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身体はわたしという風船の重しの役割

身体はわたしという風船の重しの役割だなーと最近の私の実験による考察です。それはねそれはね、先月、食の変化から始まった私の覚醒体験に基づいて、それから実験を続けているのですけれど。

以前はね、なんでもかんでも気にせず食べていたんです。コンビニもウーバーも缶コーヒーも小麦粉もお砂糖も。それが先月、妖精反応のための自宅隔離期間中に、一気にやめる方向になりまして(缶コーヒーだけ、そのあと一回だけ飲んでみたけど、もういいやって感じ)、そこから一気に玄米菜食、そしてプチ断食、からの〜〜〜〜『あ!わかっちゃった!』という覚醒体験。もちろん今までの覚醒への道のりのあれやこれやが積み重なって、そこに最後に食の変化がきて、ビックバン的なことが起こったのだと思います。

それから、外で友人と会うとき以外は少食にしまして、水、お茶、コーヒー(自分で入れたもの)、コンブチャなどの酵母や酵素、糠漬け(糠床バランスがなかなか落ち着かない)、お味噌やお味噌汁、甘酒、お塩(いいもの)、たまにフルーツとか干し芋をとる生活です。

で、自分の感覚としては、小麦やお肉などを頂くと、特に地球感覚になるんですね、地に足がついている、的な。地球波動になる。そして少食になると宇宙波動になっていく。この使い分けが大事なんだなーと。そりゃ当たり前のことを当たり前がゆえにわからなかったことを、別の視点から大きくわかったのですね。地球の食べ物なんだもんねぇ。そりゃ地球の波動に合わせるためにあるんだよね。

そしてこれからの実験としては、「必要なものは必要な時にもたらされる」という宇宙の法則を、食にも当てはめてみる。ということです。自分では少食を保ちつつ(なぜならすこぶる心地がいいから)、もたらされたものはその時の自分に一番必要なものだから、こだわらずに頂く。そうすると、自然と、その時に一番いいバランスが保たれるんじゃないか。と。そんな実験。

この世に存在する全ての食べ物に波動があるし、そこには高低がありますわな。いいわるいでは、なく、ね。いい、わるい、ではなくて、すべて地球に存在するためにあるたべものたち。それを食べることでわたしという存在は、すっ飛んでいってしまうことなく、ここにいられる。ありがとう、すべてのたべものたち。そんなサンキューの日。

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