見出し画像

困難は必ず解決策を連れてやってくる

タイトルは、夫が、研修を受けてそこでもらってきた色紙に書いてあった言葉。誰かの名言らしい。

いや、困難さん、そもそも解決策いらんから、来なくていいよ、って思いますが。。。


今、息子の不登校という夫婦の人生の中で最大レベルじゃね?ってくらいの壁にぶつかっています。

今日、スタバで旦那と2時間ほどかけて、お互いのいろんな価値観を整理してみました。

こういうテーマって、家の中は当事者がいるし、外でもなかなか周りが気になって話しにくいので、うちはノートを使います。筆談みたいにして進めます。私が普段から自分の気持ちを整理するのにノートを使うことがあるのでその延長から。夫とノートをやるのは3回目くらいかな。。今日は一番長く、8ページに渡りました。

単純に今の気持ちから始まって、家庭の現状の事実確認、困難に思っていること、あとは、家族うんぬんに関係なくやりたいこと、やってみたいこと、こうなったらいいな、などなど、時々補足で話しながらどんどん自由に書いていきます。一冊のノートと一本のペンでやるので、相手が書くのを見ながら、お互いに、ふんふんと理解を進めていきます。

声だけだと、内容が伝わらなかったり、さっきなんて言ったっけ?なんていうことになりますが、ノートは何度も見返すことが出来るので、特に理系文系で思考パターンが違うカップルにはいいなと感じます。ちなみにうちは旦那が理系、私が文系。よくあるコンビですね。


子どもが学校に行けなくなって、周りの経験者のお母様にアドバイスをもらったり、ネットや本などでいろんな情報を調べまくりました(うちの場合は急性ストレス反応、パニック発作で電車に乗れなくなったのが始まりでした)

不登校になった本人の無力感、絶望感、焦り、怒り、悲しみの大きさ、続く苦しみ、調べるうちにうんうんと納得する中で、皆さん一様に書かれてるのが、本人の自己肯定感の低さ。うちの子はHSCということもあり、もー繊細も繊細、ちょー繊細。耳も鼻もいい。そして更に頭も悪くないので、現在の心の抉れ方は半端ないです。そしてそれをまた自分で理性的に捉えてさらに分析しちゃうのでもー、上っ面な励ましやコメントはすべて滅多斬りにされます。

不登校を選んだ子どもたちについて、大変だね、でも大丈夫だよ!と思ってた過去の自分をぶん殴りたいなと思ったもんです。

でもいざ当事者になってみると、『なってみて初めてわかるんだからしょーがない!』と思います(笑)だから周りの経験者のお母さんは笑って受け止めてくれたんだな。。。頭が下がるどころではない。


で、夫が、『子どものこの自己肯定感をどうにかしなきゃって思ってたけど、今はむしろ、俺ら夫婦の自己肯定感が問題な気がする』とノートを書きつつつぶやいたのです。

はっとしました。そしてさらに、『楽して楽しいことしちゃいけないって思ってる節あるよね』と。

不登校についてよく見かけるアドバイスに、お母さんお父さんはあまり心配し過ぎずに(見張らずに)自分もやりたい趣味などや外出など楽しいことをしましょう。というようなものがあります。

これ、うちもそこは心がけようと、週末は意識してでかけたり、夫婦の時間をとったりして、ストレス溜めないようにしなきゃねと。

ところがこれ、今日は〇〇の相手をがんばったから、とか、昨日のネガティブキャンペーン(本人がどうにもネガティブで、家族にそれをぶつけてくることがあります。うちの場合は長時間にわたる話し合いになり、夜中に行われることもあります)を乗り切ったからいいよね、という、基本的に、嫌なことを乗り切った、頑張ったから、いいよね?楽しんでも?!と思ってやってたことに気づいたのです。

これ、子ども(不登校)を悪者にしてることになるね、と。

純粋に楽しんでないわけです。楽しむことに罪悪感があります。そりゃそーです。子どもが苦しそうな時に楽しむとか難しい。(しかもこの先の転校とか考えると予定外の出費もガンガン予想でき、白目剥きます)お茶したり、お金使うこと自体に、罪悪感持ってたのです。その罪悪感を軽くするために、子どもを理由にしてたのです。

もちろん、それが悪いこととは思いません。むしろそれがないと、辛いばっかりの時期もありました。特に初期の何でこうなった?!という時期は親子共々どん底でしたから、外に出て気分転換でもしないと、家で普段通りなんて本当に出来ないのです。あたしらがんばってるんだから!と自分を鼓舞するくらいの勢いでないと外に行く気力もない日もありました。本人はその間もどん底なわけですが。。。でもそれも百も承知なわけで。。


でもそろそろ、このパターンやめる時期だね、と。

何もなくても楽しんでいい。あんたがどうなっても父さん母さんはわりと楽しいぞ。お前がどんな選択しようが、それで家族が不幸になるこたぁないぞ。だから大丈夫だ。安心しろ。


そう伝えたいよね、と。

スタバでこれを確認できたのは、とても大きな収穫でした。


結局、人は自分のことしか出来ないんだなと思ったのです。家族という設定をしたならば、そこには切っても切れない濃厚な関わり合いがあるわけですが、結局、自分のことに集中した結果、お互いに影響し合うことはできる。でもそれをどう活かすかすらもまた、自分の範囲のことでしか、どうこうできない。

むしろ、親として多くのことをしなくてはと、できないのに、しなくてはしなくてはとカラ回っていたのかもと思います。

それぞれが自分に集中しつつ、お互いにリスペクトし合いながら、影響し合う。そんな家族になりたいと思ったのでした。ちなみに下の子は生まれた時からこれをそつなく実践する猛者です。。

お手本もちゃんといる。。。

自分にできることは少ない。だからこそ、きちんと意図をもって、丁寧に。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?