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僕が東京パラリンピックを目指す訳 第1回 ~香取慎吾さんがくれたもの~

東京パラリンピック1年前(2回目)を迎えた。一年前の、東京パラリンピック1年前(1回目)を思い返すと、遥か昔のことに思える。ということはこれから本番まで、また長い一年になるのだろう。とにかく充実した日々を積み重ねたいと思う。

サンデースポーツでも話したが、パラリンピックの延期を聞いた時、正直なんとも思わなかった。各社のインタビューでも、
「ノーダメージです。これまでに味わってきた挫折の量が半端じゃないんで。」
なんて答えてきた。すごいハードボイルドでなんか申し訳ない。実際、障がい者っていうのは、できないこととか制限されていることにばかり意識を向けていたら、しんどくて生きていけない生き物。僕もそれなりに大切なものを失う経験をしてきたせいで、失ったものへの執着を捨てて、残ったものの中で次の手を考える、というのが自分の中で癖になってしまっている。
おかげ様で今回もノーダメージ!って話なんだけど、実は・・・。
少し怪しいなって思っていた。本当にそれだけなのかなって。
僕は今31歳。水泳選手としては完全におじさん。でも世界のライバル達はハタチ前後のピチピチボーイズ。常識的に考えて、延期が不利に働く部分もある。選手としてもう少し焦ってもいいのにな、とも考えていた。結果に対する不安についてちょっと他人事みたいな感覚があって、これはどうしたもんかと。

そんな折に訪れた慎吾さんとの対談。実はお会いするのは2回目。前回、優しくじっくり話を聞いて、鋭い感性で応えてくださった慎吾さん。

慎吾さんの素敵さを簡単に説明すると、周りに居るだけで顔が自然とほころんじゃうような”オーラ”なのか何なのかわからないけど、見えない俺様でもわかるくらいのなにかがビンビン押し寄せてくる。そんな感じ。(完全な説明)
今回はキムちゃん(木村敬一選手)も一緒。初対面のキムちゃんも、お会いした直後から「優しそうで話しやすそう」と大喜び。よかったよかった。

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自粛中のこと、社会の変化、人の心の変化・・・どんどん話が弾んだ。そしてその中に、僕が延期が及ぼす影響に対してちょっと他人事みたいになっていることについてのヒントがあった。

競争を生業とする僕らの話を聞いた慎吾さんが、ご自身の俳優としての哲学について話してくれた。「僕は周りの俳優さんより自分をよく見せようという気負いがないことを褒められるけど、実際、あくまで自分はアイドルだっていう意識があるから俳優さんに勝ちたいとは思ってないんだよね。もちろん一生懸命やるけれど、本業じゃないから周りを気にせずに自分の演技に集中できるのかもしれない。」

ここ5年くらいは仕事として真剣に水泳に打ち込んできたけれど、元々水泳選手になりたかったわけじゃない僕。スペシャリストじゃないからプライドがなく、プライドがないから勝ち負けへのこだわりが少ない。どこか似ているのかもしれないと感じた。
パラアスリートでありながら、パラリンピックを客観的に見てきた。パラ水泳は僕にとって、あくまでいろんなことを諦めて流れ着いた場所。だから自分は水泳選手だ!っていう感覚がない。プライドがないからずっと貪欲に、自分の成長に集中できる、そんな感じ。

そして慎吾さんがもう一つ教えてくれたこと。「僕は今を全力で生きる!っていうタイプの人間だから、自粛で今なにかできないことがすごく辛いと感じたけれど、2人は未来を見据えるタイプだから、今は未来のためにできることをやろう!って前向きに考えられたのかもしれないね。」

自分の在り方を言い当てられた感じがした。延期が決まって自粛を余儀なくされた時、真っ先に考えたのは、どうすれば成長を続けられるか。確かに先のことばかり見ていた。部屋をトレーニングルームにしたり、プールを買って庭で泳いだり・・・

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キムちゃんには「宇宙さんはちょっとやりすぎ。実家で世話させられるお母さんが可哀想」って言われたけど、世間的にはストイックに工夫したおじさん、ということになってる。母さん、ありがとう!愛してるよ!
そしてもっと未来のことも考えた。延期されてしまった、あるかないかもわからない東京パラリンピック。その消えかけた大舞台のために、僕ができることはなんだろう。困難な状況で問われているパラリンピックの価値について思い悩んだ。そして気が付いた。
命が脅かされる事態で社会が大変な中、スポーツやってる場合じゃない!それは本当にその通りだと思う。だけど、パラリンピックは元々、何を見せる場所だったか。困難を乗り越えた人々が自分を最大限に表現する場所。ということは、こんな未曽有うの困難の先に開催されるパラリンピックだからこそ、その真髄を発揮することもできるのかもしれない。そしてそれをわかってもらうためにはまずは困難を乗り越える過程を見せていかなきゃいけない。それがパラリンピックの価値を最大にする、パラリンピックが社会にプラスになるための行程であるはずだから。
気が付いた僕は早速発信を始めた。トレーニング動画、おうちプール、メッセージ、話題の替え歌(笑) etc... SNSから始めた発信は、新聞、Web、テレビ、ひいては国連まで。たくさんの人が協力してくれてどんどん広がっていった。

嬉しい反面、まだまだ足りないのが現実。この波をもっともっと大きくするために頑張らなきゃいけないと思っている。もちろん、慎吾さんのお力添えは本当に心強い。これからもよろしくお願いしますm(__)m

今は、来年実際にパラリンピックが開催されるかどうかさえ関係ないと思える。苦難とどう向き合えるかがパラアスリートの勝負どころで、それがパラリンピックの一番のウリなんだとしたら、金メダルまでの道のりを伝えようと一生懸命に動き出した僕にとっては、ある意味で東京パラリンピックはとっくに始まっているのだから。

最後までお読みいただきありがとうございました!

#エッセイ #ダイバーシティ #パラリンピック #香取慎吾 #木村敬一

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