里山から自治を考える 05「身体性と大阪・関西万博」
非常に大きなインパクトがあった1970大阪万博
今まで見たこともないような物や事が体験できたのが、1970大阪万博。
子供の頃に受けたあの1970年の大阪万博は、多くの夢と希望を与えたと思っています。私の周りには、大阪万博で受けたインパクトをやってみたいという人も多いです。かくいう私も、あの時に受けた大阪万博のようなことを自らがやってみたいと思っていました。
具体的には、万博で仕事したい、世界遺産やりたい、車のショールームやりたい、ビール会社のショールームやりたい・・・、2005年の愛・地球博(日本国際博覧会)の展示で実現しました。
自己実現と「身体性」と
私たちの常識として、自己実現には「身体性」が必要だったと思うのですが、もういろんなことがバーチャルでできるようになってきました。哲学的にも、もう「身体性」自体が不要になってきているという感覚が若い人にはあると思います。
身体に対して、脳で考えるバーチャルな世界(脳化社会)は、コンピュータの進歩と軸が同じなので、科学技術の進歩と共に進むわけですから、簡単だったと思うんです。でも今、コンピュータが進歩しすぎてしまい、もう一度「身体性」という揺り戻しが起こっています。ですが、「身体性」を取り戻すのは、もう非常に難しくなってきているように感じています。
ある意味必然であり、ある意味不可逆な脳化社会。それに対して生身の「身体性」を伴う自己実現。これを軸に大阪・関西万博を考えていきたいと思います。