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波瀾万丈な私の2023年を振り返る

2024年もあっというまに5月、もうすこしで上半期がおわってしまうなんて信じられない。
今更ながら、2023年を振り返ってみようと思う。
2023年は楽しいことも悲しいことも本当に色々あって、でもその分発見や成長もできた、転換になるような一年だった。
そんな革命的な一年の記録をここに残しておこうと思う。

1月 筑波大学からの脱出

卒業単位数を無事に取得できたみたいで、卒業できることになった。長かった。
5年間過ごしたつくばという地ともお別れで、そう思うといつも歩く道に急に愛着が湧いて、ちょっと寂しい気持ちになった。

つくばは道路がガタガタで歩きづらいとか、街灯がなくて段差でこけるとか、5年間文句を言いまくっていたのに。

どんな物事も終わりが見えると、ちょっとだけ煌めいて見えるものなのかなと思った。

卒論は作家と想像力と作品の循環について書いた。作家の感覚が得たインスピレーションは、作品の形となって、作品をみた他の誰かの想像力をかきたてる。そういう循環の話を書いた。

卒論どんなのにした?って聞かれると、芸術系だしほぼほぼお気持ち書いただけだよって、つい自虐して答えちゃう。でも制作に対する自分のポリシーや考え方を明確にすることができて、これからの進み方を考えるためにも、書く意義はあったなと思う。

2月 進みたい。でも壁もある。

引越しの準備は疲れるけどワクワクする。
内見をして、新たな街や家で暮らす想像をする。
だけど私はまだ自分1人で部屋を借りられない。お金も仕事もないからである。

繊細すぎるし協調性もない私が放浪な生き方をするには親の脛を齧るしかないというのに、気分ジェットコースターな父を頼るのは私にはハードルが高かった。そもそも人を頼るのが苦手すぎるのだ。

新天地にいっても、自分の人生に希望を持てるのはもう少し先な気がした。

3月 新しい場所へ

引っ越してからバイトを始めた。
ホテルのビュッフェでのバイトだ。

就職するから今日が最終の出勤日だっていう人と話して、バイトに慣れるか不安なことを相談したら「自分のおもてなしでお客さんが喜んでくれたとき、すごく嬉しくてやりがいがある」と教えてくれた。旅行系の仕事に就くらしい。どんなふうに仕事をしたいかを楽しそうに話してくれて、なんだかすごく嬉しかった。

4月 絵と私らしさと居場所

個展を開きたいなと思って場所を探していたら、素敵なコンセプトのカフェを見つけた。
「一人時間を大切にする喫茶食堂」だという。
正直もっと早く見つけたかった。そのくらい居心地の良い場所を見つけられて、嬉しかった。

個展させていただけることになり、色々と準備をしていた。
絵と一緒に置くキャプションは、いつも文章構成に迷う。ポエムすぎず、堅苦しすぎず、説教っぽくなく、日常の些細なメモ書きみたいな、気軽な文章にしたいと思った。


5月 
お絵描きって本当に楽しい!
CANMAKE TOKYO!


個展開催も決まり、絵を描くのがすごくすごく楽しい時期。毎日いろいろな描き方を試しては、それぞれの表現の意義を考えていた。
キャンバスの上に色を乗せていくのがこんなにも楽しい!とか、新しい筆を試してみよう!とか、水彩も油絵もどれも好きな画材で困っちゃう!とか楽しくきらきら過ごしていた。

一方で自分の体質に悩んだり、自分のセクシュアリティに悩んだり、人と違うところを見つけるたびに孤独を感じた。
絵を描いている間は考え事ができてしまうから、描いた分だけ悩みまくった。

6月 
不安と気づき

搬入前日なのに不安でいっぱいで、友達に相談したら「細部に着目し過ぎてるから不安になるのかも」という答えが返ってきた。

確かにそうかもしれない。

準備に不備がないかとか、そういうの心配しすぎちゃうけど、個展を開催できることへの嬉しさとかありがたさとか達成感とか、心配ごとよりも、明るい側面にもっとフォーカスを当ててもいいのかもと気づけた。

彼女はいつも発見をくれる。優しく鋭い友達である。

7月 成果、そして次の課題へ

なんと、絵を購入いただけた。
感想を入れるポストを置いていて、開封してみるといろんな人の思いが詰まっていて、私の作品が多かれ少なかれ誰かの心のスパイスになったようで嬉しかった。
なんか卒業式みたいだった。そう言うと「まだはじまったばかりですよ」と店主さんがいった。終わりで始まり。一つの区切りだった。

