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小さいころの夢

おはようございます!
きのう散歩をしていたら
赤く染まったさつきの葉っぱに出会った。
この木は常緑樹だから、紅葉とは言わないのだろうけれど
冬になるとたくさんの植物が見せる
こっくりとした赤い色が
ぼくは好きだ。

ところでこのあいだ
子どもたちと話していて
小さいころはなにになりたかったの、と、きかれた。

なんだろうなぁ。
具体的な職業を考えるような年齢……
小学校高学年ぐらいだろうか。
そのころには
動物が好きだから獣医になったらいいなんて
周囲から言われていた。

素直なぼくは乗り気になっていたのだけれど
獣医学部のある大学が近くになくて
ほかにもいろいろ気持ちが変わって
紆余曲折のすえ、いまにいたっている。

でも、獣医だとかそういう
具体的な職業を考えるようになる前は
なにがしたかったのかなぁ、と、考えてみた。

そうだ、そういえば
無理やり言葉にするならば

お話を書く人になりたかった

ような、気がしている。

ごっこ遊びをすれば
勝手に作ったキャラクターに
えんえんと長話をさせて
周囲をあきれさせていた。

小学生のころは
詩をたくさん書いていた。

小学6年生のころには
お話を書きたくて
なんだったんだろう、あれは。
家にあったレポート用紙かなにかに
(こんなものは21世紀生まれの若者は知らないかもしれない)
動物たちが街で大暴れする話を書いて
学校の先生に押しつけたりしていた。

でも、小説家だとか作家だとか
そういうものになりたいなんていう思いが
具体的に言葉として浮かぶことはなくて
ただ、わきあがってくるものを
言葉にしていくことでしか
満たされないなにかが、あったのだと、思う。

それはいまも、あまり変わらないかなぁ
という気がしている。

もやもやとしているものを
だれかの言葉を引用して、それでおしまいにするんじゃなくて
どうにかして自分の言葉にして
外に出してしまわずにはいられない、みたいな。

そうやって
まだ形にならないものを言葉という形にしていく
そんな作業を
ずっと続けてきたことが
外国語で書かれた文章の思考の流れを
最初から日本語で書かれたみたいに書いていくうえで
すごく役に立っているんだと、思う。

でもこれは
「そこ」を目指してがんばってきた成果なんだと
胸を張って言えるものでもなく

それが夢だと思ってきたわけじゃないんだから
夢がかなったとか
そういうものでもない……のかもしれない。

でもなんだか
ぐるぐるまわってふりだしにもどった
ようでいて
すこーしずれて
大きくなって螺旋を描く
みたいな人生も
それはそれで悪くないよね、と、思っている。



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