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酸いも甘いも経験した男は強くなる

恵比寿に来て思い出すことがある。

それは20〜22歳の頃、美女を誘って行った恵比寿の焼肉屋デートのことだ。美女と恵比寿で焼肉を楽しみ、僕はその子達を抱けなかった。それどころか男として見られることもなかった。

苦い思い出だ。

女性とどう接すればいいかわからない僕は、搾取されるだけだった。当然、相手の美女にそんな意識はないと思う。しかし、僕は少し高いディナー代を払い、自分の弱さを呪った。

僕はダサくて気持ち悪かった。

そんな恵比寿×焼肉×美女の悲しい思い出から、あまりにもモテなかった頃から、どうやってキャバ嬢の家を転々としながら、生き抜くまでになったかを紹介する。

ちなみに今は30歳になって、キャバ嬢にお世話になることはないから安心してほしい。ただ過去の話をするだけだ。

この記事の内容を真似してほしいなんて思わないが、なんか舐められて悔しい思いをしている男の参考になるのではないかと考えている。

恵比寿×焼肉×美女の悔しい思い出

まずは、僕が20歳と22歳のときに、めちゃくちゃかわいい子と恵比寿で焼肉デートした話をしたいと思う。

エビちゃんそっくりの20歳女子大生まみちゃん

20歳のとき、大学時代のバイト先にいたマミちゃんをご飯に誘った。

マミちゃんは、エグいほど可愛い。エビちゃんにそっくりで、すらっとした美女だった。165cmほどの身長で体重は50キロはなさそうな、モデルみたいな子だった。

恵比寿の焼肉トラジにいった。20歳の割には、頑張ったほうである。少ない給料を握りしめて、鼻息をふんふんさせながら、予約をとった記憶がある。苦笑

この頃の僕は、痩せていて、割とイケメンの部類に入っていたと思う、しかし今のような男らしさや女性に対する耐性がなかった。もちろん金もなかった。

焼肉を食べたあとは、恵比寿を散歩して、何の発展もなく電車に乗って帰ったのを覚えている。正直、ご飯を食べたときはとても楽しくて、いい感じだと思っていた。

でも結局は、マミちゃんは僕のことを友達としてしか見てなくて、全く男として見られていなかった。これは後日聞いてみた話である。

これが僕の記憶している恵比寿×焼肉×美女の最初の思い出だ。

大手事務所所属の23歳ハーフモデルさおり

次に思い出すのが、22歳ぐらいだろうか、モデルの美女と恵比寿の焼肉KINTANにいった思い出だ。

Twitterで東京に上京したばかりのモデル志望の女の子といい感じになり、なぜかその流れでその子の友達であるハーフでモデルのさおりちゃんとご飯を食べるまでこぎつけた。

