自分の課題はゼミの課題 ~先週のゼミ~ Vol.9


お久しぶりです!!!!宇田川ゼミナール2年の宮原です😙

久しぶりの投稿でとても緊張しています。。。

新型肺炎のニュースが絶えませんね😭しかもインフルエンザまで流行っているとなると当分の間は人混みは避けて生活した方が良さそうです。        

 僕はそもそも人が多いところが嫌いで、近づくことがそうそうないので感染リスクは誰よりも低い自信がありますが。。。(人付き合いが悪いことと感染リスクは反比例です)


先週のゼミ!!

先週の研究発表は1班(なぜ集団が維持、形成、再生産されるのか)と4班(なぜ2012年以降もミネラルウォータは消費を伸ばしているのか)でした!!

iOS の画像 (1)

(いつも同じような写真になってしまうなぁ、、、でもこんな感じなんです)


研究発表の時間は実は研究の進捗発表だけでなく、各班が抱えている課題について共有して、ゼミ全体で考えよう!っていう意味合いもあるんです😉

研究が進まない、ミーティングの時間が合わない、積極的に研究に参加してくれないなどなど。。。各班が抱える問題は班ごとによって違います。


違ったような課題を抱えていても実際話してみると根本には同じような課題があって、相手のことを考えることは結局、自分たちにプラスで返ってくることが多いのです!!


情けは人の為ならずとはよく言ったものだと思います。

その代わり相当頭を使いますし、集中力もどんな講義よりも必要だなぁと感じています(もちろん普段の講義も頭使っていますよ、はい、もちろん)。

さぁオープンゼミまで研究を極めるぞぉ👍



編集後記(むしろ本文) 〜〇〇なのはなぜだろう?のクセ〜

研究発表の他に先々週のゼミで話し合った議題についての共有をしました!

あくまでも共有の時間として設けていたのですが、、、、、、、     な、なんと2時間近くの議論に発展!!

先々週の議論で決めたことの根本が変わるということが起きました


決定したことが大きく変わること自体は悪いことではない(内容によりますが)と思います。しかし、それが先々週の議論の場でできなかったのはなぜだろう?と不思議に感じました。

先日、先輩方とゼミについて話し込んだのですが、そこで得たものを先々週の状況に照らし合わせると、

「幹の部分を無視して、枝葉ばかりに目を向けていた」


ということが起きていたのではないのかと考察できました。

要は本質的な部分を見失い、その時点で話し合うべきでない事柄(のちに詰めていくべき事柄、ケースバイケースな事柄等)に時間の大半を投下してしまっていたということです。
じゃあこのような状況になってしまったのはなぜだろう?と考えたところ大きく2つの問題があるのではないかと考えました。


1つ目として、「参加者全員がこの議論の終着点が見えていなかった」ことです。

この議題を話し合うことがどういう意味を持つのか、どういう道筋で議論が進んでいるのかを意識することなく、与えられた議題を処理することのみに頭をフルに使っていた節があったと思います。一言で言うと、

「参加者があくまで参加者に徹してしまった」

ホラクラシーを実践している宇田川ゼミでもファシリテーターが進行を務めているのですが、ファシリテーターと言う役割が与えられたことで、ファシリテーターとそれ以外というように、割り振られた役割を無意識にも演じ分けてしまっているのではないのかということです。


では、なぜ「この議題を話し合うことがどういう意味を持つのか」、「どういう道筋で議論が進んでいるのか」を全員が意識することが大切なのでしょうか。

それは「自分たちの目指すゴールと現在位置が把握できなくなる」からです。

結局何を目的で議論が進んでいるのかがわからなければ的確で、説得力のある発言はできないですし、すでに何が議論されていて、これから何を議論するべきであるかがわからなければ、いつまでたってもまとまった成果は出せません。

これを導くのがファシリテーターの役割だとも思いますが、ゼミ生全員がその意識を持って議論に臨むことに意味があり、それができた時にはとんでもないゼミになるのではないかと思いました!(そもそもファシリテーターは毎週別の人がやっているのでみんな必要な能力ではあるのですが。。。)


2つ目として、宇田川ゼミには「うまく見せる技術、能力がある人が多い」ことです

宇田川ゼミのメンバーはポテンシャルが高くなんでもそつなくこなしてしまう人ばかりです。

議論についても、問題提起→グループ単位での意見共有と擦り合わせ→全体での共有と擦り合わせ→決定という流れで非常にスムーズに進んで行くので毎回特に大きくつまずくことなく議論が進められています。

しかし、円滑に議論が進行しているということ=内容が充実していると錯覚している自分がどこかにいるのではないかと思いました。

これは何でもできるが故に何も為すことができない状態に陥っているのではないでしょうか。


以上の2点が今後の課題だなぁ〜と思います。

ただ、これをどうすれば克服できるのか、果たして克服できたとしてこれが本当に改善されるのかというのは今の所わからないです!

ぜひコメント等でご意見、ご感想いただければ嬉しいです😙

(こういう課題があるのかなと思えたのも実は研究のお陰だったりするかもしれません。問いと仮説、問いと仮説、問いと仮説、、、、、、、、)


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