働き頭角を表し、自らの銀行を立ち上げ独立した。チョンピの乱とその後の粛清時代を知っている彼は有力商人に逆らわず、かと言ってメディチ家の支持層である労働者の期待も裏切らない難しい舵取りをとり続ける。
本業の銀行の方もカソリック協会、教皇に食い込みわずか数十年で巨大な利益を生み出し、フィレンツェ第三位の富豪家にのし上がった。更に義理人情の人であった彼は優れた人格で政治の世界も見事な成果をあげてメディチ家をフィレンツェの名門へと導いた。そんなジョヴァンニが英才教育をして育てたのが本書の主人公「コジモ・メディチ」だ。

コジモ・メディチ

父である「ジョヴァンニ」もなかなかのやり手だったけど、コジモ・メディチは更にスケールが大きく複雑な人間だ。
共和制という名の元で実質的に有力名門の寡頭独裁だったフィレンツェを、共和制という建前も制度も変えずに実質上の独裁権力者として支配した。しかも銀行業も発展させながら。

支持基盤である「メディチ党」を活発化させ、有力名門アルビッチィ家との対立を深めたコジモ。いくつかの政局の流れのなかで、アルビッチィ家主導の政府に監禁、国外追放されてします。しかし、これは内乱を避けつつ政敵を葬るためのコジモの読み筋だったらしい。メディチ党の数の武力に対抗できないアルビッチィ家はコジモを死刑か暗殺する必要があったが、メディチ党を活発化させているコジモに対してそれが出来ずに終わりました。
やがてメディチ党が政府の主導権を取ると、コジモは亡命先から生還、逆にアルビッチィ家などの対抗勢力が国外追放した。しかもコジモはそれを自分自身が目立つことなく実施した。そして、制度の中ではただの一市民だが、実施的な独裁権力者となった。

本業である銀行業についても1章をとって説明している。
商業や貿易で発展したイタリアの都市国家の商人や銀行家たちを悩ませていたのがカソリックが高利貸しを禁止していたことだ。
コジモの時代でもあからさまに利子をとれないので、メディチ銀行は両替と手数料という名目にして貸していた。例えば借りる方は、ヴェネツィアやフランス金貨の名目で借り、手数料を差し引いたフィレンツェの金貨を受け取る。そして返済は期日までにフィレンツェの金貨で行う。手数料は実際には金利というだ。

順調に発展したメディチ銀行だが、コジモの晩年には人材不足に悩む。コジモは75歳と当時に長生きしたが、頼りにしていたコジモより若い銀行業を任せられる人材がコジモより先に死んでしまったからだ。そしてもっとも期待していた次男のジョヴァンニがコジモより先に病死。コジモは次男の後を追うように亡くなった。

残されたのは銀行業が分からない長男のピエロと支店ではまずまずの成果を上げていた総支配人のフランチェスコ・サセッティ。この総支配人のもとでメディチ銀行を転落してゆくことになるが、そこは本書ではな書かれていない。(このあたりは「帳簿の世界史」という本が面白い)。


その後のメディチ家

銀行業の監督以外はまずまず有能だったコジモの息子のピエロのあと、メディチ家でもっとも有名なロレンツォが登場する。
政治家、そしてルネッサンスのパトロンとしては非常に有能だったが銀行業の監督は出来なかった。
そしてロレンツォはメディチ党を代表とする労働者の味方という立場から貴族への方向転換を計る。しかし元々が高貴な血筋ではないメディチ家にとって家格を上げることは用意ではない。そこでロレンツォはもっとも優秀な次男に聖職者への道を歩ませ、その出世にすべてをかけた。ロレンツォは43歳で亡くなるが、死の直前に次男に枢機卿を就任させることができた。この次男は後にローマ教皇となる(レオ10世)。
ロレンツォは銀行業の破綻を止めることはできなかったが、ルネッサンスのパトロンとして、また政治家としては優秀だった。ロレンツォが生きていた間はイタリアはフランスやスペインなどの大国に蹂躙されることはなかった。

ロレンツォの死後、何度かメディチ家はフィレンツェを追放される。しかしロレンツォの方向転換により貴族化したメディチ家の人々は政治力を武器にフィレンツェの実質上の君主として返り咲く。そして、最終的にはコジモの兄弟の血筋がハプスブルク家支援のもと「トスカーナ大公」となり、イタリアではナポリ王国に次ぐ格式の大貴族になった。また、フランス王家へも2人の王妃が嫁いでいった。

さて、コジモ亡き後のメディチ家をコジモはどう感じたのだろうか?なんとか時代の流れに乗り切ったので「よくやった」と言うだろうが、貴族化したことについては残念な気持ちを持ったのではないだろうか?
コジモは儚い夢のようなルネッサンスの中で、中世ではない新しい世界を示すことができたのだから。


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