この子もエグいぐらい可愛かった。事務所もそれなりに有名なところだったと思う。

焼肉KINTANは、正直そんなに美味しくなかった。たださおりちゃんは愛嬌があって、可愛くて、すぐ好きになってしまった。

このときは、下心丸出しで、めちゃくちゃキモい会話をしたような気がする。苦笑

なんとなく軽いイメージを持っていて、そのまま話したら、見事にクソ気持ち悪い会話になったのを覚えている。

結局それっきりだった。でもあまりにも可愛かった。今でも思い出すぐらいだ。忘れられない。

今なら下心は、最後の最後まで隠すことができたが、20代前半の僕はちんこでものを考えるような男だった。

このときの僕は、一文なしになってキャバ嬢の家を転々としながら、生活するクズ男になっていることを知らない。

今ならわかるあの頃の敗因

なぜ僕は若い時、可愛い子とご飯はいけても、それ以上発展しなかったか原因がよくわかる。原因は2つだ。

一つは、下心を隠しきれていなかったこと。

たしかに可愛い女の子とご飯を食べに行く理由なんて、やりたいという気持ち以外ない。しかし、その下心は、家かホテルに行くまで隠し通すのが大人のマナーなのである。

どうせホテルか家にいったら、下心を爆発させるのだから、最後まで我慢しろという話である。

もう1つは、男としてあらゆることが経験値不足で魅力に欠けていたことだ。

マミちゃんと行った焼肉トラジのときは、お店を予約するなんて始めてのことだった。貧乏育ちの僕からしたら焼肉トラジぐらいで、怖気づいてしまったと思う。

その状況で、ちょっとした所作に自信なさが滲み出ていた。ちょっと高い焼肉屋にいくという初体験を味わうのに精一杯だった気もする。

さおりちゃんと行った焼肉KINTANのときは、もっと美味くて安い店に連れていくべきだった。

かわいい女の子だからといって、媚びて少し高いお店を選んでいる時点で、僕には価値がないから、価値のあるお店に行こうよと暗に伝えているだけなのである。

おどおどして落ち着かない男に魅力なんてない。

次にこれらの問題をどうやって克服してきたか書いていきたいと思う。

23歳から挑戦と失敗の連続で男が磨かれた

僕が20歳、22歳のときの話を書いたあと、僕の人生は大きく変わった。どんどん経験値が溜まるような経験の連続だったのだ。

ざっくりいうと以下のような経験をした。付随して体験する経験値も溜まっているとイメージしてほしい。

  • 23歳で東京から神戸に移住

  • 神戸で23歳で独立

  • 神戸で24歳で法人化

  • 法人化一ヶ月目で600万円稼ぐ

  • 初めての海外旅行を一人でサンフランシスコに行く

  • フィリピンのお客さんができて、何度もフィリピンに行く

  • 先輩経営者に関西の高級レストランにたくさん連れて行かれる

  • 祇園でお座敷遊びを経験する

  • 毎週全国のソープに遊びにいく

  • 毎日バーに入り浸りアル中になりかける

  • 税金が払えず黒字倒産(清算)

  • 25歳で家賃が払えず東京に戻り寮のある仕事をする(ホスト)

  • 引っ越し、コンサートスタッフ、品出しのバイト

  • キャバクラのボーイをする

  • 東京の社長たちにクラブのVIPルーム遊びを教える

  • 28歳で飲食店の会社で結果を出して副社長になる

  • 29歳で2回目の独立をする

正直、今箇条書きしたものを眺めていても、色んな経験を積んだ20代前半だったと思う。最高も最低も経験した。特に会社を倒産させてからは、本当に酷い有様だった。

我ながらクズだし、計画性がないと思う。

一番きついときは、キャバ嬢の家を転々としながら、ホームレスをしていた時期もある。本当に色んな女性にお世話になりながら、なんとか生き抜いてきた。

酸いも甘いも経験したら、僕のマインドは生まれ変わっていた。

経験値を積んだあとの僕

たくさんの経験は、男を育てる。正直、何が起きても動じない。根拠のない自信を持ち続けている。

金がないときは、女性に正々堂々と金がないと伝えて、おごってもらう。逆にお金を持っていたら必ず払う。これは友達に対してもそうしている。

誰に対してもフラットに、キョドることなく、接することができる。何かあれば腕っぷしでねじ伏せられるとも思っている。

22歳の僕と一番の違いは、全く舐められなくなったことだ。

女の子には、明らかにモテるようなった。どうしようもない僕を泊めてくれるキャバ嬢が数人いたわけだから、そう言っても過言ではない。

しかも営業が得意になった。謎の自信に満ち溢れていて、全く媚びずに、こうするべきだと言い切るので、仕事をもらいやすい。

こうして僕は、生まれ変わった。

なめられて悔しい思いをしている男へ

なめられて悔しい思いをしているなら、たくさん挑戦をして、経験値を積むべきだと思う。ぶっちゃけなんでもいいと思う。経験を積めば積むほど、強くなれるはずだ。

一対一での誰かと向かい合ったとき、その人の強みや弱みはなぜか伝わってしまう。その時に、自分が何に対しても臆することがない状態になれば、さまざまなことがうまくいく。恋愛や仕事、友人関係だって、改善する。

僕は、生まれつき人見知りだと、親戚中に言われるような子供だった。友達も少なかった。

でも社会人デビューはブラック企業で、ひたすら人に声をかけて断られる販売の仕事をした。夜はクラブのキャッチも始めて、六本木や渋谷で誰よりも声をかけた。ギャルに無視されまくった日々が懐かしい。

さまざまな経験を経たら、一人でバーに入って、隣の人と仲良くなって、一緒に別の場所で飲みにいけるぐらいには、コミュ力がついた。

そして前述した良い経験も悪い経験も味わって、自分が変化したと思う。

やればできるというより、経験を積んだら何でもできるようになると思っている。

だから、いつも舐められてしまい悔しい思いをしている男がいたら、どんどん経験値を積んでもらいたい。

そうすれば少しずつ変れる。

本当は、美女にも強そうな男に媚びる必要なんて一切ない。ビクビクして生きているうちはきっと誰かの養分だ。

少しでも誰かの心に火を灯せたのなら、嬉しい。終わり。




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