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親の立場、子の立場。

↑壇珠さんの記事を読んで、スタバでガフっとなったので書いています。

以前、夫は所詮他人だから、いざという時はバサッといけるけど、子は自分が産んだ人だから、なかなか夫のように縁を切ったりは難しい、みたいなことを聞いたことがあり、なるほどな、確かに、夫とはもう離婚だ!なんて思うこともあるけど(しないけど)子どもはそもそもそんな発想がないかも、自分の身体から産まれたし、繋がりが違うもんな、なーんて思っていたのですが。

そもそも自分が子どもの立場に立った時、親に対してそんな思い入れがないにも関わらず、自分が親の立場になると、自分の子どもは私とこの子は切っても切れない関係にあるだろう。そしてそれはずっと続くだろう、てへ、なんて、図々しいことを思っている。

ことに気付いたのであります。表現難しいな。

まず私の親はなんであんたら結婚した?というくらい性格が合わなかった。何度も離婚の危機に陥っては、子どもが産まれてなんとかやっていくかと戻ったのか、その辺知りたくもないけど、男の子が欲しかったんだろうなと私は小さい頃から感じていた。

挙げ句の果てに夫婦で交通事故にあったり、母は家出を重ねて末っ子が2歳の時についに離婚して出て行った。残された三姉妹は暴力的な父のもとで、なんとか生きて大きくなった。今思えば父に高校まで出してもらったのはマジありがたい。

その後就職して結婚して子供も産まれてすったもんだあるけど、しあわせな毎日です。


子どもが大きくなってきて、親の正体に気づき始めたな、と感じることが多い今日この頃。ちょうど、これまで私たち親や周りの大人から教えられた常識に???が生まれて、自分で自分の価値観を再構築している時期。。。再構築する過程で不登校までしてくれちゃったのには一時夫婦で完全にノックアウトされたけど。。。

昔私が言ったことへの疑問をぶつけられたりすることもある。正直、その日は私疲れて機嫌悪かったんだろうな、ごめんね、みたいな答えしかできないこともある。逆に、いや、これはこう考えてたから、そうしてたよ、と答えられることもある。

こう考えていると、ありがたいことに、うちの子どもたちは底抜けに優しい。未熟な私の子育てに対して、疑問をぶつけ、そして半端な答えしかかえってこなくても、受け入れてくれている。諦めてくれているのかもしれないけど。

夫のことは大好きで、毎朝起きて顔を見ては、好きだなぁと思う。

でも子どもには、時間通りに動かないとかでイライラしたり冷たくしたりすることもある。もちろん、夫にもあるけど子どもに対しての方がその態度が出易い気がする。

子どもは私の子ども、という人ではなくて、自分が名前をつけた、産んだ、と思っていても、そもそもそれも彼らが私を選んでくれたから、今一緒にいられて、さまざまな経験をすることができているということをついつい忘れる。

てゆーかそもそも、自分が親に対して、普段からありがたいとか、好きだな、とか、思ってないのに。自分がそこそこちゃんと親をやっていると思っているばかりに、感謝してくれてるだろう、尊敬してくれてるかも、なーんて図々しい前提があるのだ。

あー!子育てやり直したい!と思ったこともある(今はあんまり思ってない。できないし、なんだかんだ、いい感じだと思ってるから)。

でも、人を育てるということがどんだけ重いことか。もっと夫婦で話し合って、そもそも子どもを迎えたいと抱き合う前に、たくさん話し合ってどんな環境を用意して、どんな接し方をして、どんな人になってもらいたいか、どう伝えるか、なんでも話しまくるべきだったな。と反省はしている。

子どもたちからは与えられてばかり。

今でも毎日、新しい世界を見せられてはモダモダしている私。

それでもいいよ、と思ってくれている、と思ってるんだけど、その上に更にあぐらをかくことのないように、私は私できちんと私のやることをやるしかないなぁと思ったのでした。

親の正体に気付いた彼らが、かっこよすぎる彼ら自身を再構築していくのを側で見せてもらえるという幸せに感謝したい、そう思ったのでした。



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