初めて買ったゲームの話

 小学3年生の夏休み。蒸し暑く、外に出ると熱い空気の中を泳いでいるみたいだった。忘れもしない、初めてゲームを買いに行った日だ。

 私はそれまでテレビゲームを持ったことがなく、友達の家で数回やらせてもらっただけだった。しかもすぐ死ぬので、誰も私にコントローラーを渡したがらない。指をくわえて見ているしかなかった。

 でもこれからは違う。「ぜったい大事にするから!」と再三親に頼み込んで、やっとゲームを買ってもらえることになったのだ。

 今はもうなくなっているが、当時はショッピングセンターの一角に小さい電器店が入っていた。そこは家電よりもゲームソフトや音楽機器を中心に扱っている店で、他人の秘密基地に入ったような興奮を感じさせた。ガラスケースに収められたソフトは大切な宝物のように並んでいた。

「これ?」と父が確認したのを覚えている。「これ!」と私は言った。父が会計を済ませるまで、私はレジの横でぴょんぴょん飛び跳ねていた。

 母が「家についてから開けなさいね」と言った。釘をさされなければ、すぐにでも開けるところだ。私は車の中で大きな箱を抱えながら歌った。嬉しい気持ちがピークに達すると、歌ってしまう子供だったのだ。

 家について包装を解き、本体やソフトをセットして、いよいよ未知の世界へのボタンを押した。軽快な音楽。ポップなキャラクター。慣れない操作。両親は興味深そうに画面を覗き込み、たまに質問したり、茶々を入れたりしてくる。

 ゲームを進めるにつれ、私は気づいた。面白くない。というか、思っていたのと違う。もっと、私が主人公になれると思っていたのに。現実では端役でも、ゲームの中では私を中心に世界が回ると思っていたのに――。

 「どうだった?」と母が聞いてきた。私は「楽しい!」と答え、浮かれた風を装ってゲーム機を片付けた。そして、自分の部屋でこっそり泣いた。

 その後しばらくは別のソフトを買ってもらえず、「大事にする」と約束したのもあって、私はほぼ毎日そのゲームをやった。遊んでいるうちになんとなくクセになり、だんだん面白くなっていった。結局夏休み中やりこんだ。

 母は日焼けせずにひと夏を過ごす私を見て「やっぱり買わなきゃよかったかしら」とこぼしていた。そう言いつつも、次の夏休みになると新しいソフトを買ってくれた。

 大人になってからもたまに新しいソフトを買うが、新鮮味を感じられず、すぐに積んでしまう。私の感覚は錆びてしまったのだろうか?それとも逆に、磨かれすぎてしまったのだろうか。

 ちなみに、私が初めて手にしたソフトの名前を言うと、ほとんどの友人がきょとんとする。俗に言うクソゲーだったようだ。それでもやっぱり、あの日は人生で一番輝かしかったなあ……といまだに思うのだ。

「激闘!金太郎アメ生産工場2 -残業編-」を買ってもらった日は。


……という子供時代に憧れるなァ〜〜〜!!

 ※「激闘!金太郎アメ生産工場」などというゲームは実在しません。

 テレビゲームにまつわる懐古談っていいですよね。自分では持っていなかったのに、グッときて感傷に浸ってしまいます。

 私は川で魚を突いたり、山で虫を集めたりと、「ぼくのなつやすみ」みたいな夏休みを過ごしました。ホタルがきれいだったなあ。おばあちゃんの畑のきゅうりがおいしかったなあ。それはそれで素晴らしい思い出なのですが、「懐かしいゲーム」という共通話題を持っていないことを、たまに残念に思います。

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