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【翻訳のこと】ワイマールVSヴァイマル

きのうはお昼ごろから偏頭痛におそわれて
寝込んでいた。

あの偏頭痛というやつはいったいなんなのか…

ぼくは鶏を食べると、というか
動物の皮とか内臓とかを食べると
一発で偏頭痛に襲われるわけだが
(アレルギーかなにか、かもしれない)
そんなものを食べなくても
あの偏頭痛というやつはやってくる。

あれが1日でおさまるのが不思議だ。
そしておさまってみると
なんだかすごくすっきりしている。

体が勝手にデトックスかなにかを
やっていたりするのかもしれないけれど
もう少し穏やかにやっていただくわけには
いかないものだろうか。

ところで先日、新しい訳書が出た。
正式なタイトルはすこし長いのだが
『第三帝国のバンカー ヤルマル・シャハト
 --ヒトラーに政権を握らせた金融の魔術師』

(ピエール・ボワスリー/フィリップ・ギヨーム脚本、
 シリル・テルノン作画、鵜田良江訳、パンローリング)
というバンド・デシネ(フランス語圏のコミック)である。

その前には
『ベルリン 1928-1933
 --黄金の20年代からナチス政権の誕生まで』

(ジェイソン・リューツ著、鵜田良江訳、パンローリング)
というグラフィックノベルを訳した。

いずれもワイマール共和国時代のベルリンが
重要な舞台になっている。

そしてこの、「ワイマール」である
(いつもながら前置きが長くて申し訳ない)

ドイツ語ではWeimarという。
発音をそのままカタカナ化すれば
「ヴァイマル」だ。
「ワイマール」ではない。

英語では「w」はワ行音で読むが
ドイツ語ではヴァ行音となる。
ちなみに「v」はドイツ語ではファ行音だ。

Weimarがワイマールになってしまったいきさつは
よくわからないけれども
英語読みが定着してしまったのだろう。

小学校や中学校の教科書では「ワイマール」になっている。
だからぼくも「ワイマール」と書く。

とはいえ、Wikipediaでは「ヴァイマル」だ。
高校の世界史の教科書でも「ヴァイマル」になっている。

このあたりが、ぼくは、すごくいやだ。

いまの高校では世界史は必須になっているが
ぼくが高校生だった頃には(かれこれ35年ほど前のことだ)
理系では世界史なんかやめておけ、地理にしろ、と言われていた。
(ぼくは元化粧品開発技術者である)
素直なぼくは地理をとった。
高校で世界史なんて習っていないから
ずっと「ワイマール」だと思って暮らしてきた。

いまの高校生は世界史が必須になっているだろうと言われても
そもそも、高校に行かない人もいるではないか。
ぼくの娘は小児がんになって
勉強では大変な苦労をしたのだが
病気のために進学が難しくなり、高校を中退した人もいる。
だれもが高校で学べるわけではない。

それなのに「ヴァイマル」などという表記を使うというのは
なにかこう、自分たちは高校で世界史を勉強したんだぜ的な
威圧感を感じてしまうのだ。

義務教育である小学校や中学校で
「ワイマール」の表記が使われている以上
ぼくは「ワイマール」という表記で訳すことにしている。

原則的には
ドイツ語のものはドイツ語の発音で表記すべきだ。
ヴィルヘルム2世をウィルヘルム2世にされてしまうと
かなりへこむ。
(ときどきそんな訳を見かける)

ドイツ語の現地での発音にしたがえば
「ワイマール」ではなく「ヴァイマル」が、正しい。

とはいえ
いろいろな事情があって高校に行けなかったんだとか
あんまり勉強してなくって覚えてなくてさ、という方々に
「オレたちは教養があるんだぜ」的なプレッシャーをかけるのは
翻訳者としてきわめてはずかしいことだと思っている。

「ヴァイマル」という表記には
知的エリートの優越感のようなものを感じる。
だから、いやなのだ。

本当は、ヴァイマルにしたいのだけれど。
いつか、小学校や中学校の表記がヴァイマルにならないかな
なんて思いながら、教科書をチェックしたり、している。

でも、なかなか変わらない。
ならば、仕方がないではないか。
ぼくには、「ヴァイマル」表記を使うようにと
文部科学省に働きかけたりする権限など、ない。
「ヴァイマル」表記を使っている学者のみなさまには
ぜひともがんばっていただきたいと思っている。

本というのは出版社や編集者のものなので
「ヴァイマル」の表記でいきます、と言われれば
ぼくも、多少の抵抗はしながらも
たぶんは、はいはいと書き直すと思う、けれども。

とりあえずいまのところは
小中学校の教科書が「ワイマール」であるかぎりは
原稿では「ワイマール」と書くようにしている。



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