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スタッフ紹介/薗田淳

今回も弊社スタッフを紹介をさせて頂きます。
弊社に数名在籍する元サッカー選手のうちの一人、薗田淳です。
元プロサッカー選手であり6クラブを渡り歩いた薗田は、自身の経験を活かし、セカンドキャリアとして選手のサポートをしております。
弊社InstagramのLive配信でMCも務めております。


【プロフィール】
薗田淳(ソノダジュン)
1989年1月23日生
静岡県出身
ポジション/DF
麻機サッカースポーツ少年団ー常葉学園橘中学校ー常葉学園橘高等学校ー川崎フロンターレーFC町田ゼルビアー北海道コンサドーレ札幌ーロアッソ熊本ー藤枝MYFC-ブラウブリッツ秋田


UDN SPORTSの薗田淳です。

私は2019年に入社し、主にアスリートのマネジメント業務や仲介業務をしています。
ご存じの方もいると思いますが2007年に静岡の高校を卒業して以降2018年まで12年間、プロサッカー選手としてプレーしてました。

2007年に初めて川崎フロンターレの一員としてプロサッカー選手にさせて貰い、その後はFC町田ゼルビア・北海道コンサドーレ札幌・ロアッソ熊本・藤枝MYFC・ブラウブリッツ秋田と6つのクラブでプレーしました。
有難い事にクラブ以外にも17-23歳まで世代別日本代表にも選んでいただきました。

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私はサッカー王国静岡といわれる静岡出身という事もあり4歳の頃からボールを蹴りはじめました。
生活の大半にサッカーがあり、清水エスパルスの試合を観戦して以降『プロサッカー選手になりたい』という純粋な想いが常にありました。
小学校から高校まで、全ての年代で全国大会に出場する恵まれた環境であった事は私がプロになる大きな後押しとなりました。
当時プロになれなかった時の選択肢を考えた事もなく、根拠のない自信を持ちサッカー漬けの日々を過ごしていた事を記憶しています。

ここまで聞くと長くキャリアを続けた充分なサッカー人生の様にみえますが多くは挫折や失敗を繰り返してきました。

一番の挫折は12歳。
清水エスパルスジュニアユースの落選でした。
当時、私は憧れたオレンジ色のユニフォームを着る事のできない現実を突きつけられドン底に突き落とされました。合格した県選抜や小学校の元チームメイトのエスパルスでの姿は負けず嫌いで幼かった私のメンタルを深く抉ったのは今でも忘れません。
私がプロサッカー選手になれた原動力は紛れもなく悔しさにより変わった『打倒・清水エスパルス』精神でした。(今でも特別な地元クラブです)
その他、デビュー戦では首位決戦で鹿島アントラーズを破る事ができましたが、自分の責任で負けた試合も多く試合に継続して出続ける事の難しさ厳しさを痛感しました。
両膝の大怪我を負い、筋肉系の怪我を克服することができなかった事だけは特に悔いが残ります。
肉離れの多さは右に出るものはいないと自負しています。笑
不運ではなく、この様な試練が待っていたのは必然でした。
何事に置いても準備というものが凄く大事だとプロ1年目の私に会えたら伝えたいです。
ただ挫折や失敗がサッカー選手としても人間としても成長させてくれたのだと強く感じます。
それは今までもこれからの人生も同じなのだと思います。
こうして振り返ると私のサッカー人生は殆どが苦しい物となりました。

それでも、所属クラブのタイトル争いやアジア大会優勝、オリンピックメンバー争いなど、素晴らしい経験とそれを共有できた仲間との出会いの全てが今のキャリアにおいても自分の引き出しとなっています。
12年間で100試合にも満たない出場数での引退。ただ100試合に満たなくとも12年間プレーした事実も無駄にせずこれから先サポートしていくアスリート達に還元していきたいと思います。

入社したのは2019年…引退してから先ずはサッカーから離れる事を考えていた私の元へ18歳からお世話になった方が連絡をくれた。
UDN SPORTSの代表でした。
労いの言葉をかけていただき今の気持ちをざっくばらんに話をした。
その後、誘って頂き決断するまでに時間はかかりませんでした。

この会社に入った一番のきっかけはやはりスポーツが大好きだった事です。
所属アスリートに私が現役時代、共にプレーした仲間がいた事は大きかった。
特に香川真司選手。
彼とはプロを現実的に目指すキッカケとなったU17日本代表活動時にいっしょになり、お互いが初招集という事もあり仲良くしていたし同い年としてもとてもリスペクトしている。
その他、ロンドン世代が多く在籍しています。
同世代で今もなお活躍する彼らをより身近でサポートできる事は同じアスリートであり先に引退した私にとってとても意味のある事でした。
活躍できる選手・活躍出来ない選手の『何故?』を知る事は私が次世代のアスリートをサポートしていく上で伝えなければならないとても重要な事だと感じていたからです。
実力の世界で生き残っていく厳しさを競技者として私自身が痛感してきたからこそ。
アスリートがピッチで活躍する事は、応援するファンや家族にとっての願いであり選手にとっての一番の幸せであるからです。

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私は2018年11月に引退を心に決めた約3年前、引退後のキャリアについても考えるようになりました。
突然、サッカーをやめる事の怖さを感じサッカーという武器をとったら自分の強みはなんなのかと深く考えました。

それからはサッカー選手としての成長だけでなく、いつどこでどんな場所でも自分が活躍できる人間になる事を考え日々過ごす事を心がけました。
それ以降なかなか活躍できないプレッシャーや怪我による焦りなどはいつしかなくなりサッカーにおいても余裕が生まれ常に物事を俯瞰して見るようにもなりました。
この考えを持つようになってからの3年間は純粋にサッカーを楽しむ事ができました。

サッカー選手は特殊な職業であるが故に社会とはかけ離れている様に感じる人も少なくないです。
そして多くのアスリートが抱えている引退後の人生はとてもネガティブなものとして考えられています。
しかしアスリートは自分の考えを発言でき、誰とでもコミュニケーションをとれる能力があると感じます。厳しい練習にも耐え目標の為に自分で考え努力し達成するチカラはスポーツから離れても充分通用すると確信しています。
これから希望をもってより競技に集中し挑戦し続けてもらえるよう第二のキャリアを先にスタートさせた私もポジティブなものとして彼らに示していけたらと思います。

最後になりますがJ1,2,3と全プロカテゴリーでプレーした経験は高卒でプロになり未熟だった私を様々な面で成長させてくれました。
熊本地震を経験した私にとってスポーツを通じて出会った多くのチームメイトやサポーターやその応援してくださる地域の皆さまは財産です。
感謝の気持ちを忘れず、苦しい経験から謙虚さを失わず、何事にも熱を持って取り組んだサッカー人生25年間の全てを次世代のアスリートに還元していきます。
そして一人でも多くのアスリートがスポーツ界のみならず社会でも活躍し、日頃から支え応援して下さるファン・サポーター・家族・大切な人を幸せにする存在となる事を願っています。

UDN SPORTSは社会貢献にもチカラを入れています。
影響力のあるアスリートだからこそできる活動を、スポーツの垣根を越えて色んなかたちで皆様に笑顔を届けます。

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薗田淳