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状態異常にかかっているように思えてならない

つい先程やっと言語化できたのですが、世の中の相当数の人たちは「自分の考えが人に伝わったつもりで安心するという状態異常」にかかっているよう思えてならない。


会社の会議の場で目にしたのですが、明らかに目の前で齟齬が起きている。
けれど誰も確認も指摘もしない。
あとから個別に確認してみるとそれぞれ違う解釈になっているパターンだと思い、その場で言葉や表現を正せば「揚げ足取り」と言われる。

聞こえてくる言葉を同音異義語で解釈するような、やりとりするデータの解釈が厳密ではないプロトコルを用いた通信のような、そういう気持ち悪さがつきまとう。

お互いに共通のイメージを持つために根回しやら話し合いを行っているのに、そのための話し合いで齟齬が起きたら非効率じゃないか。
あえて違う言葉や表現で言い直して確認すればチェックディジットとして十分なのに、その工程を省略してしまうから情報の精度が落ち、共通認識を持つに至れない。本末転倒じゃないか。


以前こちらで会話でも迷子になるという話しをさせていただきましたが、今回の話しはそれを別角度から観ただけなのかもしれません。

ですが、このように我々が暮らしているこの社会は状態異常にかかっている人たちによって営まれていると見做すのであれば、この社会は不完全だと声を大にして言いたくなるのかもしれませんね。


まぁ、自分を含めこの話題に登場する人たちは神様でもなんでもなく不完全なのですから、この状態は当然だと思います。
なので不完全だなどと声を上げるつもりは全くなく、ただ自分を含め観察対象としては十分に面白く、そして愛おしいとさえ思える。
これはこれで一つの楽しみ方だと声を上げたい。

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