見出し画像

自分だけの航路を探す旅。永遠に続く絵描きの旅路。

自分の描きたい絵の描き方について、私はずーーーーーっと模索し続けてる。どんな作風にも好きな部分を見つけられちゃうし、自然派もバルビゾン派も好きだし、フォービズムもシュールレアリズムも好きだし。でも、誰かがもうすでに作った作風なんだよね。

誰かがすでに試して評価されている作風で制作するって、評価の前例あるし、どこがどんなふうにいいかっていうのがたくさんの批評家によって言葉になっているし、安全圏にいながら絵を描けちゃう。それは心穏やかよ。

だけど私はそんな陸地を離れて不安に思ったとしても航海に出たい。自分らしい新しい作風を生み出したい。人間がやれる表現はもう出尽くしたとは思いたくない。正直めっちゃ不安だし、評価軸を自分の中に置いて、頭の中で自分との対話の繰り返しをしながら、現実のキャンバスに出力しなきゃいけない。大変。それでも出航すんのよ。

で、具体的には自分の中で絵を描くときのスローガンがある。

1.綺麗に描かない。
2.全部描かない。
3.ずっと描かない。

1.綺麗な絵って見るのは好きなんだけど、自分が描いてるとなんか、アレ、解釈違い。澄ましてんなよ〜〜と思ってしまう。アクがない絵にはなりたくないし、情熱やリズムをなくしてしまいたくない。
綺麗って言葉の定義が曖昧でわかりづらいかな…ようは、調和の取れすぎた絵を本当に私は描きたいのかどうかって話。制作するときいっつもぶち当たる壁なんだよね。コンフォートゾーンを抜けるか抜けないかっていう葛藤。

2.こと細かく全部描いちゃったら、見たときに想像の余地がなくなっちゃう。この形はキリンに見える、他の人にはビルの隙間に見えるとか、そういうの曖昧なまま残しておいた方が私は楽しいんだよね。解釈の自由さっていうかさ。
あとなんかこう、全部書いちゃうと静止画になる感じがする。動いてるものの輪郭線の曖昧さや決まらなさが好きなんだと思う。好みの問題。

3.飽きても筆を動かしたときの絵、ロクなことがない。あ〜〜蛇足だった〜〜ってなるのが8割。
未完成っぽく見える絵が好きだし、絵を見て自由に何かを想像したいから、描ききらないのが吉だったりする。キャンバスの白いとこを全部埋めなくてもいいしさ。
だけど、がむしゃらに諦めずに描いた2割の傑作(自己評価)もあるという事実があると言えばある。でもまあそのときだって飽きてなかったから描き続けられたんだし、情熱があるうちにバーっと描いたほうが私はいいんだろうな。

何ヶ月もかけてその一枚だけを集中して描く人とか、小下図→大下図→本画みたいな日本画の工程をしっかり経て、同じ絵を何回も描ける人は、どんなふうにその情熱を保っているのかちょっと聞いてみたい。

そんなこんなで、自分が描きたい絵を描くために模索し続ける航海の真っ最中。
コンパスは心の中にしかないので、どっちに進むかは己に聞くしか無い。
作風はまだ定まらないし、一生研究のまま、商業に徹することもできず、お金になることもないかもしれない。(私は商人ってタイプじゃないよな、残念ながら。)

だけど私は私のお絵描き人生を愛しているのだ。
周りがどう言おうと、本当は永遠に陸地に辿り着きたくないし、許されるならずっと海を漂っていたい。
海に沈むそのときまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?