いざ、移住!

小規模ながらお米づくりを経験し、より一層田舎暮らしへの思いが強くなった僕でしたが、移住地に関しては他ももっと見てみたい、という気持ちがありました。

仕事の活動拠点が東京にあったので、ある程度東京に通いやすくなければ移動が大変になってしまいます。おのずと候補は千葉、山梨、埼玉、神奈川、長野、茨城、もしくは東京の奥多摩方面あたりになりました。ネットや本で見た興味のある土地を訪れてみると、それぞれ魅力があり、正直、どこも住んでみたいと思ったんです。でも、「このなかで1番住みたい場所はどこなんだろう?」という迷いに対する答えが、なかなか出せずにいました。迷っているうちに数年が経ち、それでも有力候補と言える場所すら定まらず、なかなか進められない自分に苛立ちすらありました。

子どもを授かる

妻は僕と同い年なので、高齢出産の部類に入ります。今どき高齢出産は珍しくもないのですが、やはり母体への負担は大きいものです。妊娠をし、お腹のなかで成長して、母子ともに無事に産まれてくることが“当たり前じゃない”ことを知りました。だから、妻が無事に出産し、わが子をこの手に抱いた時は、例えようのない大きな喜びがあふれ、本当にそれだけで幸せでした。

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それなのに将来への不安が…

子どもというのは希望そのものです。毎日変化があり、どんどん成長していきます。「この幸せがずっと続いてほしい」これからも家族で笑って生きていきたいと思いました。ですが、困ったことにこの頃から僕の収入が減り始めたのです。この時にはありがたいことに貯蓄があったのですが、「田舎へ移住するときに使おう」と思っていました。それが、もの凄いスピードでみるみるなくなっていく…。減っていく預金残高は、この暮らしが終わるまでのカウントダウンのようで恐ろしかったです。わが子の将来が不安になりました。

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「このままじゃ家族を守れない…」

“わが子”という最上の幸せがこの手にあるのに、今まで生きてきたなかで、この時期の精神状態は最悪なものでした。はじめて経験する育児で睡眠不足と休息のない毎日を送っていたこともあるのかもしれません。

実は匝瑳市に引っ越す半年前に東京の中で引越しをしているのですが、それは毎月大きな負担になっている家賃を安くするためでした。そもそもそんなに高い家賃のところには住んでいませんでしたが、さらに安いところを求めて、町田市鶴川の団地に引越したんです。都心だったら、1ルームの狭い部屋にしか住めないような家賃で3DKの部屋を借りることが出来ました。これは本当に救われました。部屋は5階なのにエレベーターがないので階段の上り下りは大変でしたが、団地内は管理が行き届いていて、多種多様な木や花や草が生えていたので、散歩するととても心地良かったんです。鶴川と言えば、先見の明があった白洲次郎が農業をするために移り住んだ土地でもあり、ミーハーな僕にとっては、そんなこともちょっと明るい気分にさせてくれました。

移住の決断。期限は3年。

鶴川団地の僕たちが選んだ物件は家賃が安い代わりに特殊な契約がありました。それは、3年だけの契約でそれ以上は契約が延長できないこと。何があっても出ていかなければいけません。「ならば次に引っ越すのは田舎だ!」僕は明確に田舎への移住を決断しました。

僕にとって、この“明確に”決断するということは、とても重要なことなんです。人生のあるときから明確に決断することで、思い描いた夢がすべて叶ってきました。叶えた、というよりは叶った、という表現が僕にとっては適切です。例えば、コンテストで優勝する、数人いた憧れのアーティストの仕事をする、海外でも活動する、自分のパフォーマンスを記録として形に残す、実力相応の評価を受けていない3人の友人に光を当てたい、など努力すれば叶わなくもない夢ばかりですが、どちらかと言うと「向こうから来た」という感じでした。“したい”ではなく“する”と決めることが肝心です。ふしぎな話ですが、それで夢が叶ってきました。

ちょっと話が脱線しましたが、とにかく僕は移住を決めて動きはじめました。情報を集めるなかで、久しぶりに田んぼでお世話になった髙坂さんのブログを覗いてみると、「古民家再生ワークショップ」の告知が。僕は古民家に住むのも夢だったので、必要なスキルを学ぶため、そして改めて髙坂さんに移住について相談してみようと思い参加を決めました。

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ワークショップでは、古民家の素晴らしさと、自分たちで直して暮らす、という生きるたくましさを実感できました。帰り際に髙坂さんに「今、空き家ってあるんですか?」と聞くと、

「ちょうど1軒あるよ」

「え?!」ダメ元で聞いたので思わず驚いてしまいました。そのときはまだ居住者の方がいましたが、出ていくのでもうすぐ空くとのこと。せっかくなので、その日そのまま下見をさせてもらうことに。とても立派な家屋で、しかも修復いらず!そのまま住める上に、家賃が激安…。都心だったら、風呂トイレなし、しかも相当ないわく付き物件じゃないと、この安さになりません。鶴川団地に引越したのが2019年の1月で、このときはまだ1ヶ月後の2月です。

後日、妻にも下見に来てもらい、確か3月には引越しをほぼ決断していたと思います。子どものことで1つだけ懸念があり、それが解決しないと場合によっては移住を諦めなければいけなかったのですが、それも数か月後無事に解決し、決意を決めてから半年ほどで移住することになったのでした。

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なぜ匝瑳だったのか

あれだけずっと悩んで移住地を決められなかったのに、なぜさらっと決められたのか。

ダンスしかやってこなかった僕には、DIYや壊れたものを修復したり、生きていくスキルがまったくと言っていいほどありませんでした。田舎への移住は夢でしたが、田舎での暮らしに不安もあったんです。ですが、古民家再生ワークショップに参加したことで、「ここには生きていくためのスキルを学ぶ場がたくさんあり、田んぼを経験した仲間がたくさんいる」

ここには安心がある

「収入に困ったらソーラーシェアリングでバイトすればいいよ」この髙坂さんの一声も大きかった。ソーラーシェアリングは匝瑳市の耕作放棄地だった土地を利用し、ソーラーパネルの下で大豆や麦などの農作物を育てる事業で、エネルギーの地産地消や雇用創出、地域保全に貢献するものです。

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家族のためなら何でもするつもりでしたが、ただただ収入のための仕事は出来ればしたくなかったんです。そんな僕にとって、心の底から賛同できて学びにもなる仕事があるのは嬉しかった!実際、移住して間もない頃からバイトをさせてもらっています。

これまで漠然とした不安を抱えながら生きてきて、前年に精神的などん底を味わった僕にとって、「安心して暮らせる」というのは、こんなにも大事なことだったとは…。自分でも初めて気づかされました。

それに終の住処を探すのは凄くハードルが高くてなかなか行動できなくなりますが、もし違ったらまた自分に合う場所を探せばいいや、くらいの気持ちなら行動しやすくなります。もちろん、自分に合うと思えば一生暮らせばいいし。行動しないと見えてこないものだってありますからね。

髙坂さんが言っていたダウンシフトが、僕の場合、思わぬタイミングで“起こってしまった”。でもそれで結果、行動することができました。弾き出されるように東京を出た僕たち家族を受け入れてくれた地元の方々、先輩移住者のみんな、匝瑳やその近辺の風土にとても感謝しています。

すべて素人だけど、すべてこれからです。田舎暮らし始めましょうー!

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