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闇の魔法使いとして過ごすのはすんごく疲れる。

私は少し前まで、自分が遭遇したちょっと嫌なことやトラウマをテーマに絵を描いていた。
悲しい気持ちややりきれない気持ちを言葉にするのが苦手だったから、絵で昇華する他なかったんだよね。
そのときも絵を描くのは好きだったんだけど、楽しさや幸せな気持ちを重視する今は、絵を描くのが比べ物にならないくらいもっともっと楽しい。

最近の作品は、散歩でみた池が綺麗だったとか、人との交流が楽しいとかっていうテーマのものが多い。しんみりしたテーマもあるけど割とポジティブなテーマが多かったり、前向きな結論で筆を置いたり、絵を描き終わったときの多幸感が強い。

どうして作風の変化があったか考えてみると、苦手な場所やコミュニティを離れたこと、それと付随して、考え方が前よりも快活というか朗らかというか、前のが悪いわけではないんだけど、自分が過ごしやすい思考回路でいられるようになったからかな。苦手な事に直面した経験をもとに、自分に合う思考方法をカスタマイズできたんだと思う。

前は、どちらかといえばマイナスをゼロにするために絵を描いていたけど、今はプラスをもっとプラスにするために絵を描いている。だからとてもハピネス。

苦手なところから逃げられたとき、それ自体は素晴らしいことだけど、どうしても退散した直後はまだ心が癒えない。でもそのときの私は焦っていたというか、自分の心の回復ペースをわかってあげられていなくて、「苦手な場所から逃げて楽になったはずなのにまだしんどいなんて、私がよわよわだっただけなんじゃ…」って思っちゃったりもした。
辛いことのあとはしばらく余韻の辛さが残るもの(世界一嫌な余韻)ってことは、これを読んだ誰かも、私も、忘れないようにしなきゃね!
怖いのがこの余韻、数日から数ヶ月の場合もあれば、数年になる場合もある。ひとのことは気にせず、自分のペースで癒えていけばいい。

話が逸れたね。そうそう辛さから抜け出たあと、迷い子のような気持ちで絵を描く期間がちょっとだけあった。なにしろ今までテーマとしていた悲しみはもう描き尽くしてしまっていたのだ!悲しくなくては絵は描けないのかと悩んだこともあった。

でもそれは違くてさ、たまたま私がしんどさを絵に表しがちだっただけで、幸せでも嬉しさでも辛さでも、絵は絵描きの心や感情を保存しておく保管庫に変わりなくて、必ずしもセンセーショナルで爆発的な芸術じゃなくてもいいんだともわたしは思うんだ。


ただ、恐ろしいくらいの激しい情感(よく目につくのは負の感情?)は、人の心に印象を残しがちだから絵としてのインパクトは大きいし目につきやすい側面はたしかにある。

でも多分ね、激しい情動って、描くのも観るのもドキドキワクワク。それってつまり力使うというか、アドレナリンが出る分疲れるのよ。私は結局絵に癒しを求めてたから、なおさらこれをずっと描くのは違うかなって。もしあのままストレスやしんどさをテーマに絵を描いていたらきっと潰れていたと思う。そもそも私、誰かや何かのことずっと恨み続けるの苦手だし。

だから私は闇の魔法使いをやめた。
闇の魔法使いも世の中には必要だけど私じゃなくていいじゃん!得意じゃないんだし。
人を呪えば穴二つというように、何かに負の感情を向ければ、自分が直接的な罰を受けなくても、多少の罪悪感や自己嫌悪が残ることで自分にも呪いがかかるんだと思うんだよね。

トラウマや闇や過去は、芸術家をより華やかに演出することがあるけど、そこからしれっと抜け出す光の絵描きがいてもいいはずだよ。
いろんな絵描きがいるってことは、それだけいろんな救済があるってこと!それでいいんだと思う。

私は好きなように生きるよ!自分が過ごしやすい自分でいるよ〜!!楽しい魔法をかけるよ〜!!!!アバダ・ケダブラ!!!アッ間違えた!オブリビエイト!!!!

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