個展搬出した日、ピルを始めた。
ずっと悩んでいた生理の血の量や痛みが軽減して、暮らしやすくなるといいなと思っていた。

8月 人生は楽しい。

新しくグッズづくりをはじめたり、次はどんな展示をしたいか考えたり、ワクワクする未来のことを考えた。
上高地に家族旅行して、前までギクシャクしていたのに仲良く旅行なんてしちゃって、こんな穏やかな日々が訪れるなんてと思っていた。
空気が澄んでいて綺麗だった。

絵描きとして生きていくために、確定申告の相談会にも行った。
聞きたいことはいっぱいあったのに、エアコンの音が人の声よりも大きく感じて、まともに話を聞けなかった。
家に着いたら疲れ切って泣いてしまった。

9月 悩みとの対峙

様子がおかしかった。
自分の感情をコントロール出来ないようで、漠然とした不安と、いてもたってもいられない衝動に駆られていた。いつもより嗅覚や聴覚が過敏になって、街を歩くのもご飯を食べるのも難しくなった。

今になって振り返ると、ピルによってホルモンバランスが変わったことが気づかないうちにストレスになっていて、それが引き金となって元々抱えていた不安や感覚過敏が表面化したのだと思う。

ホルモンバランスの変化で一時的におかしいだけなら、もう少し我慢してやり過ごそうとしたのだけど、首を吊る寸前までいったので薬の継続は断念した。

解決するかもと思っていた問題が振り出しに戻った。希望を持った後どん底に突き落とされるのはショックが大きい。

10月 そんな私はどんな生き方をしよう

感覚が過敏なのは治しようがないし、バイトを再開するのも、普通の人みたいに日常生活を送るのも難しい。やっとそのことに納得できるようになってきた。
仕方がないんだもん。入ってくる感覚を遮断したり認識しないようにしたりするのって難しいんだ。

でもその代わり、私には表現がある。
感じ取れる色も音も多いからこそ、頭に入ってくるたくさんの材料を使って、目一杯表現することができるのだ。

11月 観客席を抜け出して


劇団の稽古が始まった。
ワークショップに参加し始めたのは5月ごろだった。あのとき改めて、"大勢の中の自分"を意識した。
小さい子達がたくさんいる中では自虐的なことを言わないように気をつけていたら自己肯定感がアップした。ちょっとした言葉でも、自分で自分を傷つけてしまっていることがあるのだと知った。

緊張しいな私は、人前に立つことにハードルの高さを感じていた。でも稽古の何回目か、演技に入り込める瞬間があって、そこから先は緊張することなんてなかった。

きっとそれは劇団のみんなが、すごく優しく穏やかなみんなだったから、人前が怖くなくなったんだと思う。

ずっと観客席にいたいという思いがどこかずっとあったけど、もう前向きに舞台に上がって行ける気がした。

新しい病院に行った。次の先生は、私が抽象的な表現で症状を説明しても、汲み取ろうとしてくれて嬉しかった。
今までしっかりした自分に見せようとか、理性的であるように自分を偽っていたけど、別にそんなに身構えなくてもいいのかもしれない。

12月 終わりよければ全てよし

気分は晴れやかだった。
ピルを中止して、何日か経った後、まるで家出してたライオンが帰ってきたかのように活力が湧いてきた。ときどき暴れる私の猛獣に、ついていけないときもあるけど、愛してあげようと思った。

問題はまだ山積みだ。結局月経困難症のことは解決できていないし、確定申告のことも理解しきれていない。
でもなんとかなるような気がするのだ。

不安な気持ちや鬱は、抱えている問題や課題を必要以上に大袈裟なものにしてしまう。
理性や真面目さよりも、時には軽率に、自分らしく穏やかに軽やかに生きることを優先した方が冷静な判断ができて、私にとっては効率がいいらしい。

困ったときはいろんな人が助けてくれる。
だからきっと大丈夫。

All is well that ends well.
ドタバタしながらも、滑り込みハッピーエンドを飾った年末だった。

2024年はいったいどんな年になるだろうか。
私はその答えを、もう半分知っている。去年の私が一生懸命生き抜いたから、今の私がいる。
よく頑張ったね、わたし。

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