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冥王星が惑星から外された年

2015年に(大学3年生の時)に授業の課題で書いたエッセイが出てきたので、ここに載せます。わたくし素うどんのこじらせ人生を決定づけた中1の出来事について綴ったものです。

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「冥王星が惑星から外された年」
 中学一年生の夏休み、わたしはニュージーランドでぢになった。通っていたインターナショナルスクールで、全校生徒が強制的に、行かされた一か月の短期留学であった。わたしはうまれてはじめて海外へ行った。わたしはいちばん落ちこぼれのクラスのなかの、いちばんの落ちこぼれだった。その中学では学力でクラスがわかれていたのだ。わたしのいた落ちこぼれクラスは「冥王星(プルート)」という名前だった。

 わたしはニュージーランドへ不二家のミルキーを持って行った。憧れの男の子に渡すためである。その男の子のことをわたしは「カレー」と呼んでいた。学食でカレーを食べていたからである。カレーは一番頭のよい「水星(マーキュリー)」というクラスで、日に焼けてハンサムで(ファンクラブがあったほどだ)、髪をなびかせて歩く癖があった。

 カレーとは入学当初、雨の日に傘がぶつかり、「大丈夫ですか」と声をかけてもらったのが最初で最後、クラスが天と地ほども離れているため話したことはなかった。けれど異国の地、ニュージーランドでミルキーを渡せば、仲良くなれるであろう。わたしはうまれてはじめてダイエットをして一か月で4キロ落とし飯マズな羊の国へと旅立った。

 まあ、想像がつくであろうけれども、ふられたのである。

 ニュージーランドでふられたのである。

 わたしの女友達がカレーに、「あの素うどんって子、君のこと好きなんだよ」と告げ口したそうなのである。そしてカレーはこういったそうである。

「かわいくないからきらい」

 それからまもなくわたしはぢになった。ぢになるのはうまれてはじめてのことだった。ひどい便秘のせいである。熱も出た。

 そのときのわたしはぐしゃぐしゃであったのだ。きたなくて、顔はくすんでいて、いつも気分が悪くて吐きそうだった。せっかくの留学であるのに昼間はだれもいない宿泊所でずっと眠っていた。いろいろな病院へつれてゆかれ、教師に座薬を入れてもらった。わたしにはとくべつに、おかゆなど消化の良いものを作ってもらっていた。みんなは宿泊所提供のまずいニュージーランド飯を食わされていたが。

 前置きが長くなってしまった。

わたしがいちばんつらかったこと。

それはある朝の、オートミールの朝食である。

具合の悪いわたしは教師の部屋で眠っていた。朝目を覚ますと教師が、「オートミールをつくってもらったから自習室で食べなさい」という。わたしはゲロみたいなオートミールを持って、廊下を進み、奥の部屋へ向かった。

その日は日曜日だったのだ。そこには生徒が沢山いた。まんなかの長テーブルを囲うようにして、みんな勉強している。空いている席は「下座」しかない。パジャマ姿で顔も洗っていない、たったいま起きてきたばかりのぼさぼさの女――ひどい便秘――は下座に坐るしかなかった。オートミールを啜る。しずかな、私語厳禁の部屋で、みんながいっせいに無言でわたしを見つめた。

そのなかにカレーがいた。

 わかってもらえるだろうか、それはすごくみじめで、つらい時間だったのだ。わたしはその空間の中に捉われており、もくもくとオートミールを食べるしかなかった。逃げることなど思い浮かびもしなかった。ただただ、絶体絶命の屈辱のなかにいた。みんなが不思議な顔をしてわたしを見ていた。なんだこの女・・・あ、俺のことが好きだとかいう女だ。なんで汚いカッコして自習室でげろみたいなめし食ってるんだろう。おれたちは勉強をしているというのに。

 その数か月後、冥王星が惑星から外された。

それから数か月後、わたしはインターナショナルスクールを辞めた。

 高校は通信制に入った。友だちが一人でき、その女の子はわたしのことを「ミルキーちゃん」と呼ぶのだった。はじめて喋ったとき、わたしはその子に不二家のミルキーをあげたからだ。今でもその子とはよくあってお喋りする。というか、いまだにわたしにはその子しか友達がいない。

 わたしは10キロ体重が増えた。恋はまだしたことがない。

 つらいときはおかしをやまほどたべる。おかしを口のなかいっぱいにつめこむと、頭が真っ白になり、いやなことを一瞬忘れる。いやなことというのはわたしにとって、みじめなことだ。たいてい、ブスでもてない自分を実感させられたときだ。

食べると一層みじめな気持ちになる。食べることで自分を慰めているのと同時に、罰してもいるのである。食べることはみじめなわたしにぴったりだとおもう。あの遅い朝、ニュージーランドの宿泊先の自習室で、ひとりオートミールを食べたあの朝から、わたしはすこしずつ、だめになってきたのだとおもう。じぶんがとんでもなく惨めで醜い存在であることを、女として愛されることはこの先もないだろうという事を、実感したのだと思う。

まっとうな道を歩むことを、あきらめたのだとおもう。普通に生きてきたつもりが、どうやらすごくへんなところに来てしまったのだと気付き始めたのだと思う。


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